2016年6月11日土曜日

舛添要一は江戸時代から来たタイムトラベラー 説

その人のすべては顔に現れるという考え方が「全顔主義」であります。占いの人相見、観相術と重なるところもありますが、占いが多くのデータをもとに広く誰にでも適用できる法則化をめざしたのに対して、「全顔主義」では、あくまでも唯一無二である個人それぞれの本質をとらえることを目的としております。



したがいまして占いと同じく経験則を手がかりとする顔面解釈の方法ではありながら、その適用のしかたは対象ごと、個人個人に臨機応変に行います。法則があって法則がない、答えがあって答えがない、それが「全顔主義」であります。顔面とは、まさに融通無碍、広大無辺の宇宙なのであります。



ちなみにナンシー関(享年39)の「顔面至上主義」はナンシー関にとっては顔面がイチバン、という意味なので、またまったく別のものなのであります。



そんな「全顔主義」の前に立ちはだかっている難問が、舛添要一東京都知事であります。誰が見ても悪相、悪人顏、悪党顔です。そのいずれかひとことで片付いてしまう顔です。しかもいま舛添要一は悪党顔だ、などといえば、いうにこと欠いて顔にまでイチャモンをつける、と眉をしかめられるのは目に見えています。

しかしながら「全顔主義」の創唱者である私は、この難問の誘惑から逃れられないのです。さて、舛添要一の顔は果たして何を語るのでしようか。



最も大きな誘惑は「悪因縁」という言葉です。悪い結果をもたらす因縁。しかしながら、前世が、とか先祖が、とかいうオカルト話に安易にくみすることはできません。ただそれでも、なんとなく“祟られている”空気感が漂っていることは、どうしても否めないのであります。



舛添要一の顔を特徴づけているものは、まずその鋭い目、そしてキツネ、オオカミ、タヌキ、ジャッカルなども含むイヌ科の動物のような口もとです。あとハゲ際おっとまた間違いた(by 荒木経惟)生え際のはっきりしない広い額と前頭部を加えれば、それだけで完璧な似顔絵ができるでしょう。



つまり舛添要一の顔に表れているのは、まず「野性」ということです。まだまだ硬派、バンカラと呼ばれる学生が多かった時代とはいえ、東大卒、同大学助教授(教養学部政治学)というたいへんアカデミックなキャリアには非常にめずらしいキャラクターです。というか、全日本的にめずらしいキャラクターの顔つきです。



これはなにを物語るのかというと、舛添要一はアウトサイダーだということです。ああ、もう遠慮なくアウトローといってしまってもいいのかもしれません。自民党→新党改革→無所属という政界での動きを見ましても、横紙破りや無理筋をモノともしない強引さが看取されます。また東大時代にも、助手の身分でフランスに留学して始末書を書かされたがあります。



これは不肖、私の持論ですけれども、人生ワンコンセプトで生きられるのは60歳くらいまでです。60歳くらいまでなら、なんとかごまかしごまかしでもつじつまを合わせて生きられますが、それ以上になるとそうはいきません。メッキが剥げてきます。



たとえば極端な話、あまり真面目には働かず、口八丁であちらこちらから金を融通してもらって生きられるのも、60歳くらいまで。それから先はもう口車に乗る相手もなく、悪い評判ばかりが定着し、にっちもさっちもいかなくなる、ということです。



五木寛之(83)がインドの人生訓を援用してもっともらしく語っている「林住期」などは、つまり化けの皮はがれ期、メッキはがれ期であって、最晩年の「遊行期」は夜逃げ期、ホームレス期といってもいいのです。ついでにみなさんのご参考のために五木寛之の人生の4区分を再トレースしてご紹介しておきましょう。人生なんてこんなものであります。



「学生期」(学ぶ。0〜24歳)→放蕩期、すねかじり期
「家住期」(働き家庭をつくる。25〜49歳)→詐欺期、盗人期
「林住期」(解脱する。50〜74歳)→化けの皮はがれ期、メッキはがれ期
「遊行期」(遍歴行者になる。75〜90歳)→夜逃げ期、ホームレス期



舛添要一も、有能な実務家という化けの皮はがれ期、メッキはがれ期を見事に体現しているわけです。でありますから、ここのところの公私混同騒ぎにこそ舛添要一の本質がむき出しになっていると考えてよいでしょう。



また、東大の助教授を退官したとき、自民党を離脱したときなどは、それぞれそれまで在籍していた組織に対しての激しい批判を展開しています。つまり敵をつくるのを厭わない、好戦的な性格であります。



舛添要一の悪党顔は、頭脳犯というより粗暴犯のそれです。67歳にしてあの眼光の鋭さはただものではありません。以前、舛添要一の趣味はナイフ集めという話を聞いたとき、心の底から激しく戦慄したことを憶えています。要一に刃物。あまりにも危険です。



粗暴な悪党、しかも徒党を組むわけではなく、単独で山野を徘徊する野盗というのが、その顔面が表す舛添要一です。野盗というのは現代のものではありません。江戸時代やせいぜい明治・大正時代くらいまでのものでしょう。東京都知事になって公金をバンバン私用につかうといった行動の粗さは、まさにひとむかし前のものです。



舛添要一は、現代によみがえった野盗の顔をしています。夜の山道で出くわしたりしたものなら、完全に鬼と見間違うでしょう。結婚3回子ども5人というのも、ワイルドなアウトローらしくてナイスです。嫁は里からさらってくるもの、という感じがいたします。



舛添要一は1948年11月29日生まれです。最初に団塊の世代を規定した堺屋太一(80)がいう1947年〜1949年生まれの、そのど真中です。年間270万人も生まれた子どものひとりとして、激しい競争を勝ち抜き、エリートコースを歩んできました。



末は博士か大臣か。舛添要一は、学歴主義の勝者です。しかし、錦衣還郷、故郷に錦を飾るという志向は、いまのところは見えていません。おそらく真剣に総理大臣をめざしていたのだと思います。



ですがこの方、総理大臣という職は誰かに与えられるものだというように考えているフシがあって、国民の支持や政党、政治的信念に基づく同士、盟友というものをあまり重要とは考えていないように私には見えます。



また政治家というのはきわめて打算的な人間たちですが、舛添要一の場合はその打算が人間を軽くしているところがあって、人が集まりません。舛添要一は孤独な野盗、追いはぎのたぐいであって、大盗賊でも大海賊でもないのです。



結局、舛添要一のめざす総理大臣というのは、ある体制の中でのトップであって、その体制そのものをうんぬんしたり、新しい秩序を創造したりする人間ではないのです。このあたり、あのちょっとチャーミングな上唇によく表れています。



最後になりましたが、さて、67歳にしてあの異様に鋭く強い眼光はどこからくるのでしょう? これがどうしてもわからないのです。長男とはいえ4人の姉がいるなどという真逆なイメージの事実さえあります。



舛添要一は柔道二段なのでそのセンなのかもとも思いましたが、現役の柔道家でもあれほどの眼力の持ち主は稀でしょう。



で、なんだかんだアレコレ考えた挙げ句の答えが舛添要一タイムトラベラー説です。荒唐無稽ではありますが、とはいえまったく根拠がないわけではありません。



舛添要一、よど号ハイジャック事件のときにはその便の搭乗券を購入していたものの乗らなかったので事件に巻き込まれずにすみ、また日本航空123便墜落事故のときも、予約をしていながら乗っていなかったのであります。つまりタイムトラベルによってあらかじめ危機を察知していたのであります。



そうです。舛添要一は、やっぱり江戸時代の野盗なのです。あの眼光の鋭さ強さは、江戸時代の日本人の、しかも野盗のものなのであります。あれ? これはこれは、安易にオカルトにくみしないといった矢先のオカルト話ではありますまいか? おお、まったく面目ないことです。たいへん失礼を申し上げました。(了)


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