2015年5月19日火曜日
自分が正しいとは限らない
人はみな違っている。
あたりまえのことだけれど
ときどき忘れがちになる。
だから
どうしてわからないのだろう? とか
どうしてあんなことをするのだろう? とか
不思議に思ったり
ときどきは いらいらしたりもする。
最初から 自分と同じ人はいないのだから と思っていれば
そんな煩わしい思いはしなくてすむ。
ところが
人はみん違っている といっているだけでは
よくないことがときどき起こる。
たとえば 公園などで激しく泣いている子供を見て
なにかあったのだろうか と心配する人と
うるさくて迷惑だと 嫌がる人がいる。
まずは心配し 何事もないようであれば
次に親の対応や態度に目がいくというのが
ふつうだと思うのだが
すぐさま心配でいてもたってもいられなくなったり
怒りを露にしたりする人がいる。
こういう基本的な感覚のすれ違いみたいなものが
最近とみに多くなってきたように思う。
ここまでは
まあ 人はみな違っている といっていられる範囲だ。
ところがこれが
多くの方々に見ていただく文章などに出てくると やっかいだ。
「私はこう感じたのだから」と押し通そうとする人もいて
納得してもらうのに 苦労することがある。
私がお手伝いをさせてもらっている
小さな企業PR誌でも 原稿を募ると
必ずこういう問題が出てくる。
SNSが普及したいまとなっては
きっとだれもが似たような事態を体験しているだろう。
共通認識 共有する感性の問題だと思うのだけれども
それにどう道筋をつけるか と考えるにはずいぶん時間がかかる。
だから いい加減なようだけれども
みんなが「人はみな違っている」のあとに
「自分が正しいとは限らない」とつけ加えておくのが
いまのところの とりあえずの処方だと思う。
難しいことだが 自戒を込めて。 (了)
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