2015年4月9日木曜日
ホントは結婚知らずの結婚嫌い
たとえばよく知っている誰かが恋人を見つけ
とてもシアワセそうに見えても
それはその人たちのシアワセで
私のものであったことはないのだから
羨ましくもないし関心もない
違う家庭に生まれ
微妙に異なる価値観のなかに育ち
別々のものを食べ、見、聞いてきた男と女が一緒に暮らす
当然、行き違いや摩擦も起こる
意識するにせよしなかったにせよ
恋人同士の時代には抑えていた自我を
いつかは解放しなければならない
それを受け容れるのは
お互いにとってひどく苦痛な作業だが
いつかは必ずそのときがくる
恋愛感情も性的好奇心も
一人を相手にそう長続きはしない
とくに近親者には本能的なタブーだ
そういうふうにできている
それでも長く夫婦でいるのは
忍耐と惰性のおかげだ
人は自分で考えている以上に惰性を好む
こんな事情は誰にでも想像がつくし
それでも結婚をしたがるのは
今日では生活の安定とか老後の安心とか
そういう実利の考えが主なのだろう
実利であれば効率を求める
年の差婚だの後妻ビジネスだの
全部が全部とはいわぬまでも
打算が先に立ってくる
こうして結婚はますます法律によく馴染む
美しいものや永遠を求める魂は
もうとっくにどこかへ行ってしまった
ああ、魂
この言葉すらが懐かしい
たとえばよく知っている誰かが恋人を見つけ
とてもシアワセそうに見えても
それはその人たちのシアワセで
私のものであったことはないのだから
羨ましくもないし関心もない (了)
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