喜多嶋舞(43)。息子が100%夫との子どもではないと法的に認定された女である。月刊誌『婦人公論』(12月8日)で反論を試みたがまったく説得力がなかったのである。絶体絶命のピンチである。ここまでの窮地に立たされた女を、最近ほかに知らない。というか、もうその窮地に立つ立場すらない。
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これまで喜多嶋舞は、自分の両親も巻き込んで、息子の親権を頻繁に移動させてきたのである。現在の夫ともデキ婚である。そのときに産まれた娘が果たして現在の夫との子どもなのか、という疑惑まで浮上しているのである。しかも『婦人公論』のインタビューでは、「大沢さんは私が初めてお付き合いした人です」とぶちかましたのである。
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また、当人同士で直接やりあえばすむものを、わざわざマスコミを通して騒動にまで広げてしまったのも、当の息子への配慮を著しく欠いているのである。これは当然、口火を切った元夫の大沢樹生(46)も同様である。その真意がどこにあったのかは、いまは詮索しないが。
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自分勝手でモラルに欠け、問題が起こるたびに小手先のごまかしやウソで切り抜けようとする喜多嶋舞の態度は、人として厳しく戒められるべきものである。われながら偉そうな語り口である。かさにかかって責め立てる世間さまのいいぐさである。しかし、ほんとうに舞はよくない。
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よくないことを踏まえたうえで、舞の側から見てみようか、というのが今回の記事である。是非や善悪でいえばもうほとんど決着はついているわけである(大沢樹生が勝った、正しかったということではない)。舞自身もそんなことは重々承知しているのである。しかし闘わなければならないと思っているらしいのである。
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いまの生活や家族、自分自身を守るためになんとかしなければならない、と考えているのかもしれない。しかし、自分のしでかしたことの結果、悪夢のような現実が目の前にあるのである。反撃に出られる材料もない。もう、頼りになる味方もいない。
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あるのは自分の言葉だけで、言葉でもって現実を覆すか、あるいは自分がどこか遠い遠いところまで逃げ出すしかない。舞ちゃんとうとうパーになっちゃった、といわれるところまでである。逆に無言であることでこの作戦をやってのけているのが麻原彰晃だ、ということもできるかもしれない。
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極端なたとえである。独房の死刑囚である。執行の呼び出しがいつの朝にやってくるのかはわからない。しかしそれは必ずやってくる。縊れて死ぬのはイヤだ。言葉でもって、考え方でもってこの現実をどうにか読み替えることはできないだろうか? と、考えてまた1日が過ぎるのである。
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是非や善悪ではなく、そんなものとは関係なく、守るべきものは守る。そのための読み替えを試してみたのである。いってみれば個人の気持の都合である。舞にとってははなはだいい迷惑である。
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そういうことをいわれては 女はつまらなくなるばかりだ
恋愛しているとき男と女は対等 セックスも
でも 子どもを産むのはいつも女だけだ
そのときそのとき 好きな男や好きな女がいて
抱き合ったり いちゃいちゃしたり セックスしたりする
そういうとき女と男は対等だ そういうことになっている
だけど子どもを産むのは女だけだ いつも絶対に女だけだ
だから
ゲロを吐き 腹を膨らませヨタヨタ歩き 痛みをこらえ
息も絶え絶えになる
ほんの少し運が悪ければ 自分の命と引き換えだ
たとえば
母親か赤んぼうかどちらかを選べ
そんなとき きまって母親が棄てられる
棄てられて額に入れられ飾られて やがてその額も隠される
子どもを産むのは女の権利だ 義務じゃない
私は私の権利として産むと決めた それは私だ
その瞬間から男は手出しができなかった
そこにいるのは私と赤んぼうだけで 男はみんなアカの他人だ
赤んぼうがどこからきたかなんて なんて馬鹿な質問
そうそう
子どもを産めるのは女の特権なんて馬鹿なことをいうヤツ
ほんとうに女の特権と思うなら そのまま尊重しておいてくれ
私と赤んぼうがそこにいればそれがすべて 産むのは私だ それが特権というものじゃないのか
この神聖な 特権がなければ入れない場所に ズカズカわがもの顔で入ってくるな
セックスしかしていないくせに
この子のことはすべて私が司る 過去も未来永劫も
産むのは私なのだから生かすも殺すも私の自由だ
そもそも
子どもの父親がはっきりしなければならないのはなぜだ? 面倒くさいのに
戸籍というヤツね 所属をはっきりさせておかなければならない?
所属? そんなものははっきりしている 母親である私にだ
遺産相続にさしつかえる? 借金ばっかりのくせに
じゃあ 財産だか長男の立場だかのやりとりに関係なくなれば
女は誰の子どもを産んでもいいのだな
そんなものはお前たちにぜんぶくれてやるぞ 欲の皮の引きつったお前たちに
だから私と私の子どものことは放っておけ
私は金や威張りくさるために母親になったのじゃないから
ただ産みたいから産んだだけだから
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いつもとちょっと雰囲気の変わった記事になったのである。しかしこれでも今回は「私撰 2015年のすぎた女たち」の第5回目なのである。喜多嶋舞のキャッチは「私撰 2015年の守りが強すぎた女」である。10人の予定ではじめたこのシリーズもあと3人である。最後までお付き合いよろしくお願いしたいのでR 。(by嵐山光三郎)。
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