ふとテレビを見たら皇太子妃雅子(55)のスチールが映っていて、たぶん最近の写真だと思うのだけれど、その立派な眉毛に驚いた。雅子の眉毛はむかしからベタ塗り気味ではあったけれども、それがくっきり究極の黒になり、しかも眉尻がかなり高く上がって描かれている。完全な戦闘モードである。
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ベタ塗り眉が見事にそのときどきの精神状態を表していることを、私たちは徳洲会グループからの献金問題で辞職に追い込まれた当時(2013年)の猪瀬直樹(72)でよ〜く確認させてもらった。苦しい答弁に追われていたときにはほぼ水平の眉であったけれども、辞意を表明した2013年12月19日の眉毛はまさに名古屋城の金のシャチホコのようにみよ〜んと反り返っていた。
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べた塗り系の眉といえば私は最近では菜々緒(30)が脳裏に浮かぶ。雅子、直樹、菜々緒、と3人並べて共通するなにかもっともらしいことをいうとすれば、人さまの目をたばかる、いい方が悪ければ意識しているにせよ無意識にせよ、自己演出に賭ける度合いが高いということだろう
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それにしても猪瀬直樹とは!! 猪瀬直樹でベタ塗り眉毛の話とは!! 2016年だったか蜷川有紀(58)との交際がバレたあたりから、いやそのずっと前、やっぱり2013年に国会で五千万円分の札束を模した包みをおのれの証言通りに手提げバッグに詰め込もうと四苦八苦していたあたりから、猪瀬直樹は私の好きなタイプになっていたのだ。
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そういえば私もなんの気なしに眉毛をさわりながら本を読んでいて、気づけば右の眉毛の後ろ半分がなくなっているのを発見して思わず悲鳴を上げたことがあった。
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なにをいいたいかといえば、皇太子妃雅子はようやくなにごとかから解放されて前向きに生きられるようになってきたのではないか、と思うのだ。それは同時に精神科医・斎藤環(57)がいうところの生きる意味を失ったときにはじまる「実存の鬱」を埋めるものが現れたということだろう。
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「実存の鬱」? そんなことをいいはじめたらあーた、あーたも私もとっくに「実存の鬱」に悩んでいなければならないではないか? である。しかし少なくとも私はすこぶるご陽気である。つまり「実存の鬱」は人を選ぶらしい。であるから理解できない人たちからは「実存の鬱」で苦しんでいていも“なにをいってんだか、贅沢病じゃないの? ”などと責められたりする。これが辛いらしい。私はなーんにも辛くない。
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まあ斎藤環としては生きるために頑張りすぎて潰れる従来型の「生存の鬱」に対比して「実存の鬱」という新しい考え方があるということをいいたいのだろう。
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で、皇太子妃雅子の「実存の鬱」を慰めたものはなにかといえば、簡単にいってしまえば「権力」だと私は思う。もう数日で雅子皇后と呼ばれるのだ。国の母だ。たとえば先代の天皇および皇后が現役のあいだは秋篠宮紀子と序列の違いはあれど同じ地平に立っていたものが、5月になればまったく別の次元に引き上げられるのだ。
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大袈裟にいうと、もう自分をあれこれ詮索するヤツはいない、みんなこれからは私に怯えて生きろ、である。小室圭? 誰? それ? みたーいな。秋篠宮? 一生スペア、みたーいな。そしてこのときの周囲の変りようを、詮索から忖度へ、といってもいいかもしれない。単純すぎるようだけれども人間なんてそんなもの。
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もちろん雅子の側からしてみればそうなってあたりまえの経緯もある。これまでの皇室内での雅子を見てみよう。ちょうとどいい具合に『NEWSポストセブン』がまとめている。↓
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◆『NEWSポストセブン』2019年3月14日配信
【雅子妃のご体調が劇的回復、改めて振り返る「人格否定発言」】
《 5月に皇后陛下になられる雅子妃殿下。皇后になられることへのご覚悟もあり、ご体調は近年、劇的に回復しているが、ここまでの道のりは平坦ではなかった。ジャーナリストの友納尚子氏がレポートする。
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雅子妃が適応障害と診断されたのは2004年のこと。だが、ご体調の変化から病気かもしれないとご自分で訴えられたのは、それよりも遡る、2001年に愛子内親王殿下が生まれた後だった。
愛子さまご誕生の前から、お世継ぎについての重圧で雅子妃は疲弊していた。
宮内庁の幹部の中には「雅子妃は外国に行きたがってばかりで、お世継ぎ問題を真剣に考えていない」と歪んだ見方をする人が多かったのだ。実際には、両殿下はお子さまの誕生を待ち望んでおられたが、恵まれなかった。18年前のことだが、子どもができるのは当たり前で、できないのは女性が悪いという時代錯誤な見方が残っていた。
結婚から8年が経ち、ようやく世継ぎ誕生となったのだが、早々に第2子の男子が期待された。宮内庁としては皇位継承問題を考えると、手をこまねいているわけにもいかなかったのだろうか、その苛立ちは雅子妃に向け続けられた。
雅子妃は身も心も疲れ切っていた。そしてご自分の存在を見失われて、ご体調は悪化の一途をたどったのだ。にもかかわらず、責任逃れから周囲はそれに理解を示さなかった。宮内庁のある職員は「雅子妃は体調が悪いと訴えて、やりがいがないと思われている国内公務に消極的なのだろう」と漏らすほどだった。
こうした事情から、皇太子はやむなく2004年5月に「人格否定発言」をご発言、多くの波紋を呼んだ。宮内庁と東宮家の間は隔たりが大きくなったようにも見えたが、この発言によって、ようやく雅子妃に精神科の専門医がついたのだ。同年7月に、ご病気は適応障害と正式に発表されたが、雅子妃がご病気になってから、3年以上もの歳月が経過していた。
「早期治療ができなかったことは、雅子妃のご回復までを長引かせている要因の一つかもしれません」と東宮関係者が語るように、今でも悔やまれる対応だった。
精神疾患には、治療をサポートする周囲の環境が絶対に必要だった。皇太子は、ご病名発表後も宮内庁からの理解が完全とは言えない中、たとえ“雅子さまワールド”と揶揄されようとも、雅子妃を支え続けてこられた。愛子さまの成長なさる存在も大きかったという。
こうして、雅子妃はご家族と東宮職に見守られて、その時にできる公務を懸命に続けてこられた。ご体調によっては、急遽お出ましになれなかったり、反対にその日に出られることもあったりしたことから“ドタキャン”“ドタ出”などと皮肉な表現で報道されることもあったが、ご公務の回数よりも継続を目標に据えて歩んでこられた。
今でもご療養中の身であることに変わりないが、そのご努力は実を結びつつある。皇太子妃としての思いは確実に国民に届いている。》
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しかしだからといって皇太子妃雅子の前途は洋々というわけでは決してないだろう。逆にこれまでよりも酷く落ち込む可能性すらある。と私は思う。美智子妃と比較されるという大問題が待ち受けているからだ。世間に蓄積された過去の記憶と闘ってもまるっきり勝ち目などない。
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したがって雅子妃としては、百害あって一利なしの無意味な比較を世間にさせないためにも自分自身の健康のためにも、美智子妃とはできるだけかけ離れた存在、皇后像であるべきだと私は思う。究極の黒ベタ塗り眉毛よフォーエバー!!(了)
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