2015年3月22日日曜日

歩く人


 学生時代から街歩きが好きで、いいおとなのいまもよく歩く。用向きの外出でも片道十キロくらいなら徒歩で済ませる。おかげで細々とした自営業を遂に離れられなかった。
 見通しが利かないので夜は歩かない。歩く運動が好きなのではなく、ただ人のようす、街の移り変わりを眺めていたいのである。だからとりわけ急ぎの場合はさておき、フーテン歩きになる。気が付けばよそさまの裏庭、などということも何度かあった。歩くなりの服装でもないし、行く末徘徊老人の徴候はすでに顕著なのである。そうした少しばかりの過剰のために、私の歩き方は、いわゆる散歩や散策ではないような気がしている。
 近頃は私が住んでいる街でも空地、空家が目立つようになった。よほど郊外の新興住宅地でもない限り、街区に必ず一つ二つは売地または売家の立て札がある。さらにこれにいわゆる無人住宅が加わる。冬に雪が降ると踏み込んだ足跡のない門内の様子などからそれと察せられるのは、散らかった玄関先、荒れた庭が露になる季節より遥かに寂しい。想像するに、これから月日につれてさらに人の気配は減り、窓明かりのない夜の闇もまた深くなっていくのだろう。
 不思議なのは消えた建物をあまりに素早く忘れてしまうことだ。通り慣れた道筋の一軒であっても、取り壊されてしまえば、途端に思い出すのに努力が要る。そしてやがて取り壊されたこと自体も意識の範疇から失せる。我ながらあまりに潔い翻身は本能であろうかと勘繰りたくもなる。恐ろしいことに現実は易々と過去を侵食するのである。
 住宅地で人が減っている一方、街中には初老の男達の姿が増えてきた。平日の昼日中のことであるから、定年を満了された方々である。これははっきりとここ2、3年の傾向で、つまりは団塊の世代の方々である。
 この街を歩き続けて20年近くの私からすれば、僭越ながら彼等は新参者である。共通の特徴をもっておられる。
 ①単独 ②いわゆるウオーキングスタイルにリュック ③やや早足 ④表通りを歩く ⑤脇見をしない ⑥いささか驕慢または怯懦に見られやすい ⑦肌が薄い
 おそらくは健康のための日課として歩いておられるので①〜⑤は当り前で、街というより路上での振る舞いに不慣れなための⑥もおおいに察せられる。そして私の顔面は外皮と呼ぶにふさわしく厚くゴワゴワである。
 ひと目で判る新参者の皆さんは、多いときには5、6人ほども連なるようにして、表通りを黙々と歩き抜ける。その姿を目にすると、年下の私にはいつもさまざまな記憶や想いが浮かぶ。幼い時分からずっと彼等の背中を見て育ってきたのである。受験戦争、全共闘、ニューファミリー、企業戦士、バブル経済……。彼等の拓いた道を考えもなくただ疾走したこともあれば、目前で締め切られたこともある。
 いままた彼等の背中越しに、一歩先を覗き見ている。たとえば彼等が最後に開拓した〈終活〉という新作法、新商売について、〈健康的な死〉という形容矛盾について、〈多死社会〉という量質転化について、そして歴史について考える。死ぬことばかりではないかと叱られそうだが、これは歴史の大きな転換点だと思うのである。
 団塊世代の方々は平和の申し子である。私にとっては平和の象徴ですらある。だから彼等がこの世から去ったあとに本当に戦後が終るのだという確信がある。団塊の世代がいなくなったという現実が、これまでの過去の記憶を一挙に遠く押し退けてしまう予感がする。戦後が終ったあとにやってくるのは、熱狂するにしろ沈潜するにしろ、おそらくより残酷な時代だろう。私が団塊世代の方々よりも長生きできる保証はどこにもないのだが。
 そして考えてみれば、この不穏な気分の原因は間違いなく彼等、団塊世代がつくり遺していくものなのである。後ろから呼び止めたい気分もある。しかし人生でできることなど多寡が知れている。私もそうだ。そして「ピンピンコロリ」なのである。「国民医療費が……」なのである。このまま黙々とあの世へ、しかも許されることならできるだけ速やかに旅立ってくれなどと願う罰当たりな声が、日増しにあからさまに聞こえてくるのである。それで十分だろう。
 団塊世代の男達は今日も1人で、ウオーキングスタイルにリュックを背負い、黙々と脇見もせず、やや早足に表通りを前進していく。私には到底真似ができない。私はそれほど真面目でも律義でもないし、それにまだときどきは立ち止まったり脇道にそれたりして眺めていたい。                        (了)




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