2015年4月30日木曜日
うそ
うそも方便 という言葉がある
方便とは 便宜上の手段 という意味だ
とりあえずの間に合わせ とか
物事をさしさわりなく進めるための方法 である
うそも方便 は実利をいちばんに重んじた考え方だ
本当のことは その実利のために隠されてしまう
なくなってしまうこともありそうだが
本当のことというのは 決して消えない
たとえば
誰かが私の悪口をいっていないだろうか?
と知り合いに質問されたとする
確かにその知り合いの悪口は聞いたことがある
しかしだからといってそのまま答えるのは気が引ける
きっとその悪口の中身も
誰が話したかもいわなければならなくなる
だから そんなことは知らない と答える
ここでそれきりになれば
あなたが聞いていないことになるだけではなくて
質問をしてきたその知り合いのなかでも
自分への悪口自体がなかったことになる
蔭でいわれる悪口など気持のよいものではないから
それでいいのかもしれない
でも もし知り合いが同じ質問を
ほかのいろいろな人にしていたらどうだろう?
そして そのうちの誰かが
ほんとうのことを答えてしまったら?
そして あなたも聞いていたはずだとなったら?
あなたがよかれと思ってついたうそ 方便の
理由が疑われてしまうかもしれない
まわりの人間関係という実利を重んじたために
あなた自身の信用を失ってしまうかもしれない
だからどんなに小さなうそでも
人のためによかれと思ってのうそでも
相当な覚悟がないかぎり 口にしてはいけない
人にうそをつかせるようなこともしてはいけない
それは 本当のことに対する挑戦なのだ
本当のことは
無数に重なり織り合わさっているから
小さなひとつでも なかったことにはならない
窮屈だろうか?
しかし正直に生きていれば それでいいのだ
融通がきかないやつ それでいいのだ
身の回りが本当のことだけになってしまうと
とても気持がいい (了)
2015年4月27日月曜日
鏡・みかけ
人は見かけが大切である
見かけ というと
さもうわべだけのことのように
思われるかもしれないが
やはり見かけには
その人なりのすべてが現れる
とくによく現れるのが 顔である
顔は雄弁にその人を語り
またその人とともに変化する
人の顔は美醜だけではない
快い顔があればどこか不快な顔もある
たとえどんなに美人でも
見る者が不快になってしまう顔はあるし
造作だけ見れば決して美人ではなくても
とても魅力的な顔もある
内面のチカラである
内面のチカラも顔に出る
さらに相性や好みという
見る側の条件もある
いま人気の誰かとは正反対でも
流行りの顔ではなくても
まったく気にすることはない
自分に自身をもって
毎日を生きることが
あなたを美しくする
人相学というものがある
古代ギリシャ時代に
最初のまとまった見方ができたようだ
およそ三千年ほどの歴史になるのだろう
多くの人の顔を観察して
カタチと性格などの共通点を見出した
統計である
私たち一般の人間は
写真というものができてから
ようやく人の顔を
まじまじと見つめられるようになった
とくにテレビができてからは
いながらにして世界各地のさまざまな人たちの
さまざまな表情を眺めることができるようになった
テレビが家庭に入ってからの約半世紀は
それ以前の三千年よりも
顔を見る能力を飛躍的に
広め高めたのではないかと思う
だからますます 見かけが大切である
少なくとも 毎朝しっかり鏡を見てから
出かけよう
そしてもしそこに少しでも翳りや歪みを見つけたら
このごろの生きかたを振り返ってみよう
そんな些細な顔との付き合いだけでも
よい人生のきっかけになる (了)
2015年4月25日土曜日
人という本を読む
人はそれぞれ十人十色 なんていうけれど
やっぱりカチンときたり イライラしたり
どっちが正しいのなんて 思うときがある
だから少し考えてみる
人はみんなどこか違っている
それは考え方だったり 感受性だったり
感情の振れかた 振れ幅だったり
表現のしかただったり
からだの大きさ 強さ弱さだったり
髪の毛や瞳や肌の色 信じている神様
行動のしかた
好きな食べもの 好きな音楽
好きな服装 好きな場所
辛い体験 喜び 悲しみ しあわせ
それに成長するにつれて
いろいろなクセもついてくる
そんなものが全部ひとつに織り合わさって
そのたったひとりの人ができている
どっちがよいとか悪いとかではない
そもそも
みんな生まれ育った場所や時間や環境が違う
それは自分では選べない
でも十人いればその一人ひとりが中心だ
それぞれのモノサシで生きている
それは認め合わなければいけない
私も十人十色のなかの一色で
まわりから見たらとても変な色かもしれない
そんな私がほかの人たちを見て
ああだこうだ なんて思っているのだから
考えてみればずいぶん傲慢な話だ
でもそうして観察をしていくと
少しづつ人を見る目が変っていく
人はまるで本のようだ
思いがけないドラマに満ちている
それをたくさん
見たり聞いたりさせてもらううちに
自分のなかの色が知らず知らずに増えていく
十人十色がわかるまで
まだまだ時間はかかりそうだけど (了)
2015年4月23日木曜日
自分らしいということ
悲しくて悲しくて
悲しすぎて泣けもしなくて 涙も出なくて
身の置きどころがなくて
ただ呆然とするだけだったのに
いまは冗談もいえるし
大声で笑える
こんなのは少し困る
生きる意味がわからなくて
誰も彼もが嘘をついて
誤魔化しているようで
家を飛び出し
一人になったはずなのに
いまは友だちもいるし 親とも話す
生きる意味はまだわからない
こんなのは少し困る
子どものころに憧れていたのは
悪い人を捕まえるおまわりさんで
その次には動物園の飼育係で
その次には学校の先生になりたかった
でも そのどれにもならなかった
夢が百パーセント叶ったことなど
一度もない
だけどなんだか頑張れていると思う
こんなのは少し困る
自分は案外強いのかな とか
反対にちょっといい加減なのかな とか
考えてみるけれど
いつも精いっぱいだったことは確かだから
そういうことではないと思う
いったいどの自分が本当の自分なのか
わからなくて 困る
ただこうして生きてきたつながりがあるから
いま自分はここにいる
そのことに感謝したい
そして
どんなに苦しくて辛くて悲しくても
必ずまた笑える日が来ることを
伝えたい (了)
2015年4月21日火曜日
テクニックの先にあるもの
お金持ちになる方法
強運を手に入れる方法
恋人をつかまえる方法
いろいろな知識を
教えてくれようとする人たちがいる
そのなかから3つを
うさんくさい順番に並べてみた
「お金持ちになれる方法」を
ほんとうに知っているのなら
自分で実践すればよいのだし
人に教えるなんて面倒くさいだけ
「強運を手に入れる方法」には
ごくごくたまに本当もある
たとえば
おおぜいの信頼できる友人をもつことが大切
そのためにはいつも明るく太陽のように
といった具合
これは別に秘密の方法でも何でもなくて
明るくて楽しい人の回りには人が集まり
その人と人とのつながりがやがて
自然にチャンスや実りをもたらす
そういうあたりまえの 本当の知識だ
それをたとえばナントカの天使の教え
みたいに飾ってしまうから
まゆつばものに見えてしまう
こんなふうに
ときどきは役に立つけれど
だからといってそれが本質ではない
という知識がいたるところで
次々に発信されている
なかでもいちばん激しいのが
恋人をつかまえる とか
結婚相手を見つける とかいう
異性関係のジャンルだろう
このジャンルは心理学の応用もあって
本当のことは ここに挙げた
3つのなかでいちばん多い
なかには
自己啓発セミナーのテクニックと
共通するものもある
相手に対してときに冷たくふるまう
否定的な態度も無視する勇気が必要
そんなテクニックを学べば
恋人がつかまえられるかもしれない
ある程度以上の確率で
しかしそれだけでよいのだろうか
それでお互いが
理解しあっているといえるだろうか?
お互いを信頼し 安心して
付き合っていけるのだろうか?
ここにも
ときどきは役に立つけれども
本質ではない知識がある
気をつけてほしい
いつも本質はなにかを考えて
行動してほしい (了)
2015年4月18日土曜日
若者よ きみの時代だ
ひとつ恐ろしいことを教えてあげよう
人は年齢とともに賢明になると思われているが
それは大きな大きな間違いである
アタマの回転の速さでいえば十代が最高だし
遅くなった回転を知識の量で補うにしても
四十代に入ればそれにも限界がくる
それから先は 経験を生かして
ずるく賢そうに立ち回るだけである
年配者が口が重いのは
豊富な知見をもって熟慮しているからではない
まったく考えていないのである
それでああ とか ううとかいっておけば
周囲が勝手に解釈してくれるのである
私の観察によるかぎり
賢くもならず年齢を重ね大人でいられるのは
六十歳くらいまでである
そこからはまた第二の子ども時代がはじまる
還暦とはよくいったものである
たとえば
私の伯母はとても上品な印象の人であったが
老人施設で隣室になった老婆と
居室を覗いた覗かないで諍いになり
ついには「やるか!」と腕まくりをしたそうである
子どもである
だからこれからこの国は
年を取った子どもばかりの国になるのである
だから若いあなたたちには
いまのうちにのびのびしっかり恋をして
笑ったり泣いたり感動したりしてほしいのである
あなたたちがこの時代の第一人者なのである
年上の人間の目など気にしなくてよい
いまの年寄りたちよりもきみたちのほうがもっとうまくやれる
若いうちにどこまでたどり着けるか
人を恋したときに考えてほしい (了)
2015年4月17日金曜日
[ポイント別]恋愛の行動講座(2)
【食事】
ものを食べている姿には、その人の人格、品格があからさまに出る。だからお互いあまり打ち解けていないあいだには、できれば2人で食事などしないほうがよい。なかには人前で食事をするのが苦手というタイプもいるから、念のため何気なく確かめておくのもよい。とはいえいずれにしろいつまでも空腹を我慢してデートをするわけにもいかないので、まずは並んで座れる店(場所)と食べやすい形状のメニューを選ぶ。峠の茶屋のべこ餅などナイスである。もとい、カウンター席のあるレストランが無難である。お好み焼き、もんじゃのようにはじめからぶっちゃけきった食べものというのも、マナー、ふるまいを気にしなくていいのでひとつの手ではある。くれぐれも向かい合った席は取らないように。たいへん緊張する。
【会話】
相手に理解してもらいたいばかりに自分のことばかりを話すのはアウト。会話はあくまで五分五分。むしろ聞くほうが六分くらいのつもりでいると上手くいく。ふる〜いふる〜い言葉だけれども、話し上手は聞き上手なのである。相手が興味をもっていることや仕事、勉強、友だちなどについて、詮索にならない範囲で聞いてみよう。そしてその話してくれた内容に見合う程度に自分の情報も提供する。ここで信頼関係が生まれる。人は誰でも自分のことを親身に聞いてもらえば気持のよいものである。癒されるのである。つまりこれだけで彼氏彼女の役に立つことができる。
【指輪】
指輪には“契約”とか“しるし”の性格がある。別に婚約などはしていなくても恋人に指輪を送っていいのだが、相手の気持の負担になる場合があることは覚えておこう。また、指輪に限らずプレゼントには少なからず相手に対する独占欲、所有欲が秘められているという自覚も大切だ。そしてもし、独占欲や所有欲、つまりプレゼントで相手の歓心を買おうという気持を自分の中でコントロールできないのなら、プレゼントをしてはいけない。別れてから“あんなにいろいろ買ってあげたのに……”は最低である。
【挨拶】
相手の親、家族にはじめての挨拶をする。交際が進めばいつかは遭遇するシチュエーションだ。別に特段改まる必要もなく、ただふつうにしていればよいのだが、基本的に最初から好かれることはないと覚悟しておこう。向こうからしてみれば、あなたは息子か娘が付き合っているというだけの他人である。特別扱いを期待してはいけない。相手の笑顔は礼儀としてわざわざ笑ってくれているのである。くれぐれも勘違いをしてはいけない。あなたと先方とは、たとえれば公園ではじめて出会った2匹の犬がお尻の匂いをかぎあっている状態なのである。ああ、思い出した。はじめての挨拶には香りなしが鉄則だ。匂いは生理的な好き嫌いに直結する。わざわざリスクをおかすことはない。
【駆落】
お互いの親に反対されるなどして思い余った挙句、やってしまうわけである。もし、その反対をしている親なり何なりがわけのわからない鬼畜のような連中なら、一刻も早くとっとと逃げ出せばよい。しかしそうでなければ踏みとどまるべきである。いまは昔と違って流れ者が生きていくのは非常に厳しい。たとえばかつては夜逃げしてきたような2人でもとりあえずは住み込みで働かせてくれるパチンコ店のような場所があった。いまのパチンコ店は違う。いまはそういうセーフティ・ネットがないのである。だから駆落ちをすればただちに生活の危機に直面する。そんな苦労をするのであれば、時間をかけて親を説得するなり、いまいる場所での打開に賭けたほうがよい。もう一度、時間をかけてみんなの意見に耳を傾けて、考えてみよう。冷静に作戦を練ろう。
【破局】
おっと気がついたらすべては勘違いだった、という気分になることはある。この場合の別れかたがいちばん難しい。浮気なんかで相手に裏切られたのなら、気持的には苦しいが別れそのものは簡単にすむ。問題なのは、別に好きな人ができたのでもなく、ただこちらの熱が急に冷めてしまった場合である。そんなワガママな、といわれてもその通りである。自分勝手だ、といわれてもそうなのである。しかし、人を好きになったり冷めたりは気持の問題なので、いくら責められても元には戻せないのである。とはいえ、ただ気持が冷めてしまったので、といっても十中八九その通りには受け取ってもらえない。これは本当に難しい。ひたすら謝って罵詈雑言を浴びせられ続けるしかない。ただし相手がストーカー的な態度を見せたら、躊躇なく毅然とした対応をする。平謝りからのギャップが大きければ大きいほど、ストーカー対策にも別れにも効果的である。 (了)
2015年4月15日水曜日
[ポイント別]恋愛の行動講座(1)
【告白】
ほとんどの場合、好きであれ嫌いであれ、またどうでもいいのであれ、すでに相手はあなたに対してなにがしかの気持、感情、感想をもっている。だからあまり神経質に告白のタイミングにこだわる必要はない。気が向いたとき、出くわしたときに気軽に告白するのがいちばんである。「お願いしますっ!」「ごめんなさいっ!」。すっきりするではないか。ただし、相手に彼氏彼女がいないことを以下の手段であらかじめ確認しておこう。
【確認】
手っ取り早いのはやはり共通の知人、友人を通して確認する方法。この場合の知人、友人はあなたから見て異性であることが大切。同性だと思わぬ抜け駆けにあったり、最悪の場合はそいつがターゲットの彼氏彼女だったりする。また異性に相談しておくと、本命を逃がした場合でも、次にそいつが引っ掛かってくる可能性もある。ネットやSNSは、結局のとろ彼氏彼女がいないことの確証が得られないので使えない。共通の知人、友人がいないとき、また通りすがりなどでどこの誰だかまったくよくわからないというような場合は、いったん潔く諦めることだ。あなた自身の気持がまだ淡い憧れでしかないのに、そのわりには危険度が高い。
【接吻】
「吻」とは口先、くちびるのことである。であるから接吻とはくちびるとくちびるを合わせることで、それ以外の、たとえば頬に接吻ということはありえない。で接吻の方法であるが、これははじめてのときは下くちびるを狙う。目測が大きくずれて鼻にいくよりはアゴにいったほうがケガが少ない。お互いの身長差が大きい場合はソファやベンチに腰かける。上手くいったにしろ若干失敗したにしろその後も緊張が続くのはかなりのストレスになるので、最初の接吻はデートの別れ際がよい。
【嫉妬】
嫉妬は想像力の産物なので、いろいろ想像しなければ嫉妬しなくてもすむ。そうはわかっていてもついつい想像して虜になってしまうのが嫉妬である。自縄自縛というやつである。「Oh, shit!」である。で、楽になるためには、自分の嫉妬(想像)の内容をメモしておくとよい。とくに彼氏彼女のセリフの部分は細かく。数日経ってから読み返すと、自分という人間が客観的に見られてすっと冷める。おそろしくエロかったりする。で、人間も動物なのだ、こんなふうに生きるようにできているのだ、と思えればしめたものである。すでにあなたは恋愛マスターである。
【同棲】【同衾】
「同棲」は一緒に暮らすことで「同衾」は一緒に寝ることである。男の場合の同棲は100%同衾が目的である。でなければヒモ。ふつうの男なら、家賃や生活費の節約なんて二の次、三の次である。したがって同棲をしていても同衾することがなくなれば、それはすなわち男にとってただの集団生活と同じである。集団生活になると、それを上手く回転させていくために日常の雑用の分担など、細かなたくさんのルールができる。窮屈になる。破綻は目の前だ。だからこの先、お互いに1年365日同衾できる自信がなければ同棲はしてはいけない。同棲禁止!
【同情】
打ち負かした恋敵への同情は絶対に禁物である。あなたにその気はなくても、それは勝者のおごりである。恋敵に同情した瞬間、あなたはイヤなヤツになり下がる。問答無用だ。気にすることはない。シアワセな時間は短いのだ。
【温泉】
よくわからないが、カップルで温泉に行くという習俗があるらしい。遠出をして、ちょっと観光らしきものもして、風呂に入って、向かい合わせで食事をして、と相当疲れてしまいそうである。本当は2人ともあまり乗り気ではないのに、みんながやってるみたいだから……、というケースも多いように思う。温泉に限らず、目先の金をかすめ取ろうとするマーケティングにやられちゃっているのである。2人で温泉なんかにいくお金と時間があるのなら、それをためてもっと大きな旅行でも計画したほうがいい。2人の関係も安定する。どや? (続く)
2015年4月14日火曜日
終りのない帰り道
夢の中に何度も出てくる町がある
南側に小高い山があって緑濃く
その反対の北側は海にほど近い
海にはまだ行ったことはないのだが
そこに海があることはわかっている
山の斜面には等高線を引いたように
何本もの小道が通り
その一本ずつの両側に
また一列ずつの住宅が張り付いている
いったん山の坂道を登ってから
等高線の小道を西へ進むと
目的の場所への近道になる
しかし
どこへ行こうとしているのかはわからない
ただざわざわと胸騒ぎがするので
きっとよくないことが起こっているとだけはわかる
しかしだからそこに早く着いたほうがいいのか
それともあまり早く着かないほうがいいのかはわからない
結局
南側の小高い山の頂上まで出てしまう
誰かに会いに向かっていたのか
誰かを待っていたのか
誰かをやり過ごそうとしていたのか
誰かは誰なのか
それはたぶんあなただろうとは思うのだが
あなたとは約束をしていない
いまどこにいるのかさえ知らない
ただざわざわと胸騒ぎがするので
山の上の平らな草地を歩いて行く
明るい日差しが一面に降り注いで
初老のカップルが歩いているのが見える
ばくぜんとあの二人は
あなたとわたしなのかなと思って
慌てて目を逸らす
これは夢なのだからいつかは覚める
この景色があの世の景色ではないように
そう思いながら歩く
草地を横切ると
ついいましがた切り開かれたばかりのような白い砂利道に出た
少しほっとしてその砂利道を降りていく
しかしいったいどこに出るのかは
やっぱりわかっていない
また胸がざわざわしてきて
もう間に合わないのだと思う
何に間に合わないのかはわからない
ただもう取り返しがつかないことはわかる
そしてどこか知らないその場所にたどり着かないかぎり
取り返しがつかないものが何かもわからない
それはきっとあなたのことなのだ
しかし罪の重さも
その罪を償えるのかもまだわからない (了)
2015年4月12日日曜日
打ちひしがれたときには見回してごらん
人を慰めるのは難しい
人や世の中についてそれほどわかっているわけでもないし
はっきりした立場や意見をもっているわけでもない
それでもなんとか立ち直ってもらいたくて
いろいろと考えあぐねているうちに
自分自身の頼りなさや信念のなさに立ち塞がられる
こんなときのために昔の人は神さまを考え出したのだろうなあなどとと思う
自分自身に自信がもてないから
必死に絞りだした慰めの言葉もどこか白々しく弱々しく
ましてや
人の悲しみや苦しみなど簡単に分かちあえるものでもない
結局は何もいわず遠くから見守るのがいちばんなのだろうと思ったりする
でもなんとかしてその人を助けたいのだ
いまは激しく傷つき心折れそうになっているかもしれないけれど
失ったものは二度と取り戻せないかもしれないけれど.
やがていつかまた笑って前を向けるときがくることを その予感を
つかみ取ってほしいのだ
本当にどうしたらよいのだろう
考えているうちに ふと手がかりらしいものが浮かんだ
あの人の慰めになり 気晴らしになれればそれでいいのだから
感謝をもらうとか 私だからとか そういうことではなくて
私自身はいちばん認められず報われないやり方を探して
そのことに黙々と一生懸命に取り組めばよいのだと
ただ笑顔で挨拶をし 全力で日課をこなし いつも同じように でも少しづづ確実に移り変わる景色のように そこに居続けること
おさまるべきものがおさまるべき場所におさまりまた次に繋がっていく世界の一部になること
そうしてきっと再び立ち上がり歩きはじめるあの人の背中を 見送りたいと思う (了)
2015年4月11日土曜日
結婚時間
この人と と固く決意をし
結ばれて一緒に暮らす
二人の毎日がはじまる
そのときから
ぼんやりとした夢でできていた霧が
ゆっくりと風に追い払われていく
現実が少しづつゴツゴツとした姿を現わす
いつまでも同じように
愛情が続くとは限らない
よいときもあれば悪いときもある
一生は長いのだ
わかっていたのに
現実になって目の前に立ちはだかると
こんなはずではなかったと戸惑う
そのとき自分がなにをどう感じるのかまでは
わかっていなかったから
それからは
ときに驚き 幻滅し 疲れて
後ろを振り向くこともある
パートナー同士であること以外に
小さな慰めや喜びを見出したり
忘れようと努めたりするようになる
別に誰にいわれてはじめたことでもない
すべては自分たちの意志で動いたのだ
簡単に途中で投げ出すわけにはいかない
ただそれだけがそこにいる理由になる
愛情は焦りに 諦めに 無関心にかわり
ただ淡々と季節が過ぎるのを望むようになる
皮肉やいい争い
お互いを傷つけあうだけの喧嘩もして
愚痴をいい 溜め息をつき
ただその日いち日をやり過ごす
ささやかな喜びがあった日は
笑いあい 乾杯をし 写真を撮り
こうして自分も少しつづ年をとっていくのだと
もう若くはないのだと お互いの顔を見る
そうして長い長い年月が経って
砂漠の中の一粒の砂のようなある瞬間に
ふと ここが自分の場所なのだと気づく
もしあのとき とか
たとえばあんなふうに とか
そんな自分以外のなにものかと較べようもない
自分だけの居場所なのだと気づく
辛く不恰好な時間の果てで得たものがそれである
そこでしか出会えない自分やパートナーや家族
シアワセといえばシアワセだし
こんなものかといえばこんなもの
だから結婚なんて
誰としても同じというのも正しいし
また本当に真剣になって考え抜かなければ
というのもまったく正しい
時間に身を捧げるのはあなただ
ただ いつもどんなときであっても
誰かのせいにだけはしてはいけない
その瞬間にそれはあなたの人生ではなくなる (了)
2015年4月9日木曜日
ホントは結婚知らずの結婚嫌い
たとえばよく知っている誰かが恋人を見つけ
とてもシアワセそうに見えても
それはその人たちのシアワセで
私のものであったことはないのだから
羨ましくもないし関心もない
違う家庭に生まれ
微妙に異なる価値観のなかに育ち
別々のものを食べ、見、聞いてきた男と女が一緒に暮らす
当然、行き違いや摩擦も起こる
意識するにせよしなかったにせよ
恋人同士の時代には抑えていた自我を
いつかは解放しなければならない
それを受け容れるのは
お互いにとってひどく苦痛な作業だが
いつかは必ずそのときがくる
恋愛感情も性的好奇心も
一人を相手にそう長続きはしない
とくに近親者には本能的なタブーだ
そういうふうにできている
それでも長く夫婦でいるのは
忍耐と惰性のおかげだ
人は自分で考えている以上に惰性を好む
こんな事情は誰にでも想像がつくし
それでも結婚をしたがるのは
今日では生活の安定とか老後の安心とか
そういう実利の考えが主なのだろう
実利であれば効率を求める
年の差婚だの後妻ビジネスだの
全部が全部とはいわぬまでも
打算が先に立ってくる
こうして結婚はますます法律によく馴染む
美しいものや永遠を求める魂は
もうとっくにどこかへ行ってしまった
ああ、魂
この言葉すらが懐かしい
たとえばよく知っている誰かが恋人を見つけ
とてもシアワセそうに見えても
それはその人たちのシアワセで
私のものであったことはないのだから
羨ましくもないし関心もない (了)
2015年4月2日木曜日
草臥れて
ビールを2缶買って帰ろう
よく眠れるように
哀しい夢を見ないように
大切なものから失っていく
愛した者ほど傷つけてしまう
そんな惨めさを少しは忘れていたい
今夜は土曜日
月曜のことはまだ考えなくていい
何のためでなくても
生きてさえいれば
哀しみが溶ける日が来るかもしれない
きみが帰ってくるかもしれない
冷蔵庫に何か残っていたろうか
気がかりなのはそんなことだけ
叱ってくれた声ももう思い出せない
大切なものから失っていく
愛した者ほど傷つけてしまう
そんな過ちを繰り返してばかりでも
とにかく今日のところは
いちおう辻褄はあっているようだし
今夜は土曜日
月曜のことはまだ考えなくていい
何のためでなくても
生きてさえいれば
哀しみが溶ける日が来るかもしれない
きみが帰ってくるかもしれない
2015年4月1日水曜日
優雅な日本人
なにもかもががおぼろげで
悲しみがあふれている
よく生きようとしてきたはずなのに
握りしめた手のひらには苛立ちと憎しみばかり
これが人生というのだとしたら
ずいぶん惨いものだな と思う
見送ったあとの身のおきどころなさと
遥かに届かぬ遠い思い
窓の向こうの空に重ねた願いと祈り
どうやらそれすら過ちだったらしい
これが人生というものだとしたら
ずいぶん惨いものだな と思う
迷いくたびれて立ちつくす朝は
悲しみで胸がいっぱい
打ち明けるべき秘密などないし
新しいドアを開ける気力もない
これが人生というものだとしたら
ずいぶん惨いものだな と思うんだ
連詩「4月」
天真爛漫に振る舞うことを
許されなくなってから
声の裏に張り付いている
表情ばかりを探っている
*
あの人だきっと
それは屍の味だと
教えてくれた人
海の辛さに驚く僕に
*
世間の誰しもが
自分より大人に見える
下っ端の根性
嘯くあなた
*
微笑みを絶やさず
穏やかに席を立つ
証拠を奪い返した
犯罪者のごとく
*
明日だと決めたその夜
抱きたくてたまらなくなった
「死ぬ気で頑張れ」という
矛盾は解決した
*
きみの手首は柔らかい
両手で握って
祈るしかできない
*
孤独だと呟いて
思い浮かべる裏切り者の顔
だから、まだまだ大丈夫さ
それでも春は
親しげだった顔が いまは陶器のように固く冷たく
あからさまに時間の無駄だといっている
やさしかった微笑みを 憐れみが歪めている
オレとの約束はひとひらの枯れ葉より軽い
一日を生き延びるたびに大切な想いを失う
まだ使い果たしていないはずのオレの人生のクレジット
なのにどうしても暗証番号を思い出せない そんな気分
誰を責めているつもりもないさ オレも裏切ったし
ほら歌っている
冷たい雨は きっと雪になるだろう
なにもかもが悪くなるばかりだ
これが落ち目ってやつなんだろうな
思い出す子どもの顔は いつも笑っている
思い出すあなたの顔は いつも泣いている
人生を見失っていたんだ
思い出に光を求めれば それだけ闇が深まるばかり
もし父さんだったら こんなとき
どんなふうに切り抜けただろうと いまは思うよ
本当に愚かなことだけど もう一度聞かせてくれれば
よく飲み込めそうな気がするんだ
ほら歌っている
冷たい雨はきっと雪になる
なにもかもが悪くなるばかりだ
これが落ち目ってやつなんだろうな
小鳥たちは飛び立っていく
陽の当たる空を飛びたいから
ここにこうして立っているだけで精いっぱいで
とてもあなたの所までは辿り着けそうにないな
ほら歌っている
冷たい雨が降っている きっと雪になる
なにもかもが駄目になるばかりだ
これが落ち目ってやつなんだろうな
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