2015年5月29日金曜日

絶対にしてはならない恋愛のご法度


恋愛の場面で
絶対にしてはならないことがある。
たとえば
「私と仕事とどっちが大事?」という質問である。
「私」をとればやがて仕事はおろそかになり
経済的に厳しくなってくる。
「仕事」をとれば思いやりのない冷たい男のように思われる。

正論をいえば まずは仕事があり生活の安定があって
パートナーをシアワセにできるのだから
当然「仕事」と答えるのがあたりまえなのだ。
しかし恋する男はそれで嫌われてしまわないかと
気を揉んでしまうのである。
まったくムダなことである。

だからこういうふうに人を試すような質問は
絶対にしてはいけないのである。
試すというのは自分のなかによくない気持があるから
それを基準にして相手を測ろうとしてしまうことなのだ。
パートナーでいる以上
相手のことは必ず信じていなければならない。
信じていようといまいと 裏切る男は必ず裏切る。
だから裏切られたらそのとき考えればいいのである。

もうひつ絶対にしてはいけないことは
ほかの誰かと較べることである。
「オンリーワン」のはずなのに
別の誰かと較べてしまうのは とてもおかしなことだ。
「どうしてももっといい人を」なんて思うなら
いまのお付き合いをキッパリとやめることである。
そうしないとあなたの人生が打算とエゴで薄汚れてしまう。
それほど好きでもない人と
残りの数十年を一緒に暮らして平気というなら別だが。

人生はそんなに甘くもないし単純でもない。
計算通りにすすめば この世に落後者などいない。
いつも謙虚に 誠実にありたい。    (了)




2015年5月27日水曜日

恋ごころについて


恋をすると心を包むガラスが薄くなる
薄いガラスはゆらゆらと揺れ動き
かすかな予感にも震えて響く

いつもは聴こえなかった音
いつもは気づかなかった光
いつもは見えなかった色彩
いつもは感じなかった風

世界は刺激に満ちあふれ
喜びと千々に屈折する予感とで
心は一瞬も休むひまがない

幸福や不安な気持が
信じられないほどの強さで押し寄せ
そして引いていく

昨日まではなんの疑いもなく
そこに確かにあり続けていた町並みや
空や太陽までもが
急に自信なげで頼りなく見える

恋を失った哀しみを
こり世の終わりだと歌った
古い流行歌のほんとうの意味が
突然 目の前に
黒々とした森のように立ち現れる

眠れない夜は永遠に長く
追いかけるべき悩みは果てしなく広い
そして 恋をするときでさえ
人は独りだと知る

恋をすると心を包むガラスが薄くなる
薄いガラスはゆらゆらと揺れ動き
かすかな予感にも震えて響く


いつもは聴こえなかった音
いつもは気づかなかった光
いつもは見えなかった色彩
いつもは感じなかった風

もしこの心が砕けてしまうのなら
その前に たった一瞬でも
薄いガラスに映った
あの日の自分の姿に会いたい  (了)




2015年5月23日土曜日

シアワセになりたい2人に


シアワセは主観的なものだから
人さまの幸 不幸について
あれこれいう資格は 私にはない。
たとえ私の目にはフシアワセそうに見えても
本人がそれでシアワセだというなら
それはそういうことだ。

いまはなにかを心に決めて歩く
その過程にあるのかもしれしないし
生きていくうえで避けて通れない
理由があるのかもしれない。
人生の目的をどこに置くのかも
人それぞれだ。

私なりの解釈だが
だから どんな状況にあっても
シアワセだと胸を張っていえる人は立派だ。

いまは自分の意に反して
不本意な暮らしを強いられている人がいる。
世界中が笑顔にならないかぎり
シアワセにはなれないという人もいる。

そうとはっきりといえる人たちは
いまを一生懸命に闘っているのだから
おせっかいは焼かない。
頼まれたときすぐ手を貸せるように
自分を鍛えておく。

そして 状況をはっきり見つめて
シアワセではないといえる人は立派だ。

私自信のことをいわせてもらえば 
ときどきは不満でいっぱいになったりしながら
シアワセに生きている。
そのことは誰にもいったことがない。

不満や苦しみは満足や喜びと
たいてい交互にやってくる。
そうと知っているから
シアワセもフシアワセも
自分の胸の中だけで転がすように楽しんでいる。

そういえばいままで 誰にも
シアワセにします なんていったことがない。
それはとても傲慢なような気がしたからだ。

なんていえばよかったのだろう?
シアワセだと感じてもらえるように頑張る
といえばよかったのかもしれない。
もう手遅れだけれど。

……ときどきは自問自答をして
シアワセでもフシアワセでもない
あいまいな 妥協だらけの生き方をしていないか
こっそりと確かめている。     (了)




2015年5月21日木曜日

恋に賭けるのもほどほどに


いつもは冷静で割り切りがよく
テキパキと行動をしているのに
恋愛になると とたんにぐずぐずと
優柔不断になってしまう人がいる。

相手のことをあれこれと際限なく疑い
愛情や誠意の証しを何度も要求し うとまれ
それでも止められず
自分自身も苦しめてしまう。

嫉妬といえば簡単だけれど
どうやらそう簡単でもないのは
相手が誠心誠意を尽くして
こちらの望みを満たしてくれているのに
いっこうに気持が収まらないことだ。

身近な人だったので 不思議なものだなあ
と思いながら見ていて気がついた。
彼女にとって恋愛は
自分のすべてをかけた闘いのようなもので
成就しないと自分の存在理由まで失われてしまう
というほど思い込みの激しいものだったのである。

自分へのすべての評価
たとえば容姿 学校の成績 仕事の実績
世間からの評判 そして将来の生活
そんなすべてを
知らずしらず恋愛に賭けてしまっているのだ。

彼女のほうがそんなようすだから
相手は徐々に腰が引けてしまい
結局2人の関係は破綻してしまう。
彼女の激しい落胆ぶりはいうまでもない。

そこで彼女はどうするかというと
慌ててまた次の相手を探すのである。
それほど好きというわけでなくても
とりあえず付き合いはじめ
そしてまた
際限のない疑心暗鬼を繰り返す。

きっと彼女のような人は
何かひとつ自分に自信をもてるものが
あればいいのだろうと思う。
そうすれば恋愛になっても
どこかで冷静な自分を保っていられるだろう。

なにも資格だとか成績だとか 形になるものではなくても
観察眼の鋭さとか 人の心が理解できるやさしさとか
自信になるものはいろいろある。

だからそんなことを発見するためにも
いろいろな人に会ってみるのが
いちばんの処方箋だと思うのだ。   (了)




2015年5月20日水曜日

はい、これが私


男らしい男とか 女らしい女
あるいは神秘的な女
そういう人に私は会ったことがない。
それは仮面のようなもだから。

男であることと 男らしくあることは別のもので
女であることと 女らしくあることもまた別のものだ。
ムリをして らしくあろうと装っても
どこか不自然さがつきまとう。

男であればそのままで男らしいし
女であればそのままで女らしい。
ことさらイメージの枠に自分を押し込めなくてもいい。

肉体というのはときとして厄介なもので
自分の心を裏切ることもある。
それでも その心のままで
男であればそのままで男らしいし
女であればそのままで女らしい。
強いし弱いし惨めだし輝いている。

誰かの先入観や常識や期待を満足させることが
生きるいちばんの目的ではない。
それは素のままの その心のままの自分で
シアワセを感じられるようになってから
時間をかけて考えればよいことだ。

誰もわかってくれないように思えても
みんながわかってくれていても
あなたはあなたしかいないのだから
あなたはしっかりとその足で立ち
強く弱く惨めに輝いて生きるといい。

この世に絶望を増やしてはいけない。   (了)




2015年5月19日火曜日

自分が正しいとは限らない


人はみな違っている。
あたりまえのことだけれど
ときどき忘れがちになる。
だから
どうしてわからないのだろう? とか
どうしてあんなことをするのだろう? とか
不思議に思ったり
ときどきは いらいらしたりもする。
最初から 自分と同じ人はいないのだから と思っていれば 
そんな煩わしい思いはしなくてすむ。

ところが
人はみん違っている といっているだけでは
よくないことがときどき起こる。

たとえば 公園などで激しく泣いている子供を見て
なにかあったのだろうか と心配する人と
うるさくて迷惑だと 嫌がる人がいる。

まずは心配し 何事もないようであれば
次に親の対応や態度に目がいくというのが
ふつうだと思うのだが
すぐさま心配でいてもたってもいられなくなったり
怒りを露にしたりする人がいる。

こういう基本的な感覚のすれ違いみたいなものが
最近とみに多くなってきたように思う。

ここまでは
まあ 人はみな違っている といっていられる範囲だ。

ところがこれが
多くの方々に見ていただく文章などに出てくると やっかいだ。
「私はこう感じたのだから」と押し通そうとする人もいて
納得してもらうのに 苦労することがある。
私がお手伝いをさせてもらっている
小さな企業PR誌でも 原稿を募ると
必ずこういう問題が出てくる。
SNSが普及したいまとなっては
きっとだれもが似たような事態を体験しているだろう。

共通認識 共有する感性の問題だと思うのだけれども
それにどう道筋をつけるか と考えるにはずいぶん時間がかかる。

だから いい加減なようだけれども
みんなが「人はみな違っている」のあとに
「自分が正しいとは限らない」とつけ加えておくのが
いまのところの とりあえずの処方だと思う。

難しいことだが 自戒を込めて。   (了)




2015年5月15日金曜日

お喋りは楽しい話題を


口を開けばほとんど必ずといっていいほど
テレビで観た嫌な事件や暗いニュース
街ですれ違った人たちの悪口なんかを
喋りだす人が仕事先にいる

他人の不幸は蜜の味 なんて
笑い飛ばせているうちはよいのだけれど
気力体力が落ち込んでいるときには
これが意外なほどこたえる

なにか禍々しいもの 災いが
こちらにも伝染してくるような
そんな不吉な
ざわざわとした感じになってくる

そういう話は止めてくださいといえればいいのだが
その人も悪気があって喋っているわけでもなく
なにか親切心のようなお節介な気持からのようなので
あまりむげに遮るわけにもいかない

でも 話を聞いてあげると
またたびたびその人はやってきて いやな話をする
きっといやな話というものは
それ自体が人から人へ伝染していく
困った性質をもっているのだ

だからその人にではなく
そのいやな話にいい聞かせるつもりで
ごめんね そういう悲しくなるお話も
楽しくてよいお話になれればいいね
といってみた

その人は一瞬けげんな顔をして
それからつくり笑いを浮かべて去っていった
どう受け取られたかは知らないけれど
それ以来 いやな話をしにくることはなくなった

会うたびに笑って挨拶はする   (了)



2015年5月13日水曜日

影と歩く


集合住宅の前を通りかかる
整然と並んだたくさんの窓が
内側に湛えた薄暗がりを
几帳面に四角く切り取っている
その一つひとつに
喜びや悲しみや怒りや憎しみが
ひっそりと息づいている

同じ集合住宅の人たちは
だいたいみな同じような暮らし向きで
明日の食べものの心配はない
しかし十年後 二十年後にどうなっているのかは
あまり真剣に考えたこともない
そんな似たりよったりの住人たちのあいだにも
憧れや嫉妬や恨みや感謝がある

スーパーマーケットや公園にいる老人たち
みんなそれぞれ さまざまな経験をしながら
今日まで生きてきた
老人たちはあまり自分のことを語らないが
一人ひとり みんな違う人生と宇宙を抱えている
あるときは乱暴に あるときは慈しみながら
歩んできた日々の棘を抱えている

老人の目は集合住宅の窓のようで
覗き込めばきっと
いろいろなものが見えるのだろうけれど
とてもそんな傲慢は私にはない
私はただ身近な人間を
それもさほど幸せにもできず
見つめながら生きている

ときどき老人や集合住宅の窓を見上げたりするのは
きっと 私なりの
祈りのようなものなのだろうと思う  (了)



2015年5月11日月曜日

[ポイント別]恋愛の行動講座(3)


【目的】
恋愛に目的などない、ただその人と一緒にいたいだけだ 、とおっしゃるだろう。その通り。しかし一緒にいられるようになったらなったで次の目標ができる。人間は同じ場所にいつまでも立ち止まってはいられない。必ず先を見る。万一、先を見ることがなくなったら、後退するかそこで立ち腐れるしかない。というわけで、次から次に目標、欲望がエスカレートしていくのは当然のことなのである。這えば立て、立てば歩めの親心なのである。となれば、交際をしていくなかで次の目標は生まれてくるものなので、あらかじめ目的などを決める必要はない、とおっしゃるかもしれない。しかし自分はその人との交際において最終的になにを求めているのかを知っておくことは大切だ。つまり、愛情なのか、安心なのか、社会的地位なのか、名誉なのか、金なのか、ということである。愛情や安心を求めるのなら、そのままの自分で接していけばいい。社会的地位や名誉なのであれば、少し背伸びが必要かもしれない。金の場合は手練手管を要する。ただ、愛情や安心を求める以外は「恋愛」とは呼ばない。



【愛情】
愛情である。アガペーは神の無償の愛である。しかし人間は神ではないので、無償の愛とはいかない。さまざまな欲望、思惑も含めての「愛情」である。したがって、私たちの「愛情」は、なにも至上、至高の精神的営みでもない。だから「愛しているから」とか「こんなに愛情があるのに」という言葉は、自分の都合で相手を縛りつけるだけのものである。「こんなに愛しているのになぜわかってくれないのか」「どうして愛情を受け入れてくれないのか」。そんなふうに考えると、もう立派な独りよがりなのだ。あなたの、あるいは私の愛情は理解されず、受け入れられないものなのである。あの人とあなた、あるいは私は別人なのである。そして別人であるからこそ、そのあいだに不思議な引力が生まれるのである。



【相性】
お互い似た環境に生まれ育ち、知りあう前から興味の対象が同じで、将来の夢も近い、となればもちろん相性はいい。ツーといえばカーで相手の気持がわかるし「あ」といえば「うん」で呼吸が合う。こういう人と知り合いたければ、データでわかる内容なので、お見合いとかマッチングサービスなどで広く情報を収集することだ。そしてさらに身近にいる人にも要注意。似た者同士、知らず知らずに同じ場所に寄り集まっているものなのである。たとえば、あなたの会社の同僚たちは、結局あなたに似た人なのだ。認めたくないもしれないが。さて、その一方で、まったく異なる環境に生まれ育ち、興味の対象も正反対で、という、根本的に別のタイプ同士でも、とても仲のよいカップルはいる。私の観察によると、彼らに共通するのは食の好みの一致である。食べものによる結びつきは、ほんとうに意外なほど強い。逆に食の嗜好がバラバラだと、それがもとになって離婚してまうケースさえある。それとあともうひとつ、別のタイプ同士でも仲のよい理由に思いつくのが、性の一致である。とくにうまく役割が割り振られた変態さん同士だと凄いと思う。思うのだが私には語るほどの情報の持ち合わせがない。でも、仲のよさそうなカップルを見て、つい夜が長そう、と思ってしまうことはよくある。



【惰性】
相性→惰性と、惰性で思いついたテーマである。若い時代には、その瞬間、瞬間を精いっぱいに生きたいと思う気持が強いので、惰性など唾棄すべきものでしかない。しかしあるときまでは惰性といわれてもしかたのない状態であっても、ふとした瞬間、突然にその素晴らしさ、かけがえのなさを感じることがある。その人にとっては惰性も結果的によかった、といえるのだが、では惰性でも続けていくべきか、といわれればそうではない。よいとか悪いとかとは別に、そういうことも起こりうるということなのだ。だから、もしそんな瞬間がきて相手を見直したとしても、こちらが見限られてしまっていたなんてことのないよう、誠実であることが大切だ。そして自分が誠実を尽くしても惰性が続くのなら、そのとき考え直せばいい。   (了)




2015年5月7日木曜日

もっと怒ってもいいかもね


怒りは自分自身にとっても不快な感情だ
それに
怒りにとらわれていると正しい判断がしにくいし
仕事や勉強の妨げにもなる
だから怒りを早く鎮めたいと思う

怒りを鎮める方法は 書籍だけでなくネット上でも
本当にたくさん紹介されている

たとえば
自分の怒りを認める 深呼吸する
数をかぞえる 客観視する
あらかじめ決めておいた“魔法のフレーズ”を口にする
相手をやりこめる妄想をする
落ち着いた音楽を聴く 自分の常識から離れる 
などなど

こうして怒りをコントロールすることを
アンガーマネジメントというのだそうだ

どれも少しずつは効果がありそうだけれども
こんなにいくつも方法があるということは
決定的なきめ手はないということだ
いくつかを組み合わせて自分なりの方法を
見つければよいのかもしれない

そこで疑問になるのは
こうして怒りを抑え込むことが
より大きな視野で見たときに
プラスになることばかりだろうか
ということだ

自分のなかで怒りを鎮められれば
それ以上の摩擦や衝突を起こさなくてもすむ
時間やエネルギーを消費しなくてすむ
なにより安全地帯にいられる

けれどもこんなふうに怒りを
なかったことにするばかりでは
世の中は進歩していかないのではないか
と思うのだ

あなたの怒りには理由があって
それがまた他の誰かを
嫌な気持にさせてしまいそうなのであれば
あなたがはっきりとそのことを指摘するべきだと思う

怒りの鎮め方 アンガーマネジメントは
いってみれば痛み止めの薬のようなものだ
それで痛みは和らいだり消えたりするかもしれないけれど
本当の痛みの原因 病気はなくならない
そしてそうこうしているうちに
さらに病状が悪化して
取り返しのつかないことになるかもしれない

怒ったって得になることはなにひとつない
だから怒りを鎮めて静かにしていよう
そう考えるべき場面ももちろんあるが
そればかりでは無責任なことになってしまうかもしれない

今度 怒りがわき起こってきたとき
これははっきり怒ったほうが
他の人たちのため 世の中のためになるのだろうか
と落ち着いて考えてみよう
そうすれば無責任なことにならずにすむし
いつしか怒りも鎮まっているはずだ   (了)




2015年5月6日水曜日

利害の不一致


まあ
裏切りというほどの話でもないけれど
昨日までふつうに仲良くしていた人が
急にひどく自分勝手なふるまいをすることがある

たとえば
だいじな連絡をわざと忘れたり
ひとりだけ仲間外れにしたり
人を傷つけるうそをいいふらしたり

ただの面白半分でそんなことをする人はいないので
そこには必ずなにかの理由が潜んでいる
こちらに相手を怒らせてしまうような
落ち度がないのであれば
その理由は向こう側にある

いちばん考えやすいのは
なにかを守りたいからという理由
だから隠し 遠ざけ 事実とは別の
もうひとつの物語をつくろうとする

次に考えられるのは
もっとなにかを得たいから
だから隠し 遠ざけ 事実とは別の
もうひとつの物語をつくろうとする

いつも どんなことでも
そういう企みの理由は人それぞれ
細かく千差万別だけれど
行動に移すときの目配りや企みは
みんな判で押したように同じだ

だからその人の理由がわかれば
あとは別に気にすることなどない
理由がわかったということは
相手を把握したということだから
もうなにも怖くはない

その理由がいまどうなっているのか
ときどき遠くからチェックするだけでいい

相手がそうしなければならなかった理由に
少しの同情や理解もできなければ
すべて忘れてしまうことだ その相手と一緒に    (了)




2015年5月4日月曜日

忙しい恋人たちのワルツ


余裕がない
わたしもあなたも あの人もこの人も
予定がぎっしり 締切りがいっぱい
ひとつ狂うと
もとのペースに戻るのにひと苦労

暇がない
悲しんでいる暇も 喜んでいる暇も
ひとつのきぶんに浸っていたら
次から次へ 置いてきぼりにされる
追いつけなくなってからでは もう遅い

悲しいときに悲しい歌を聞く 夜がない
嬉しいときに喜びの歌を聴く朝がない
ただ 頑張れ 負けるな もう一歩前へ
カンカン照りの真っ昼間の歌ばかり

コチコチコチコチ 急き立てる電子音
歯車なんて もうすっかり時代遅れ
電子の速さに自分を託せなければ 勝ち目はない

わかってくれなくちゃ わかってくれなくちゃ
わたしの気持 わたしの思い
いちいち説明している時間はないけれど
きっと きっと わかってくれるはず
わかってくれなくちゃ

でもね 本当はね いまとなってはもう
自分の気持も よくわからないから
自分によく似た人の言葉を拾う 流し読みする
字面を追いかけているうちに 自分と出会う

どこまでいけば落ち着ける?
どこまでいけばひと息つける?
どこまでいけばラクになる?

でもでもでもでも その前に
落ち着くってなに? ひと息ってなに?
ラクするってなに?
なになになになになに?
なになになになになになに? 

なになになになになになに?     (了)




2015年5月2日土曜日

お金に負けない生きかた


お金持ちでなければ見られない景色があれば
貧乏でなければ見られない景色もある

貧乏だと軽んじられやすいし
なにかにつけのしわ寄せも多い
まあ そのぶん いろいろな人の
利己的な側面をよく観察できる

手のひら返しやらあと足で砂やら
思いがけない技の数々も見られる
みんなそんなふうにして
自分も貧乏にならないように
頑張っているのだ

お金をもっているかいないかだけで
世界は本当にガラリと変る
自分という人間が変ったわけではないのに

だからたとえば
人間の価値はお金ではないというけれども
それは利害関係のない者同士が
すれ違ったときなどにいえる言葉で
実際にはほとんど意味をなしていない

しかし
そんな貧乏にだってよいところはある
貧乏のよいところは
家族や夫婦の絆が強くなることだ
細かく相談しながらやりくりをし
毎日を乗り越えていかなければならないから
いつまでも喧嘩など続けているわけにはいかない
それから案外頑張り屋だとか機転が利くとか
相手の長所の思わぬ発見もある
改めて見直したりもする

それから
これは本当に気休めだが
消費や歴史にそれほどかかわっていない
という気楽さもある

だから
人の嫌な面 利己的な面を見せつけられても
心が折れない自信があるのなら
貧乏などとくべつ怖がる必要もない

怖いのは人間や社会を
自分勝手であさましいものだなどと
思うようになってしまうことだ

それが心に刻みこまれてしまうと
もし経済的に立ち直ったとしても
その後の人生は暗く無味乾燥なものになってしまう

お金がすべてではない
しかし人間や社会を
自分勝手であさましいものだなどと
感じるようになる前に
まずは収入のための努力をすることだ

自分や家族を守れるだけの収入を得る
それはちっとも恥ずかしいことではない
お金のために自分を売るのとは正反対のことだ         (了)