2015年3月28日土曜日

小さな助け合い



 最近よく散歩をするようになりました。市の周縁部の商店街はどこもお年寄りの姿が多く、折にふれ言葉を交わす機会も生まれます。これまで両親は別として、お年寄りとの交流にまったく疎かった私にとっては、どなたの言葉もとても新鮮に聞こえます。

「ありがとう」「助かります」「お世話になりました」と、〈小さな助け合い〉ともいえないほどのささやかなお手伝いをねぎらってかけていただく何気ない言葉にも、なんとも温かく、心にしみる独特のやさしい響きがあります。斜に構え、心を閉ざし、素直になれなかった若い頃に、もしこうした経験ができていれば、自然と人を見る目も柔らかくなり、いかばかりか心豊かで明朗な日々が開けたのだろうに、と反省させられます。

「上ってコーヒーでも飲んでいって」
 と誘っていただいたのは、スーパーでのお買物荷物を自宅アパートまで替わってさしあげたお婆さんでした。小柄で少し足の悪い彼女は道すがら、明日からしばらく雨が続くという予報なのでいつもよりたくさんの買物になった、というようなお話をし、この街は便利で住みやすいと笑っておられました。

 コーヒーのお誘いを辞して散歩に戻り、考えるともなく考えていたことは、お年寄りを尊重できない社会は、おそらくやがて精神的、文化的にひどく痩せ、乾いたものになるだろうということです。過去に崩壊した文明はすべからくその直前に急拡大しているという事実と、いささかなりとも関連があるかもしれないと、連想も広がりました。
 こうして私はお年寄りからたくさんの恩恵をいただいています。小さな〈小さな助け合い〉といってよいのかもしれません。

 自転車に乗せた幼いお子さんから落ちた帽子を拾ってさしあげたとき、その若いお母さんは「おじいさん(!)にありがとうっていいましょうね」とお子さんをやさしく諭しておられました。ごくごく普通の、あたりまえのなりゆきですが、助け合い、人を思いやる気持はこうして次々につながり、広がりをもって人と人を結んでいくのだと実感しました。

 考えてみれば、躾、礼儀、道徳やモラルというものは〈小さな助け合い〉を共同体の規範としてまとめ、単純化したものではないでしょうか。なぜお年寄りを大切にしなければいけないのか? なぜ公共の場を汚してはいけないのか? なぜ挨拶は必要なのか? そこには明確な理由があります。それらが〈小さな助け合い〉であり、〈小さな助け合い〉ができる態勢をつくることだからです。

〈小さな助け合い〉は、たとえば生物多様性が形づくる生命の網の目のように、私たちの社会をかたちづくる、目に見えない大切なネットワークです。私たち一人ひとりがやさしく、確かに紡いでいきたいものです。                                  (了)






2015年3月26日木曜日

もげみ


地球がダメになっちゃったら困るね

もげみがいった
おお
と俺が答えると
もげみは
うれしそうに笑った
俺たちは気が合うのだ

ダメになるって何がダメになるんだろうね

笑い終ったもげみがいった
地面と食いものがなくなるんだろ
と俺が答えると
もげみは
まじかー

気のなさそうな相づちを打った
俺たちは気が合うのだ

ある日
俺はもげみを連れて旅に出た
どこへ行くとかなにをするとか
そんなことは
考えるのも面倒くさいので
黙って風下のほうへ
歩いていった

もげみが
地球はあと何日くらいもつんだろうね

聞くので
まあ十年かな
と俺が答えると
もげみは
ダメだババアになる

笑った
俺たちは気が合うのだ

夜になって
風向きが逆になったので
俺たちも
いま来た道を逆戻りした

もげみが
今日はけっこう短くてよかった

靴を脱ぎながらいった
それから
明日は太陽を背中で行こう

真剣な顔でいった
俺たちは気が合うのだ




2015年3月25日水曜日

専門店


 はじめて入った中古レコード店で突然レジ・カウンター越しに声をかけられた。「カーレン・ドールトンって知ってます?」。40歳くらいの髭の店員だ。残念ながら知らないと答えると、彼はカーレン・ドールトンについて滔々と語りはじめ、いつまでも一定の調子で続けて飽きない。ときどき合いの手を入れてみたが、実のところ客の私にもあまり関心はないようだった。
 壁の時計で5分経ち、10分経っても終りそうになかったので、思い切ってそのカーレン・ドールトンという人のレコードまたはCDはいかほどのお値段か、と聞いてみまた。すると意外なことに彼は、きっぱりと「ウチにはありません!」と答えるではないか。ではいったいなんのために客を捕まえて……、と少々腹立たしくも感じたが、あまりの潔さに圧されて「ではネットで探してみます」と答えた。

 いまこの店は私のお気に入りだ。髭の店員の接客はプロから見れば失格かもしれないが、扱い商品とその世界を心から愛し、だからこそ質量ともに圧倒的な情報をもち、時と所をわきまえず布教活動に精を出してしまうのである。あの“熱さ”は、私にとっては魅力だ。あまりお付き合いできないときは「今日は時間がないから」と予め断ればそれでいい。
 通販やネット・オークション、宅配などがしのぎを削る中わざわざ店舗に足を運ぶのには、一番は商品に譲るとして、やはり店員の魅力だ。あの髭の店員と出会わなければ、私はカーレン・ドールトンという古い女性フォーク/ブルース・シンガーをネット検索することなど、おそらく一生なかっただろう。

 中古レコード店というきわめてマニアックな業種業態に限らず、専門店はすべからくこのくらいの濃い口でなければいけないと思う。というより、こうした“熱い”方々が地雷のように潜んでいるのが専門店の楽しさである。だから専門店であるなら各店舗に一人はこの髭の店員のような人材を配置していただきたいものだと思う。ちなみにこうした“濃い口度”は、いわゆる老舗→独立店舗→商業ビル内テナント→モール→百貨店の順に薄れていく。
 この人にはきっと本しか売れないだろう、あるいは靴だけしか売れないだろう、そんなふうに思わせてくれる店員に出会えると、本当にうれしくなる。
                                   (了)





2015年3月23日月曜日

雨ニモ負ケル 風ニモ負ケル


雨ヲノロイ
風ヲウラミ
雪ニモ夏ノ暑サニモ屈託シテ
丈夫ナカラダヲモテ余シ
欲フカク
決シテ容レズ
イツモエヘラエヘラトワラッテヰル

ムサボリ食ヒ散ラシ足ルヲ知ラズ
アラユルコトヲ
オノレノ利ニ照ラシテ
ミキキシ歪メ
スグニワスレル

大樹ノ蔭
風見鶏ノ下
スカートノナカニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテウマイ儲ケグチニナラヌカト思案シ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテ堕落セヨトソソノカシ

南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテ人生ナンテコンナモノサトミクダシ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
カリタカネナドカへサナクテモイイノダトイヒ
テレビドラマニモナミダヲナガシ
モクテキユメキボウナクタダオロオロアルキ

オノレヲヌッペラボートヨビ
アイサレズユルサレズアイサズ
ニクマレモセズ

サウイフモノニ
ワタシハナッタ
サウイフモノニ
ワタシハナッタ





2015年3月22日日曜日

歩く人


 学生時代から街歩きが好きで、いいおとなのいまもよく歩く。用向きの外出でも片道十キロくらいなら徒歩で済ませる。おかげで細々とした自営業を遂に離れられなかった。
 見通しが利かないので夜は歩かない。歩く運動が好きなのではなく、ただ人のようす、街の移り変わりを眺めていたいのである。だからとりわけ急ぎの場合はさておき、フーテン歩きになる。気が付けばよそさまの裏庭、などということも何度かあった。歩くなりの服装でもないし、行く末徘徊老人の徴候はすでに顕著なのである。そうした少しばかりの過剰のために、私の歩き方は、いわゆる散歩や散策ではないような気がしている。
 近頃は私が住んでいる街でも空地、空家が目立つようになった。よほど郊外の新興住宅地でもない限り、街区に必ず一つ二つは売地または売家の立て札がある。さらにこれにいわゆる無人住宅が加わる。冬に雪が降ると踏み込んだ足跡のない門内の様子などからそれと察せられるのは、散らかった玄関先、荒れた庭が露になる季節より遥かに寂しい。想像するに、これから月日につれてさらに人の気配は減り、窓明かりのない夜の闇もまた深くなっていくのだろう。
 不思議なのは消えた建物をあまりに素早く忘れてしまうことだ。通り慣れた道筋の一軒であっても、取り壊されてしまえば、途端に思い出すのに努力が要る。そしてやがて取り壊されたこと自体も意識の範疇から失せる。我ながらあまりに潔い翻身は本能であろうかと勘繰りたくもなる。恐ろしいことに現実は易々と過去を侵食するのである。
 住宅地で人が減っている一方、街中には初老の男達の姿が増えてきた。平日の昼日中のことであるから、定年を満了された方々である。これははっきりとここ2、3年の傾向で、つまりは団塊の世代の方々である。
 この街を歩き続けて20年近くの私からすれば、僭越ながら彼等は新参者である。共通の特徴をもっておられる。
 ①単独 ②いわゆるウオーキングスタイルにリュック ③やや早足 ④表通りを歩く ⑤脇見をしない ⑥いささか驕慢または怯懦に見られやすい ⑦肌が薄い
 おそらくは健康のための日課として歩いておられるので①〜⑤は当り前で、街というより路上での振る舞いに不慣れなための⑥もおおいに察せられる。そして私の顔面は外皮と呼ぶにふさわしく厚くゴワゴワである。
 ひと目で判る新参者の皆さんは、多いときには5、6人ほども連なるようにして、表通りを黙々と歩き抜ける。その姿を目にすると、年下の私にはいつもさまざまな記憶や想いが浮かぶ。幼い時分からずっと彼等の背中を見て育ってきたのである。受験戦争、全共闘、ニューファミリー、企業戦士、バブル経済……。彼等の拓いた道を考えもなくただ疾走したこともあれば、目前で締め切られたこともある。
 いままた彼等の背中越しに、一歩先を覗き見ている。たとえば彼等が最後に開拓した〈終活〉という新作法、新商売について、〈健康的な死〉という形容矛盾について、〈多死社会〉という量質転化について、そして歴史について考える。死ぬことばかりではないかと叱られそうだが、これは歴史の大きな転換点だと思うのである。
 団塊世代の方々は平和の申し子である。私にとっては平和の象徴ですらある。だから彼等がこの世から去ったあとに本当に戦後が終るのだという確信がある。団塊の世代がいなくなったという現実が、これまでの過去の記憶を一挙に遠く押し退けてしまう予感がする。戦後が終ったあとにやってくるのは、熱狂するにしろ沈潜するにしろ、おそらくより残酷な時代だろう。私が団塊世代の方々よりも長生きできる保証はどこにもないのだが。
 そして考えてみれば、この不穏な気分の原因は間違いなく彼等、団塊世代がつくり遺していくものなのである。後ろから呼び止めたい気分もある。しかし人生でできることなど多寡が知れている。私もそうだ。そして「ピンピンコロリ」なのである。「国民医療費が……」なのである。このまま黙々とあの世へ、しかも許されることならできるだけ速やかに旅立ってくれなどと願う罰当たりな声が、日増しにあからさまに聞こえてくるのである。それで十分だろう。
 団塊世代の男達は今日も1人で、ウオーキングスタイルにリュックを背負い、黙々と脇見もせず、やや早足に表通りを前進していく。私には到底真似ができない。私はそれほど真面目でも律義でもないし、それにまだときどきは立ち止まったり脇道にそれたりして眺めていたい。                        (了)




2015年3月21日土曜日

食う嗤う


この世の中で
嗤いのネタにならないのは
食うことだけだ

ジューシー でも
サイコー でも
ウマッ でも
ヤバイワ でも
ナニコレ でも
いくら間抜け顔で繰り返しても
物笑いのタネにならないのは


恐ろしいからだ


食べものはおもちゃにできたが
ついに食うことはおもちゃにできない

この不安やうしろめたさがどこからくるのか
もうみんな知っているのだ
直視する勇気がないのだ

食べられなくなることへの不安
うしろめたさへのアリバイ


ただただ
共犯関係であることを確認しているのだ


パン食い競走
あめ玉拾い

ああ懐かしい



2015年3月19日木曜日

愚行ドライブ


目的のない前進
空想に捧げる愛情
見知らぬ慰め
思い出の励まし
屈託なく繰り返される
永遠の約束

そんなものにすがりついて
今日一日を切り抜ける

やがて今日一日の果てにあるものが

やはり
目的のない前進や
空想に捧げる愛情や
見知らぬ慰めや
思い出の励ましや
屈託なく繰り返される
永遠の約束
であり

そしてさらにその先には
ただ哄笑の予感があるのだとしても

また前進や愛情や慰めや励ましや約束を
繰り返す

アリバイに墜してはいるが
それらは確かに生きて私のなかにあったのだ

なめらかな絶望の前に
私は明日またこの惨めな愚行を選ぶ





2015年3月17日火曜日

神さまの仕事


人の生命は神さまの仕事だ

たとえば
ここに何トンかの小麦がある
それを畑に播けば半年後にはほぼ間違いなく数十倍の収穫になる
しかし目の前には
飢えに苦しむ人たちが列をなしている

いまはその人たちを見殺しにしてでも
より多くの人々を救うために半年後の収穫を待つべきなのか
まずは目の前の飢えた人々を救うべきなのか
それとも双方に少しづつ配分するのか

といったようなことだ

そういう仕事をしている人は
実は世界にはたくさんいる

誰を救うか、そして誰を見殺しにするかは
もちろんその場の裁量で決められるわけではない
飢えている一人ひとりから遠く離れた場所で
紙の上の数字にまとめられ
複雑な手続きと決まりごとに従って決められる

それでもそれはとても過酷な仕事だ
そこに神さまがいる





2015年3月16日月曜日

ふるさとについて


 過日、海外で開催さた国際的なスポーツ大会の中継を観ていましたら、日系の中年女性が日の丸の鉢巻を締め、陽気に身振り手振りを交えて応援をされている姿が映りました。鉢巻には、丸い紅色の日章の左右に一文字ずつ振り分けて〈母国〉と書かれています。
 私は不意をつかれて思わず涙ぐみそうになりました。〈母国〉、「母なる国」とは、なんと温かく、切実で、血が通った言葉なのでしょう。日本は、彼女にとって知識や理屈ではなく、唯一無二の、文字通り血肉を分けた「母なる国」なのです。
 彼女の心のなかの日本とはどのようなものかと考えました。そこには父母、祖父祖母、あるいはその上の世代から聞かされて育ったふるさとの風物があるでしょう。ニュースで知る現在のようすもあるはずです。しかしいちばん輝いているのは、彼女たち一家に受け継がれている、ふるさとで暮らす人々の記憶だと思います。やさしさや笑顔やちょっと困ったクセ、そういった愛すべき一人ひとりの思い出がなければ、〈母国〉という情のこもった言葉にはならないように思うのです。
 残念ながら私にはそういう〈母なるふるさと〉はありません。今年還暦を迎えた私にして、たとえば子ども時代にいたはずの近所のおじさん、おばさんはぽっかりと不在です。地域や家庭環境、本人の性格なども関係するのでしょうが、そうした、いわゆる地域共同体の濃密な人間関係をうとましく思い、より個人主義的な暮らしのあり方を選び取ってきた経緯が、私達の社会にはあります。
 一方で近年、インターネットの利用がめざましく進んでいます。コミュニケーションの欲求は食欲、性欲と並んで最も古くからある本能だといわれます。この本能をインターネットに委ねすぎると、ネット上での関係や交流により強い帰属意識を抱くようになり、現実との逆転現象が起こります。
 インターネットそのものが悪いのではありません。しかし「私のふるさとはネットです」などとあまりゾッとしない事態がすでに出来しているのではないかと不安にもなります。
〈母なるふるさと〉を持たない私にはたいへん苦手で難しいことですが、これからは「近所のお節介」を心がけます。目に見えない「地域の力」とは、断言しますが、やはり一度は打ち棄てられた「お節介」です。
 周囲に大勢の大人がいる子どもは利口に育つといわれます。しかしそれは二の次、小さな子どもたちが、私や、同じようにお節介な大人達の顔をたくさん記憶に留めてくれれば、そこからきっと〈母なるふるさと〉が生まれます。それはやがて、世界で活躍する彼等の〈母国〉の景色になるでしょう。私とふるさとの、未来への夢です。    (了)





2015年3月15日日曜日

花によせて

命懸けで語り合ったお前と俺の隣で一晩中咲いてくれていた花の名前を憶えているか?




あのときあの世を映して馬鹿みたいに咲いているお前がいなかったら駄目だった




何も語らず望まずただ命をつなぐためだけに咲く花の強さに身じろぎもせず

2015年3月13日金曜日

いもうとはここに:ショートストーリー


 たくやくんのおかあさんのおなかに赤ちゃんができました。おかあさんのおなかはどんどんまるくふくらんで、おどろくくらい大きくなりました。このごろのおかあさんは、ふうふういいながら、つき出したおなかをとても大じに、おもそうにしています。
「たくちゃん、おかあさんはあさってびょういんに入いんするの。たくちゃんのいもうとをうむのよ。たくちゃん、おにいちゃんになるの。いい子にしてまっていてね」
 夕ごはんのとき、たくちゃんのかたをだいておかあさんがいいました。
「だいじょうぶだよな。もう年中さんなんだから。それに、あしたからはおばあちゃんがたくやといっしょにるすばんをしにきてくれるし」
 おとうさんがまっすぐたくやくんの目を見てはげましました。
 たくやくんは、おばあちゃんにあえるときいてうれしくなりました。でも、おかあさんが本とうにちゃんとげん気でかえってくるだろうかと考えると、すこししんぱいになってしまいます。
「うん……」
 へんじのこえもいつもより小さくなってしまいました。
「きょうはおかあさんとねようか」
 たくやくんのようすを見たおかあさんが、やさしいこえでいいました。

 天気のよいある日、たくやくんがようちえんからかえると、おかあさんがびょういんからかえってきていました。
「ただいまっ」
 よろこんだたくやくんがおもわずだきつくと、おかあさんも「ただいまっ」といってぎゅっとだきしめてくれました。
「さあ、はやく手あらいとうがい。それからきがえをしましょう。たくちゃんにいもうとをしょうかいしてあげるから」
 いもうとは赤ちゃんようのベッドの中でピンクいろのうぶぎにくるまって、すやすやとねむっていました。小さなかおの目やはなや口や耳や、そしてまるくにぎった手がまるでおもちゃの人ぎょうのようです。
「かわいい」
 たくやくんはおもわずつぶやきました。
「いっぱいミルクをのんで大きくなって、はやくいっしょにあそべるようになるといいわね。たくちゃん、なかよくしてあげてね」
 そういってベッドのむこうがわに立ったおかあさんのおなかは、すっかりもとどおりにたいらになっていました。

 たまこと名づけられたたくやくんのいもうとは、おかあさんがねがったとおり、どんどんせいちょうしました。あさになってたくやくんが目をさますたび、ようちえんからかえってくるたび、まえよりひとまわりもふたまわりも大きくなっているのです。
 ひと月もしないうちに、たまこちゃんはたくやくんより大きくなってしまいました。ベビーベッドではあたまや手足がつかえるので、おかあさんのベッドでねています。そしておかあさんはたまこちゃんのベッドのよこのゆかにねるのです。
「たまちゃんはげん気で、みるみるそだって、えらい子ねえ」
 おかあさんはうれしそうです。たまこちゃんもけらけらとわらいます。
「きょうはたまこのためにいいものを手に入れてきたぞ」
 おとうさんがかいしゃのかえりにかってきたのは、ウシの赤ちゃんがつかう大きなほにゅうびんでした。赤いちくびはおとうさんのおやゆびより大きいくらいです。
「どうだ。いままでのふつうのほにゅうびんの十二本ぶんも入るんだぞ。これなら、なんどもおかわりこうかんしなくてもだいじょうぶだ」
 そうかウシも赤ちゃんのときにはほにゅうびんでのむんだ、とたくやくんはかんしんしました。
「よいしょっと」
 ウシようのほにゅうびんは、ミルクをいっぱいに入れるとたくやくんがもてないくらいおもくなります。でもたまこちゃんはそれをりょう手でかかえてぐびぐびのみます。
「よしよし。たまちゃん、そのちょうし」
 たまこちゃんのしょくよくおうせい、げん気なようすに、たくやくんもうれしくなってしまうのでした。

「どこにもかわったところは見られません。おじょうちゃんのたまこさんはけんこうそのものですよ。ごしんぱいなく」
 たまこちゃんがあまりの早さで大きくなるのを気にしたおばあちゃんがきてもらった大学の先生たちも、たまこちゃんのことをけんこうゆうりょうじだといってほめました。
 ウシようのほにゅうびんをつかうようになってから、たまこちゃんはますますぐんぐんそだちました。まだしゃべることもできないのに、おとうさんやおかあさんよりもからだが大きくふとっているのです。
 そのぶんうんちもおしっこもたくさんするので、おかあさんはとくべつサイズのおむつをつくって、まい日まい日、あさからよるまでせんたくです。おとうさんも手つだいます。休むひまもありませんが、二人ともにこにこしてしあわせそうです。
 たくやくんは、おもにたまこちゃんがなき出したときのあやしがかりです。
「たまちゃんのおかげでこのいえもだんだんせまくなってきちゃったなあ」
 たまこちゃんのからだを三人がかりでおゆにぬらしたタオルでふいていたとき、おとうさんがおもいついたようにいいました。
「そうね。もう本とうのウシさんくらいになっているものね」
 たまこちゃんの手におされてしりもちをついたおかあさんがいいました。
「どうだい。いなかでくらすっていうのは」
 おとうさんがいいました。
「いいわね。たまちゃんのなきごえが大きくてすこしごきんじょめいわくかしらと気をもんでいたところだし」
 このしゅんかん、たくやくんのあたまにめいあんがひらめきました。
「ぼくじょうへいけばいいんだよ。ひろいし、ウシさんたちからミルクをもらえるよ」
「そうさ、それをおとうさんもかんがえていたんだ」
 さっそく三人のい見はまとまりました。

 ぼくじょうでたまこちゃんはますます大きくなりました。子ウシなら十とうも入る小やを一人でせんりょうするほどです。よちよちあるきで立ち上がると、二かいだての高さの天じょうにあたまがつきそうになるくらい、せものびました。
「ひっこししてきてよかったわね」
 そんなたまこちゃんを見上げて、おかあさんはまん足そうです。
 おとうさんはたまこちゃんのうんちをひりょうにりようしてぼく草をそだて、それをウシにたべさせて、そのウシのおちちをしぼっています。おちちはたまこちゃんのミルクになります。
「これならそんなにお金もかからないし、いつまでもつづけられるぞ。ほうら、たまちゃん、もっともっとどんどん大きくなれ。大きいことはいいことだ」
 たまこちゃんはいわれたとおりに大きくなりました。赤ちゃんなのに大きょ人です。よちよち立ち上がると、あたまはくもにかくれて見えません。どすんどすんとあるくと、ウシたちをふみつぶしそうになります。
「こらっ、たまちゃんたら。足もとに気をつけてよ。ウシさん、けがしちゃうよ」
 おもわずたくやくんがおこると、たまこちゃんはごろんとよこになってだだをこねはじめました。
「うおーん、うおーん」
 森の木がたおされ、いえがつぶれました。ウシたちが右に左ににげまどいます。
「やめろよ。たまちゃん。やめろってば」
 たくやくんはたまちゃんにつかまって、ひっしにとめようとしました。しかし、かいりきのたまちゃんにかんたんにふりまわされ、なげすてられてしまいました。

 気がつくと、たくやくんはベッドの中でした。となりでおかあさんがすやすやねとむっています。ここはおかあさんのベッドです。ちょっとあまいおかあさんのにおいも、ちゃんとします。もうふの下でおそるおそる手をのばしました。まあるくぱんぱんにふくらんだおかあさんのおなかにさわりました。まだいもうとはおかあさんのおなかの中です。たくやくんはゆめを見ていたのでした。
 ほっとしてから、にんげんはちいさいものなんだな、とたくやくんは考えました。そして、かわいいいもうとにはやくあいたいとこころからおもいました。いまのへんてこなゆめのはなしをしてあげるのです。(おわり)

2015年3月12日木曜日

何かへの旅


人は滅びる 近々滅びる 推定余命の十倍以上も永生きしている理論物理学者によると「二百年以内」らしい 太陽族の人が国会で開陳していた 
習作三点が百四十一億円で落札された画家は生前「人間は肉である」と断じた 畜肉処理場のカーカスにも紛うその人物像を見よ 画家の名前はベーコンである 
昨年死んだ社会/文化人類学者は「人間の再定義と人権の再構築が必要だ」と論じた 
「まぢすか」は〈スナックあやめ〉で働くさっちんのキラーフレーズである 嘘は本当のふりをするが本当も実はふりをしているだけなのである 
二十一世紀はうっかり嘘だらけである 悪い冗談は悪い本当なのである 願わくば最期まで人の誇りをもち続けたい

競馬好きの牛島君が出世をして外回りから内勤に移った途端ちっとも勝てなくなった テレビのお蔭ではじめて人は人の顔をまじまじと眺められるようになった この二点に依拠して僭越ながら断言する 我々は早晩滅びる
「騎手が進化した」などと口走りはじめたころからみな勘付いているはずである 「絶滅」が怖いから「進化」などと支離滅裂に取って付けているのである 
ごまかしは「食」も同様である 飢えが怖く飢えに後ろめたいのでわざと食い倒れる始末である まるで餓鬼である そのうえ金が幅を利かせるものだからさらに世間が幼稚になっていくのである 「ばぶぅばぶばぶ」と我々は滅ぶのである 

定年退職した春川君は毎日街を散歩する 老後の雪隠通いに備えて足腰を鍛練しているのである 最期まで人の誇りをもち続けるとはこういうことである 効率なんぞという産業の算段を人の生き死にに当ててはならぬ 
散歩のあいだはなぜ雪隠へ行くのかを考えるのがよい 考えて考えて頭が痛くなっても考え抜くのがよい 馬鹿になるほど考え続ければ滅びる前に何かにたどり着くかもしれない

2015年3月11日水曜日

不肖の息子


一九五四年に生まれた
ゴジラと自衛隊と不肖の息子
姉より四十と七箇月遅く
妹より四十と九箇月早い
三人そろって早生まれなのは
高度経済成長のとば口で
子育てにも効率を考えたから
中流なりの理想があった

敵をつくらず媚を売らず
ただ周到に我が身を律し
一所懸命に働くことで
身内一の出世を手繰り寄せた
黙々と会社と家を往復し
一九六四年にたった一度
不肖の息子と二人で映画を観た
『モスラ対ゴジラ』だった

人に恬淡とし子にも干渉せぬ
高校生になった不肖の息子は
自衛隊を否定しモスラに憧れ
おそろいの早生まれを憎んだ
金は嫌いだと嘯き気ままに暮らし
何度も無心に頭を下げた
できるだけのことはしてやったが
諭す言葉は出てこなかった

今生の別れは二〇一〇年だった
家に残った姉と戻った妹と
六十五年間連れ添った妻は泣き
不肖の息子は淡々としていた
上の空のようでもあった
それから丸三年が過ぎたころ
不肖の息子が一人でやってきた
己の幼さ寂しさに気付いたという
還暦を迎えた不肖の息子である
               (了)

2015年3月2日月曜日

花ちゃんの木(ショートストーリー)


 公園の広場の一角、遊具の並ぶ近くにねむの木がある。樹齢三十年ほどだが、寿命の短いねむの木としてはすでに老木である。そのせいか少しひねくれている。
(葉っぱが重くて堪らないんだよう。早く秋になってくれよう)
 それに引き替え、ねむの木は思うのだが、風に聞く寺の本堂脇の〈なんじゃもんじゃの木〉は立派である。いつも大勢に根元を踏みつけられているにもかかわらず、文句のひとつも言わず、春には白い花吹雪を盛大に舞い散らして人々を喜ばせるのである。しかも恋愛成就、縁結びの取り計らいまでするらしい。なかなかできないことである。乙女人気が出るわけである。
 しかし今日はねむの木の前にも一人、少し年かさは行っているが乙女が座っている。もう見知って二十年程にもなる、いわば幼馴染である。最初は親子三人で遊びにきており、母親が死んでからは一人で、そして最近は彼氏と二人でやってくることも多い。
「……いま風邪ひいて病院に来ててもう少しで名前呼ばれるところなので、ってどういうことよ。またドタキャン?」
 乙女は声に出してメールを読み、何本にも編み分けた長い髪を指で梳き、その携帯電話をしまう。ひときわ大きな溜め息が漏れる。
(そりゃまたひどい言い訳じゃないか。最初っから言い訳する気もないのかバカなのか。どっちかだな)
 聞こえないのをいいことに冗舌になるねむの木である。ねむの木が知るところ乙女はこれで五度目の失恋である。いまの携帯電話の相手は自称日本サッカー協会の契約通訳者で嘘吐き。その前の二人、競馬のジョッキーになりそこねた青年とバーの店長には「重い」と遠ざけられた。システム・エンジニアだった男は相談もなしに突然職場を辞めてきたので乙女のほうから別れを切り出した。その後、男は背中に刺青を彫った。
 五人目、つまり最初の彼氏は、再婚した父のもとから十六歳で飛び出したときの同棲相手であった。当時、美容師見習い。しかし三年目の冬、あまりに意気地なしだというので、この場所に打ち捨てたのである。そうこうするうち乙女は二十五歳になっていた。
 乙女は泣いているようである。
(何が良くないんだろうねえ。背も高いし器量だって悪くない。ここへくる男たちはすぐに結婚話を持ち出されるのが嫌みたいだけど、男と女がいて恋愛をするっていうのは結局子孫を残すためなのだから、当り前だと思うんだけどねえ。面倒くさいけど)
 ねむの木は人間の事情についてはあまり詳しくないのである。
 乙女が結婚にこだわるのは中学校しか出ていない学歴が少し引け目になっていて、きちんと結婚をすればなんとなく皆と肩を並べられると考えているからである。あまり恵まれなかった家族というものへの憧れもある。
 しかし乙女は十分皆と肩を並べて生きているのである。十六歳のときの保険のセールス助手からはじめて、いまでは人気洋服店の店長である。頑張っているのである。そして仕事の成功や失敗のたび、すぐここにやってくる。彼氏も連れてくる。大切な話は必ずここでする。そういう姿をずっと見てきたので、さすがのねむの木としても応援したい気持が湧いているのである。
(どうしてあっちのお寺の〈なんじゃもんじゃの木〉にお伺いを立てないのだろう? よし、私が代りににいろいろ聞いてきてやろう)
 夢の中であちこち出かけられるのが、ねむの木の特技なのである。

 日が暮れるとねむの木はたくさんの細長い葉を畳む。それと交代して、紅が滲んだ化粧刷毛のような可愛らしい花が開く。
(もういい年なのに、止めときゃよかった)
 愚痴をこぼしながらずるずると公園を出る。すぐ向かいの入口から寺の境内に入り、細い坂道を登り、左手の階段を上って山門である。月明りの中、葉を閉じたねむの木はまるで黒い植物ゴミである。
「これはこれはミモザ姫、よくお越しになられました」
 落ち着いた低い声は本堂の左にぼうっと浮かぶ白い影だ。
「おお、スノウフラワー卿。こんな夜半にわざわざお出迎えとは畏れ入ります」
「ここが私の定位置でございます」
 ほっほっほっ、とスノウフラワー、つまり〈なんじゃもんじゃの木〉は声を上げて笑った。スノウフラワーとミモザは互いの英名なのである。そしてこれはかくしゃくぶりを競う即興の芝居なのである。

「つまり、その娘御は婚活中であると。……コンカツ、食べものではありませぬ」
 ひと通りねむの木の話を聞いた〈なんじゃもんじゃの木〉が鼻にかけたようすでいう。しかし今夜は指南を仰がなければならないのである。混ぜっ返してはいけない。
「最近とても気になっておりました。もちろん婚活は婚活でたいへんに結構。結構ではありますけれども、実利ばかりが際立つようで……。そうです。結婚はある意味では正しく永久就職で、契約であります。しかしその一方でやはり燃えるような恋、甘い溜め息、眠れぬ夜も必要なのでは、と案じるのです。地位も名誉も財産も、そして未来さえも投げ打って悔いのない恋、素晴らしいじゃありませんか。私も、ここでの仕事は恋愛成就と縁結びの両輪で参りたいと考えておりますし」
 聞くつもりのなかった質問がねむの木の口をついた。
「お言葉の途中ですがスノーフラワー卿、あなたは本当に愛や恋という不思議なものをお解りなのですか? 私たちは男も女もない植物なのですよ」
「これはこれは面妖な。私のそこを疑われますか。……ミモザ姫は男のスノウフラワーがいることをご存じない?」
 ねむの木は驚いて小さな声を上げた。
「……残念ながら女のスノウフラワーはおりませんが。ですから、スノウフラワーには、男と、私のような男女一体の二種類がおりまして、少なくとも男女の恋愛はわかります」
「男同士も」
「そう。恋い慕う気持に性別は関係ありません。話が進みませぬ。私は、ですから、いまお話の娘御にも恋愛をしていただきたい。そういうおつもりで、そして余裕をもって殿方と接していただきたいと思うのです。お話ですと、その娘御はお付き合いが駄目になった途端、また次の彼氏をつくっておられる。たぶんそんなに心から好きというのではなくても、とにかく彼氏にしてしまわれる。けれど結局、それが本当の恋を遠ざけているのよ」
 最後の「のよ」が気になるが、すべてその通りだとねむの木は思うのである。
(じゃれ合う小猫たちみたいな日々を送る代りに、乙女は大人に混じって働いてきた。しかしそのことも影響して知らず知らず結婚を焦るのだとしたら……。恋せよ乙女。たとえご褒美のような一日だけでも)
「それで実際にどうすればよいのでしょう」
「ミモザ姫、あなたが直接お話しするのです。娘御の夢のなかで−−恋する乙女におなりなさい。でも恋はするものではなく落ちるもの。〈なんじゃもんじゃの木〉がそう言っていた−−とお伝えください。何かが変わります」
 手短に礼を述べ、山門の階段を下りかけたねむの木の背中に〈なんじゃもんじゃの木〉が大きな声を張り上げた。
「今夜のミモザ姫のお姿は本当に残念でした。娘御のところへは、その小さなボンボンみたいなお花の姿でお出でませ」

 白から紅紫色に開く小さなボンボン。丸い綿毛のようなねむの木の花がひとつ、月も星もない夜の闇を静かに滑っていく。
 私鉄沿線の、街の明かりが少ない側に立つ縦に長いマンションの六階が乙女の部屋である。薄暗い明りの下、ねむの木の想像に反してひどく簡素な、家具らしきものはベッドと小さなテーブルだけのひと間の、そのテーブルに乙女は俯していた。
(恋する乙女におなりなさい。でも恋はするものではなく落ちるもの)
 眠っているらしい乙女の頭上で教わった通りの言葉を唱えた瞬間、ねむの木は後悔した。
(なんだかバカバカしいねえ。こりゃうまく乗せられたかもな)
 しかもかすかに聞こえる音楽は乙女のイヤホンから漏れてくる。
 早々に去ろうとしたとき、乙女がゆっくりと頭をもたげた。気付かれたのである。乙女はイヤホンを外しながら左右を確かめ、それから上を向く。丸まると見開いた目。すぐに涙があふれだした。その瞳の輝きを魔法のようだとねむの木は思った。
「ママ? ママね? ねむの木の花の香りがするもの」
 思い掛けない成り行きに戸惑ったねむの木は咄嗟のおまじないのように〈なんじゃもんじゃの木〉から教わった言葉を囁いた。
(恋する乙女におなりなさい。でもね、恋はするものではなく落ちるもの)
 それから、なにがなにやら判らぬまま甘酸っぱい気持がこみ上げてきて、ねむの木は乙女を固く抱き締めた。とても深い安らぎが訪れ、そしていつの間にか眠りについた。

 はなさん、店長、と呼びかける声が聞こえる。目を上げると芝生のほうから数人の男女が楽しそうに近づいてくる。乙女がいる。昼間なのにサボって閉じ気味にしていた葉が我知らずさわさわといっぱいに開いた。                (了)