ばびろんまつこ(26)が詐欺と商標法違反で逮捕されたのは10月28日であった。それから約2ヵ月。そろそろ保釈されていていいはずなのだが、一向にニュースがない。おそらく余罪が知られたのだろう。年の瀬だというのに難儀な話である。しかし自業自得、身から出た鯖、おっとまた間違いた、身から出た錆なのである(by荒木経惟)。しかたがない。
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そういえば、つい先月まで車の「鈑金修理」の「鈑金」を「板金」だとばかり思い込んでいたのである。「鈑」という漢字があることにさえ思いいたっていなかったのである。しかし気付いてみればそうだよなあ、車のガワが木でできているわけがないもんなあ、なのである。お恥ずかしい話である。
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で、ばびろんまつこのその後の情報はないかとウロウロしているうち、まつこのTwitterに行き当たったのである。逮捕前日の10月27日分までがそのまま残っているのである。フォロワー数2万9386人である。やはりまつこ、保釈されていないのである。シャバにいるのなら、なにはともあれ急ぎ削除しているはずである。まだ拘置所にいるにしても、誰かに削除を頼めばいいのに、とも思うのである。
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そんなこんなを考えているうち、“まつこ”はいったいどんな“ばびろん”を築いていたのか、という好奇心に勝てなくなったのである。“まつこ”の“ばびろん”は、アンチも含めて2万9386人の欲望でてきているのである。憧れの女の住むという夢の国である。
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で、覗かせてもらったのである。まるで屍肉をあさるハイエナである。われながら悪趣味である。しかし断じてハゲタカではないのである。ハイエナである。
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ハイパーエリートニートのばびろんまつこは、リッチでハイセンスでインテリジェンスにあふれ、さらに経験豊富でしたたか、なかなか抜け目がない、という設定のようである。憧れの女、ばびろんまつこは、そうでなければならないのである。
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そうでなければならないのではあるが、やはり騙るにはインテリジェンスの部分が痛いのである。リッチだとかハイセンスだとかは適当なウソとネットや雑誌からの借り物で誤摩化せるのである。板金である。しかしライブのやりとりにインテリジェンスを要求されれば、これはほんとうに知的に対応しなければならないのである。鈑金が要求されるのである。
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Twitterを10月27日分からさかのぼって、最初に出会う少しまとまった長さのコメントが、9月24日のこれである。
《わたくしのような排ガス出しまくりのイタ車ユーザーからすれば、今回のようなディーゼルエンジン車の排ガス不正なんぞ高み、いや低みの見物どす。》
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次には、また9月24日のこれが続くのである。
《スケベ心をもちながら男性のお宅にお邪魔したとき、床に明らかに長い髪の毛が落ちているのを見つけて少し落ち込んでいましたが、パイパンのわたしが誰一人上げたことない自宅にて明らかに陰毛のそれがあるのを見つけたとき、この世にはないことも起こりうるのだとまたひとつ懐が広くなった気がします。》
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まあ、あまりよくわからないウイットである。シュールである。ひとひねりしたいのだけれど力及ばず、である。で、しかしやはり逮捕前には称賛もない代わりにそれほどきついツッコミも受けていないのである。
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9月13日。
《肩書きに執着してしまう貧しい考え方を変えることができない どうすれば変えられるのか — 貴方がその肩書きになれば良いのです。》
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9月13日。
《26歳の割にはいちおう見た目はアラフォーに擬態できているし、ひととおり良いものは目に触れて身につけてきたつもりだけど、 それでもなお「きみはまだ幼い部分があるね」と言われるとドキッとする。 貴方との経験以外に、何がわたしを大人にさせてくれると言うのだろうか。》
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9月3日。
《約束は守るためではなく、守るための口実に過ぎない。》
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さかのぼって目についた上記3本は、いずれも意味合いや表現を反転させてみる半自動的な手口である。夜が長くなったね、いや昼が短くなったんだよ、の類である。これで面白いフレーズが発見できる場合も、確かにあるのである。
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しかし上記の3本については、できあがったレトリックの肝心の意味内容について、完全に扱い損ねているのである。失敗して意味をなしていないのである。まつこ、あんまりアタマはよくないようなのである。板金である。
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9月1日。
《おそらくそのルーツは私のモテない青春時代から来ているのかもしれない。モテないということは、根本的に人の愛や優しさの全てを受け入れることができないので、他人に全幅の信頼を預けることができないのだ。だから恋愛は常に自分との対峙。それゆえ孤独や寂しさと上手に昇華させる術を心得ている。》
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このコメントは、よくいえば循環論法みたいなもので、いろいろ考えてそれなりふうに装ったものの、先に進むには力及ばず、結局は元の場所に戻ってしまっているのである。結局「モテないので孤独や寂しさと付き合う術を心得ている」、ということしか語っていないのである。まつこのコメントのもうひとつの特徴である。
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9月1日。
《恋をすると私はいつもこの胸を締め付けられる思いに悲観的になってしまう。恋煩いとはまた違う、まるで東尋坊にいるような絶望的な気持ち。ひょっとすると私はこのSとMが混在した自己欺瞞に最高のオーガズムを感じてるのかもしれない。そして厄介なことにそこにまた結ばれる帰結も望んでいないのだ。》
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文章や意味どうのこうのはもうメンドくさいのでおいておくとして、ここで注目すべきは「東尋坊」である。意外なチョイスである。“SとMが混在した自己欺瞞に最高のオーガズムを感じ”つつ「東尋坊」。いわずもがな、福井県板井市の自殺の名所である。
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現代の、海外経験も豊富なはずの26歳の女が、自殺を暗示するために選んだ場所が「東尋坊」。なんだかまつこ、そんなに悪い人物でもないような気持ちにさえなってくるのである。
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これは勝手な推測だが、まつこがもっとも注目してほしかったのは、きっとこのインテリジェンスの部分だったろうと思うのである。どうしようもなく力不足で、しかも若干のパクリもありそうなのだが、前にも書いたように、ここだけがリアルな「松永かなえ」の作文なのである。
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しかし世間は、ほとんどそこには注目していないのである。投げやりに「深いですね〜」が関の山の感じである。であるので、ハイパーエリートニートとしては、金持ち気取りのついでに少しだけ気のきいたふうなフレーズを付け加える程度で十分であったはずなのである。
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にもかかわらず、ばびろんまつこは、求められぬ似非知的な文章を、必死になってこねくりまわしていたのである。ベタないいかたで申しわけないのだが、そこに存在をかけていたのである。なんだか他人とは思えないのである。いや他人である。そして世間は、こういう、密かに必死に生きる人間の気持ちなどには目もくれず、いつも身も蓋もなく冷たいのである。
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ローリングストーンズの『悪魔を憐れむ歌』の一節にこういう歌詞があるのである。
《全ての警官は犯罪者 全ての罪人は聖人 同じように表裏一体だ》
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ばびろんまつこは、いまごろちゃんと反省しているのだろうか? いやいや少しは恨んでいるに違いないのである。そして、これを簡単に逆恨みと切り捨てるヤツには、きっと一生、芸術はわからないと思うのである。
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実は、今回は「私撰 2015年のすぎた女たち」の第6回目のつもりなのである。ばびろんまつこのキャッチは「私撰 2015年の芸術的に頑張りすぎた女」である。10人の予定ではじめたこのシリーズもあと2人である。もうそろそろ、なんとかゴールしたいものである。(了)
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