小林旭(78)がひっさしぶりにバラエティ(「バイキング」)に出てきたと思ったらさっそく放送禁止用語をご披露したらしい。小林旭、さすがマイトガイ、「ダイナマイトが百五十屯」(関沢新一:作詞、船村徹:作曲)である。というか小林旭ならそれくらいふつうである。放送禁止用語をぶっ放されるのがイヤなら生放送に出演させるなというお話である。
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小林旭が口にした放送禁止用語は「気違い」である。「キチガイ」とカタカナで書くと印象はさらに強まる。放送禁止用語であると同時に、ジジババの世代にとってはとてもなじみのある、つまり“日常に潜む差別用語”を代表する言葉でもある。
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うむ。“日常に潜む差別用語”、われながらいい得て妙である。自分では意識しなくても“差別用語”をつかうことは少なくとも差別に加担していることであり、自覚のないまま差別意識にとらわれていることの証しでもありうる、したがっていまいちど自分の言葉に責任をもち、厳しくチェックし、心を見直さなければならない、と1960年代から20年くらい前まではいわれていたような気がする。
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“差別用語”がうっかりマスコミに乗ると関係する団体から激烈な抗議を受けたり、さらにはどこの職場や大学でもつるしあげや自己批判の強要といったことが起こるようになって、「放送禁止用語辞典」「差別用語辞典」が編まれ、重宝されたのである。
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であるからたとえば「気違いに刃物」というたとえはつかえなくなったし、映画『気狂いピエロ』(ジャン=リュック・ゴダール、1965)は本来「きちがいピエロ」と読ませる邦題であったにもかかわらず、わざと「きぐるいピエロ」と読んでいた時期もあった。いまでももしかしたらテレビではそう読むことがあるのかもしれない。ブルー・ハーツの「気違い扱いされた日々」(「終わらない歌」収録)という歌詞も消された。
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“きちがい”と“きぐるい”とではどれだけの違いがあるのであろう?
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だがしかし、穢多・非人のむかしからさまざまある“差別用語”は、まあ、それだけ多くの人々の心に“差別”が棲んでいるということだけれども、一つひとつに濃淡がある。それは受け取る側の立場や意識によっても変わってくる。発する人間の人となりや生き方によっても変わる。
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小林旭が「気違い」と発したところで、小林旭に差別的な意図があったなどとは微塵も思わないし、その言葉で誰かが傷ついたとも私は思わない。放送禁止用語はあくまでも放送局内部の自主規制なので、わざわざ放送中に謝る必要もない、と思う。結局は差別だ!! と糾弾されることを酷く怖れているだけなのである。
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そういえば『バイキング』MCの坂上忍(50)は9月30日放送の『おしゃべりオジサンと怒れる女』(テレビ東京)で「基本的に会話なんてさ、差別がないとつまらないってことなんだよ」と発言して物議を醸していたそうだ。だから今回は榎並大二郎(32)が慌てて謝ったというわけでもないとは思うが。
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坂上忍についていえばただ勉強不足。“差別”という言葉をつかえば世間が過敏に反応するのを忘れているし、マウンティングだとか貶しあいだとか逃げる表現はいくらでもある。言葉によって成り立つ仕事をしているのに情けないのう。
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という私も「気違い」や「狂っている」はつかわない。「気がふれている」「イカレている」「アタマがおかしい」「ご陽気すぎる」などのいい方をしている。ほかにいいたいことがあるので、よけいなところで足を引っ張られたくない。
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どこからもお叱りがこないように気をつける。ポリティカル・コレクトネスである。それでもひどく生意気そうに見られる可能性は大なので、ときどき自分のことを犬に踏まれた男、といってみたりもする。
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小林旭がどういう文脈で「気違い」という言葉をつかったのか確認してみよう。
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◆『J-CASTニュース』2017年10月7日配信
【小林旭が「放送禁止用語」、フジテレビが謝罪 ネットでは「正しい表現なんだから謝る必要ない」の声】
《 昭和の大スター、小林旭さん(78)がフジテレビ系情報番組「バイキング」にコメンテーターとして登場し、アメリカのラスベガスで起きた銃乱射事件に関し「キ×××」という言葉を発したためアナウンサーが神妙な面持ちで謝罪した。
ネット上では小林さん批判が相次いだが、「言葉狩りだ!」「ほかに思いつく言葉はない」などと小林さんを擁護し、「放送禁止用語」に首を傾げる人が結構多い。
番組では現地時間1日に起きたラスベガスでの銃乱射事件を取り上げた。犯人はホテルの32階から窓ガラスを割り、2万人が集まったコンサート会場に9分から11分間ほど改造銃で乱射、58人が死亡し489人の負傷者を出した。
「米史上最悪」とされるこの事件の感想を聞かれた小林さんは、
「酷いよね、そりゃぁ赤ん坊をこう捻ってやるのと同じことで、無抵抗の人間だけを狙ってああゆうことをする奴ってのは、バカかキ×××しかいない」
とコメントした。犯人は狩りをする感覚で撃っていて、頭の中には人間としての意識が無い。人間としての意識があったら躊躇して撃てない、とし、自身が撮影の時に本物の銃を使った時のエピソードを話した。そしてCM明けに榎並大二郎アナ(32)が、神妙な面持ちで、
「先ほどの議論の中で、ですね、精神障害の方に対する差別を助長する発言がございました。お詫びして取り消させていただきます」
と深く頭を下げた。
〈— 略 —〉※原文ママ》
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榎並大二郎の謝罪を聞いてはじめて「気違い」と「精神障害の方」が結びついた視聴者も多かったのではないであろうか? この記事の後半でも、ネット上では「頭のおかしいやつって認識だったけど、精神障碍者のことだったのか?」という意見があったと伝えている。つまりここでひとつ小さな小さな差別の芽が生まれた、とも考えられるのである。その人たちにとってはこれまで自由につかっていた言葉がつかいにくくなる。
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小林旭の発言でむしろギクっとしたのは「そりゃぁ赤ん坊をこう捻ってやるのと同じことで」という下りである。たとえというのはわかりやすく説明するためにすることであるけれども、「赤ん坊をこう捻ってやる」感覚はまったくわかりやすくない。ただただ恐ろしい。わかっているのか小林旭。
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小林旭がそんなことをいったばかりに、「強く揺する」に加えて「赤ん坊をこう捻ってやる」が私の残虐知識のリストに新しく加わってしまったではないか。これまでそこは無垢だったのに。そう、せっかく道筋のないところに道筋をつけるのはよくないことだってあるのだ。
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そしてそうか、小林旭はまだ戦後の残酷のなかを生きていたのか、と思うのである。小林旭の大スター伝説はさまざまあるけれども、それらとともにみみっちく情けないお話もたくさんある。
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そして小林旭は近くにいるととてもイヤなヤツであろうけれども、遠くから見ているとなにか不憫な感じがする。それらの混沌を、今回ことのついでに「戦後」「戦後の残酷」という切り口で語れるような気がしてきた。でもそれはきっと長くなるのでまた今度。
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バラク・オバマ元アメリカ大統領のTweet「生まれつき肌の色や生い立ちや宗教を理由に他人を憎む人はいない」(8月13日)が世界的な共感を呼んだ。放送禁止用語だとか差別用語だとかの前に「生まれつき差別する人はいない」ということをよく考えてみるべきだと思う。
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いつのまにか忘れ去られてしまったほうがいい道もある。差別とは差別される側の問題ではなくて、あくまでも差別する側の問題なのだ。あったりまえですまぬ。(了)
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