「ひとりSM」とは、私の辞書によれば、ひとりでなにごとかにコツコツ励むことである。そしてそれはいま現在の私の姿である。コツコツ。しかしそれが「ひとりSM死」となると穏やかではない。「ひとりSM」が過ぎて「死」に到ったのだろうと適当に推察はするが「死」は断絶の向うである。遠い、手の届かない世界である。「ひとりSM」と「死」のあいだにはなにか大きなものが横たわっているのである。
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コツコツコツコツ文章を書きすぎてそのまま死んだという話は聞いたことがない。作家の自殺はコツコツ書けなくなったからである。しかし「ひとりSM死」はあっけなく、そのなにか大きなものを超えてしまうのである。
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「SM死」はわかる。SMプレイの手加減を誤って相手か自分かを死に至らしめてしまうのである。たとえば窒息プレイ。実際には息をふさぐばかりではなく、頸動脈を締めることもある。そうして脳への酸素の供給を停止させるのである。
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窒息プレイは“自己発情窒息”とも呼ばれるそうで(by Wikipedia)、これこそひとりSMであろう。高校生などがやる失神ゲームも同じものだ。しかしうっかりすると死んだり重度の障害が残ったりするから、たいへん危険である。ところで“自己発情窒息”、“発情”の位置はセンターでいいのだろうか。
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窒息プレイではないが、首の後ろから回して胸でクロスするような縄の掛け方をする場合も、知らずに頸動脈を圧迫していることがあるので注意が必要である。また、胸の辺りをキツく縛り、締め付け過ぎると呼吸困難に陥る危険性もある。知識だけは豊富なのである。
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興奮のあまり心臓マヒを起こして、という、なんだか幸せな「SM死」もある。そういえばむかし、ガソリンスタンドで働いていた男が、仕事中に自動車用の空気入れで肛門から空気を注入されて死ぬという事件があった。しかしこれは「SM死」ではない。「SM死」には快楽という動機がなければならないはずだ。というかただの過ぎた悪戯である。
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では、一般に「SM死」と呼ばれているものはどんなものか、具体例を見てみよう。『サンケイスポーツ』、いささか古いが 2007 年 4 月 07 日配信分からである。 タイトルは《36歳読売記者、ひとりSMで昇天!? 手錠、口の中に靴下!》。同じ読売グループなのにこのタイトル。情け容赦がないのである。そしてこのときすでに「ひとりSM」は一般化した言葉だったのである。
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《東京都文京区のマンション室内で5日に男性が変死体で見つかった件で、男性が“特殊行為中”に事故で亡くなったとみられることが6日までに分かった。遺体発見時は後ろ手に両手に手錠をかけており、口の中には靴下が。警視庁の捜査も事件→自殺か、と迷走したが、最終的には事故との見方に落ち着いたようだ。専門家は「見る人が見れば一目瞭然の特殊プレー」と指摘している》
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靴下を詰め込んだ口には粘着テープが貼られていたという。発見時には後ろ手に手錠をかけられていたにしても、まあ、このくらいはひとりでできないことはない。死因は窒息で、発見時、上下の服は着ていた。とうぜん記事にもあるように警視庁は事件と自殺の両方の可能性を追究したものの
◆事件とするには:玄関が施錠されている
外部からの侵入や物色された形跡がない
着衣の乱れもない
現金が残っている
左手には手錠のカギを持っていた
◆自殺とするには:遺書がない
ことからその両方の可能性は消えたのである。そしてその一方で《室内に手錠などSM系に関する器具が多数あった》ので《自慰行為中の事故とみられる》と判断されたのである。上下の服を着たまま自慰行為といわれてもあまりピンとこないが、そういう趣味だったのだといわれればそうか、とも思う。で、底意地の悪いことにこの記事にはまだ続きがある。
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《一方で男性を知る人物からは「同性愛者だというウワサを聞いた」「仕事もするし、まじめで優しそうな感じ。でも2人では飲みに行きたくないタイプ」などの声も。
オナニー専門家は、今回の件について「窒息オナニーですね。見る人が見れば一発でわかりますよ」と証言。けい動脈を絞めて意識が遠くなる瞬間と、射精感が合わさると想像を絶する快感が得られるという。
複数の専門家は「ここまで手の込んだ方法は聞いたことがない」と驚き、中には「高難易度。フツーじゃない。アイススケートなら5回転ジャンプくらいだ」との声も聞かれた》
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「でも2人では飲みに行きたくないタイプ」とは、シドイ。しかし記事の通りだとすると、この亡くなった記者は、なんらかの方法で頸動脈を締めていたということなのであろうか? アイススケートなら5回転ジャンプ? 前人未到ではないか。なにを思ったかは知らないが、『サンケイスポーツ』、余計なことは書かないほうがいいと思う。
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クエンティン・タランティーノ(53)の『キル・ビル』シリーズでビル役を演じていたデビッド・キャラダイン(享年72)の場合は、バンコク中心部のホテル、」スイスホテル・ナイラートパーク・バンコク」352号室のクローゼット内で、首と性器にロープが巻きついた状態で死亡しているのが発見されている。2009年、新作映画『ストレッチ(Stretch)』出演のためタイに滞在していたときのことだ。
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例によってタイのことであるから現場写真が流出していて、それによるとデビッド・キャラダインは両腕を上に伸ばし、クローゼットのバーにぶら下がる恰好で死んでいたという。ホテルのクローゼットでストレッチなどするものではないのである。死の原因についてはいまだ諸説あるけれども、デビッド・キャラダインは“自己発情窒息”の愛好家だったという情報があり、タイ警察当局も自慰行為の事故の可能性を指摘している。
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実はこうした「ひとりSM死」は日本国内で年間300件にのぼるといわれているのである。2015年11月5日に放送されたバラエティ番組「ヨソで言わんとい亭」(テレビ東京)で、“現代人の性事情などに詳しいジャーナリスト”の谷川明日香(34)が語ったのである。しかし谷川明日香、アイドルであり、タレントであり、美容家でもあるのである。ミニスカポリスでもあった。いつのまに現代人の性事情などに詳しくなってしまったのであろう。
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ともかく、根拠がはっきりしないながらも、2015年11月5日をもって、日本では毎年300人が「ひとりSM死」していることが定説になったのである。谷川明日香のせいである。おお、そういえばミイラ化した死体を生きていると強弁したライフスペースの定説オヤジ、高橋弘二(78)はいまごろどうしているのであろうか。
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しかしまあ、年間300人という数字はかなりいいセンを突いているような気もするのである。窒息プレイで死ぬ、ということはスーっと気持ちがよくなったまま還ってこないということである。かなりあり得る話だとおもう。あと谷川明日香によれば自縛ローソクプレイ中の火事とか。
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で、「ひとりSM死」なのであるから、ひとりで虐めたり虐められたりするのである。ということは、アタマのなかで「この薄汚いブタ野郎!!」とか、「ああん! 許してえん!!」とかやっているのであろう。春先、多忙を極めた税理士が仕事場の押し入れの中で自縛プレイをし、首に縄がかかって死んでしまったという事件もあった。泊まり込みをするほど忙しいのに、ひとりSMとはご苦労さまなことである。
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それとももっと静かに「私はひとりこんな地の涯で永遠に苛まれ続けるのよー」とかなるのであろうか。私には性的な快楽にそういう演技的な要素が入り込んでくるというのは、あまりよくわからないのである。
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三島由紀夫(享年45)は小説『仮面の告白』のなかで、主人公がグイド・レーニ画のセバスチャン(セバスティアヌス)殉教図を見て性的興奮と文学的感興を催す場面を描いている。アタマを頭上に掲げて樹に括り付けられ、裸の上半身に左右から矢を射られているアレである。後に三島由紀夫はこの構図とポーズの写真を、自分がモデルになって篠山紀信(75)に撮影させている。澁澤龍彦(享年59)いうところの セバスティアヌス・コンプレックスである。
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殉教、あるいは殉教者に対して憧れる気持ちは理解できる。絶対的なものに近づいていく感覚があるのだろうと思う。しかし私の場合それはとても性的興奮、性的快楽の方向には向かわないのである。性的興奮、性的快楽とは、徹底的にゲスなものだと思うのだけれども、みなさん、この点いかがでしょう。絶対をかいま見ようとして、などという崇高な快楽は理解できないのである。
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私の場合、誰かを虐めていると夢想することはできる。ああそうか、私はSであってしかも徹底的に非Mなので「ひとりSM死」が理解できないのである。「SM死」を考えるのは私には無理なのである。おお、ここまで引っ張ってきてこのていたらく、まことに申しわけのないことである。伏してお詫び申し上げる次第である。
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しかしながら私はSなので「ひとりSM死」をしている人を見つけるのは得意なのである。ほんとうはノーベル文学賞が欲しくてあの手この手だった村上春樹(67)とか、まったく可愛くないのにアイドルをやっている小島瑠璃子(22)とか、喋れば喋るほど異状がバレるのに喋るのを止められない岡村隆史(46)とか、おひとりさまの人とか。岡村隆史はあまり洒落にならないけれども。
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まあ、だからそんなことをいえば、人類全体がいま「ひとりSM死」を迎えようとしているといえないこともないのである。そしてそう思えば人類滅亡のときも笑って迎えられそうな気がするのである。そうでもないか? (了)
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