2015年3月2日月曜日

花ちゃんの木(ショートストーリー)


 公園の広場の一角、遊具の並ぶ近くにねむの木がある。樹齢三十年ほどだが、寿命の短いねむの木としてはすでに老木である。そのせいか少しひねくれている。
(葉っぱが重くて堪らないんだよう。早く秋になってくれよう)
 それに引き替え、ねむの木は思うのだが、風に聞く寺の本堂脇の〈なんじゃもんじゃの木〉は立派である。いつも大勢に根元を踏みつけられているにもかかわらず、文句のひとつも言わず、春には白い花吹雪を盛大に舞い散らして人々を喜ばせるのである。しかも恋愛成就、縁結びの取り計らいまでするらしい。なかなかできないことである。乙女人気が出るわけである。
 しかし今日はねむの木の前にも一人、少し年かさは行っているが乙女が座っている。もう見知って二十年程にもなる、いわば幼馴染である。最初は親子三人で遊びにきており、母親が死んでからは一人で、そして最近は彼氏と二人でやってくることも多い。
「……いま風邪ひいて病院に来ててもう少しで名前呼ばれるところなので、ってどういうことよ。またドタキャン?」
 乙女は声に出してメールを読み、何本にも編み分けた長い髪を指で梳き、その携帯電話をしまう。ひときわ大きな溜め息が漏れる。
(そりゃまたひどい言い訳じゃないか。最初っから言い訳する気もないのかバカなのか。どっちかだな)
 聞こえないのをいいことに冗舌になるねむの木である。ねむの木が知るところ乙女はこれで五度目の失恋である。いまの携帯電話の相手は自称日本サッカー協会の契約通訳者で嘘吐き。その前の二人、競馬のジョッキーになりそこねた青年とバーの店長には「重い」と遠ざけられた。システム・エンジニアだった男は相談もなしに突然職場を辞めてきたので乙女のほうから別れを切り出した。その後、男は背中に刺青を彫った。
 五人目、つまり最初の彼氏は、再婚した父のもとから十六歳で飛び出したときの同棲相手であった。当時、美容師見習い。しかし三年目の冬、あまりに意気地なしだというので、この場所に打ち捨てたのである。そうこうするうち乙女は二十五歳になっていた。
 乙女は泣いているようである。
(何が良くないんだろうねえ。背も高いし器量だって悪くない。ここへくる男たちはすぐに結婚話を持ち出されるのが嫌みたいだけど、男と女がいて恋愛をするっていうのは結局子孫を残すためなのだから、当り前だと思うんだけどねえ。面倒くさいけど)
 ねむの木は人間の事情についてはあまり詳しくないのである。
 乙女が結婚にこだわるのは中学校しか出ていない学歴が少し引け目になっていて、きちんと結婚をすればなんとなく皆と肩を並べられると考えているからである。あまり恵まれなかった家族というものへの憧れもある。
 しかし乙女は十分皆と肩を並べて生きているのである。十六歳のときの保険のセールス助手からはじめて、いまでは人気洋服店の店長である。頑張っているのである。そして仕事の成功や失敗のたび、すぐここにやってくる。彼氏も連れてくる。大切な話は必ずここでする。そういう姿をずっと見てきたので、さすがのねむの木としても応援したい気持が湧いているのである。
(どうしてあっちのお寺の〈なんじゃもんじゃの木〉にお伺いを立てないのだろう? よし、私が代りににいろいろ聞いてきてやろう)
 夢の中であちこち出かけられるのが、ねむの木の特技なのである。

 日が暮れるとねむの木はたくさんの細長い葉を畳む。それと交代して、紅が滲んだ化粧刷毛のような可愛らしい花が開く。
(もういい年なのに、止めときゃよかった)
 愚痴をこぼしながらずるずると公園を出る。すぐ向かいの入口から寺の境内に入り、細い坂道を登り、左手の階段を上って山門である。月明りの中、葉を閉じたねむの木はまるで黒い植物ゴミである。
「これはこれはミモザ姫、よくお越しになられました」
 落ち着いた低い声は本堂の左にぼうっと浮かぶ白い影だ。
「おお、スノウフラワー卿。こんな夜半にわざわざお出迎えとは畏れ入ります」
「ここが私の定位置でございます」
 ほっほっほっ、とスノウフラワー、つまり〈なんじゃもんじゃの木〉は声を上げて笑った。スノウフラワーとミモザは互いの英名なのである。そしてこれはかくしゃくぶりを競う即興の芝居なのである。

「つまり、その娘御は婚活中であると。……コンカツ、食べものではありませぬ」
 ひと通りねむの木の話を聞いた〈なんじゃもんじゃの木〉が鼻にかけたようすでいう。しかし今夜は指南を仰がなければならないのである。混ぜっ返してはいけない。
「最近とても気になっておりました。もちろん婚活は婚活でたいへんに結構。結構ではありますけれども、実利ばかりが際立つようで……。そうです。結婚はある意味では正しく永久就職で、契約であります。しかしその一方でやはり燃えるような恋、甘い溜め息、眠れぬ夜も必要なのでは、と案じるのです。地位も名誉も財産も、そして未来さえも投げ打って悔いのない恋、素晴らしいじゃありませんか。私も、ここでの仕事は恋愛成就と縁結びの両輪で参りたいと考えておりますし」
 聞くつもりのなかった質問がねむの木の口をついた。
「お言葉の途中ですがスノーフラワー卿、あなたは本当に愛や恋という不思議なものをお解りなのですか? 私たちは男も女もない植物なのですよ」
「これはこれは面妖な。私のそこを疑われますか。……ミモザ姫は男のスノウフラワーがいることをご存じない?」
 ねむの木は驚いて小さな声を上げた。
「……残念ながら女のスノウフラワーはおりませんが。ですから、スノウフラワーには、男と、私のような男女一体の二種類がおりまして、少なくとも男女の恋愛はわかります」
「男同士も」
「そう。恋い慕う気持に性別は関係ありません。話が進みませぬ。私は、ですから、いまお話の娘御にも恋愛をしていただきたい。そういうおつもりで、そして余裕をもって殿方と接していただきたいと思うのです。お話ですと、その娘御はお付き合いが駄目になった途端、また次の彼氏をつくっておられる。たぶんそんなに心から好きというのではなくても、とにかく彼氏にしてしまわれる。けれど結局、それが本当の恋を遠ざけているのよ」
 最後の「のよ」が気になるが、すべてその通りだとねむの木は思うのである。
(じゃれ合う小猫たちみたいな日々を送る代りに、乙女は大人に混じって働いてきた。しかしそのことも影響して知らず知らず結婚を焦るのだとしたら……。恋せよ乙女。たとえご褒美のような一日だけでも)
「それで実際にどうすればよいのでしょう」
「ミモザ姫、あなたが直接お話しするのです。娘御の夢のなかで−−恋する乙女におなりなさい。でも恋はするものではなく落ちるもの。〈なんじゃもんじゃの木〉がそう言っていた−−とお伝えください。何かが変わります」
 手短に礼を述べ、山門の階段を下りかけたねむの木の背中に〈なんじゃもんじゃの木〉が大きな声を張り上げた。
「今夜のミモザ姫のお姿は本当に残念でした。娘御のところへは、その小さなボンボンみたいなお花の姿でお出でませ」

 白から紅紫色に開く小さなボンボン。丸い綿毛のようなねむの木の花がひとつ、月も星もない夜の闇を静かに滑っていく。
 私鉄沿線の、街の明かりが少ない側に立つ縦に長いマンションの六階が乙女の部屋である。薄暗い明りの下、ねむの木の想像に反してひどく簡素な、家具らしきものはベッドと小さなテーブルだけのひと間の、そのテーブルに乙女は俯していた。
(恋する乙女におなりなさい。でも恋はするものではなく落ちるもの)
 眠っているらしい乙女の頭上で教わった通りの言葉を唱えた瞬間、ねむの木は後悔した。
(なんだかバカバカしいねえ。こりゃうまく乗せられたかもな)
 しかもかすかに聞こえる音楽は乙女のイヤホンから漏れてくる。
 早々に去ろうとしたとき、乙女がゆっくりと頭をもたげた。気付かれたのである。乙女はイヤホンを外しながら左右を確かめ、それから上を向く。丸まると見開いた目。すぐに涙があふれだした。その瞳の輝きを魔法のようだとねむの木は思った。
「ママ? ママね? ねむの木の花の香りがするもの」
 思い掛けない成り行きに戸惑ったねむの木は咄嗟のおまじないのように〈なんじゃもんじゃの木〉から教わった言葉を囁いた。
(恋する乙女におなりなさい。でもね、恋はするものではなく落ちるもの)
 それから、なにがなにやら判らぬまま甘酸っぱい気持がこみ上げてきて、ねむの木は乙女を固く抱き締めた。とても深い安らぎが訪れ、そしていつの間にか眠りについた。

 はなさん、店長、と呼びかける声が聞こえる。目を上げると芝生のほうから数人の男女が楽しそうに近づいてくる。乙女がいる。昼間なのにサボって閉じ気味にしていた葉が我知らずさわさわといっぱいに開いた。                (了)

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