2016年8月31日水曜日

どこもかしこも老朽化して、ニッポン液状化目前!!



そういえば片岡愛之助(44)はなにをやっているのだろう? とブログ『気まぐれ愛之助日記』を覗いて驚いた。8月30日付のアップは2本あったのである。しかしなんと、先の1本には“大阪土産にTシャツをもらった”、あとの1本には“片岡愛之助 ラインスタンプ完成!!!”と、それだけの記事しかないのである。ラインスタンプは笑えるので、ぜひご覧いただきたいのである。



愛之助、書くこともないほどヒマなのか? とファンサイトでスケジュールを確認すると、片岡愛之助の歌舞伎公演は10月3日からの『十月花形歌舞伎 GOEMON石川五右衛門』まではないのである。さかのぼって確認すると、今年の歌舞伎公演は、4月の「四国こんぴら歌舞伎大芝居」から約半年もご無沙汰になるわけである。こちらはお腹が痛いのにノンキなことである。



しかもこの愛之助演じるところの「GOEMON石川五右衛門」、実はスペイン人の父をもつハーフのフラメンコダンサーなのである。共演はタッキー&翼の今井翼(34)である。本格歌舞伎とはほど遠い。これが4度目の公演であるというから、稽古に大車輪ということでもないであろう。



いやいや、わすれてはいけない。愛之助、いまどきヒマなはずがないのである。9月28日には藤原紀香(45)との結婚披露宴が予定されているといわれているのである。しかし成田屋、小林麻央(34)の闘病という事情のせいか、「GOEMON石川五右衛門」の制作発表記者会見では話題を振られても以下のごとく控えめだったのである。あー腹が痛い。



《9月28日には都内のホテルで結婚披露宴を行うと報じられているが(と質問されると)、「準備を頑張っている最中です。シンプルでコンパクトにしたいと思います」とにっこり。報道陣から「ピアノの練習とはしないですか?」と意味深な質問を受けるも「アッハッハ…ないです。三味線なら弾けるんですけど、そういったことは一切ないので、あまり期待されても困ります」と笑顔でかわした》(「オリコン」2016年8月30日配信)



陣内ネタを「笑顔でかわした」など、片岡愛之助、若干哀愁さえ漂わせているではないか。入籍のころまでのあの強気の態度はいったいどこへ行ってしまったのであろう? すっかりショボくなってしまっているではないか。ああ、やっぱり腹が痛い。腹が痛いと腹も立つ。



で、藤原紀香のブログ『「氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ ★NORIKA's sensation★』も覗いてみた。うーむ。こちらは派手である。『スマイルプリーズ世界子ども基金talk live charity for 熊本in NY』の報告である。和英混在ぶりがスゴいタイトルである。大江千里(55)との“サプライズコラボ”だの、彼の地でのご活躍が写真入りで報告されているのである。



いやいや男女同権である。夫唱婦随など旧弊に囚われる必要はないのである。だがしかし、それと「梨園に入る」こととはまた違う話なのではないのか? 梨園の妻には梨園の妻としてのプロフェッショナルな役割があり、「梨園に入る」ということはそれを引き受けることなはずである。人間関係やしきたりなど覚えなければならないことも多いし、それをこなすためには茶事、書など基本的な素養も大切になる。



であるから、このあいだまではミュージカルだといって巡業に飛び回っていて、今度はニューヨークか!! などと揶揄するつもりはない。揶揄するつもりはないが、釈然としない。釈然としないのは、この場合、現代の夫婦のありかた、というような一般的な考えと、梨園の妻という特殊なありかたとが工作しているからであろう。



そう。そうしてそれでも両立できるならそれでいいじゃん、みたいな議論になる。しかしこの話にもう少し付き合えば、難しいのは両立できていると判断するのは本人ではない、ということである。藤原紀香の場合でいうと、片方には梨園の人々がいて、片方には一般芸能界やボランティア関係の人々がいる。さて、いかがなものであろう?



なにをクドクド語っているのかというと、途中であることに気付いたからである。なんというのか最近、モノゴトの枠というのか芯というのか、とにかくカタチを保っていくのに重要ななにかがグスグズと崩れていく印象を受けることが多いのである。それをなんとかいい表したいと思っていて、ついさっき気がついたのである。



「液状化」である。「流動化」というと質の異なるもの同士が混じり合うイメージがあってむしろそれは好ましく受け取られがちだけれども、「液状化」はただただなにかが流れ去るだけなのである。そうして上に乗っているものを破壊する。



たとえば高畑淳子の謝罪会見である。本人の誠心誠意という気持ちを嘲笑うようにして、なにかがだらだらと流れ落ちていた。それは謝罪会見そのものの起点をなすものである。それは「罪」である。



つまり高畑淳子の謝罪会見で中心にあるべきは強姦致傷という凶悪な犯罪であり、もう少し付け加えると、それをよく知られた芸能人が犯したことの社会的なインパクトの強さである。有名税とはいうけれども、やはり責任はさらに重い。それらをどこかへ置いて、“ご迷惑をおかけしたみなさまになんとお詫びしたらよいものやら……”と泣いて謝られても、そのまま率直に受け容れるのはたいへんに難しいのである。



藤原紀香の場合でいえば、「梨園に入る」という気持ちや考え方、もっと全体的なコンセプトみたいなものが、いつのまにか液状化してしまっているのである。しかも早い。いま思えば、気持ちをともないつつ、夫、片岡愛之助のうしろに一歩下がって立っていたのは、あの今年3月31日の結婚会見が最初で最後であろう。もし仮に「それでも両立できるならそれでいいじゃん」みたいな気持ちになっているのだとすれば、すでに「液状化」はめでたく完了である。



さて「液状化」とはもともとどういう意味であろう? Wikipediaによれば、地震の際に、地下水位の高い砂地盤が振動によって液体状になる現象が「液状化」である。「流砂」ともいう。砂っぽい土が液体の性質になるのである。



なるほど、つまり「液状化」を起こすには、そもそもそれが砂のようにカスカスになっていなければならない、ということである。よくわかる。これほど制度疲労や決まりごとの形骸化、停滞と腐敗が蔓延していては、どこもかしこも実質を失って、砂のようにカスカスである。いつでもどこででも「液状化」が起こる可能性があるのである。長く時代が動かなかったツケである。



民進党と共産党との共闘もそうだし、民主党代表戦への蓮舫(48)出馬もそう。鴻海によるシャープの買収もそう。もっともっとささやかなことでいえば『笑点』レギュラーへの林家三平(45)の抜擢なんかもそうである。大喜利などは落語家がやるものだと思っていたのであるけれども、どうも違ったようである。



熊切あさ美(36)と東京ヤクルトスワローズ・山田哲人(24)の熱愛、たんぽぽ・川村エミコ(36)のTENGA/典雅社長・松本光一(48)との交際公表なども「液状化」である。川村エミコの場合、交際まではいいのだけれども、「公表」が「液状化」なのである。



あとは、そうそう、教師による女子生徒の盗撮や買春なんかも「液状化」である。「教え」が液になって流れてしまっている。昨日(2016年8月30日)、また大阪府警阿倍野署に中学校の教師が1人、女子生徒の着替えを盗撮したとして逮捕されておる。困ったものである。私の腹痛も液状化であった。尾籠な話ですまぬ。(了)



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