2016年6月5日日曜日

蛭子能収は魔物。オモチャにしてると、とんでもないことになるよー



魔物、蛭子能収(68)です。昨日(2016年6月4日)から初主演映画『任侠野郎』が公開中です。きっとまたなにか恐ろしいことが起こるのではないか、と心配です。



なにしろ蛭子能収、ビートたけし(69)からは「蛭子さんは旧日本軍のような残忍さを感じる」と告白され、明石家さんま(60)からは「笑う悪魔」と評された人物なのです。



たとえば、よく知られたエピソードには以下のようなものがあります。あらかじめお断りしておきますが、私はオカルトのたぐいを信じていません。

・ビートたけしが番組で 蛭子能収と共演し、サイン本を貰った直後、例のバイク事故を起こした

・その後、大竹まこと(67)や山田まりや(36)も、蛭子能収と共演直後に交通事故を起こした

・仕事かなにかでイヤな目に遭わされて、「あの人死ねばいいのに」と思ったらほんとうに交通事故に遭ってしまったなどということは、何度もあるらしい



これらのエピソードは、どちらかというと、明石家さんまがいう「笑う悪魔」の部分でしょう。ビートたけしの、「旧日本軍のような残忍さ」に相当すると思われる部分は、もっと壮絶です。



・実の息子をマンガに登場させ「いらない」と丸焼きにするシーンを描いた

・セックスの際は避妊をしない。できた子どもは堕胎させる

・死産だったのか堕胎の結果なのかは不明だが、子どもに障害があったため医師に「標本として欲しい」といわれ、“喜々として”「あげますよ」と答えた

・『踊る! さんま御殿』で岸部シローが妻を亡くしてからの生活について語っていたとき、「奥さんと別れたんですか?」と唐突、不躾に聞き、岸部シロー(66)を「死んだんだよ!」と、明らかに不快にさせていた。しかし、これにも「へへ、すいません」と平気だった



まあ、いずれも巷間伝えられるところでは、というお話なのでどこまでほんとうかはわかりません。でも“らしい”話ではあります。こんな蛭子能収 の“鬼畜伝説”で数多く語られているのが、葬儀の最中に笑ったというものです。これもご紹介しておきましょう。



・知人の葬儀で「参列者全員が神妙な顔をしている」ということがおかしくて笑った

・逸見政孝の追悼コメントをテレビ局から求められた際、なぜか笑顔で話してしまった

・自身のファンクラブ会長の葬儀で、棺の中に自著『なんとなくビンビン』が納められているのを見て笑いが止まらなくなり、会葬者をあ然とさせ、連れだされた
・その後、お化け屋敷の壁に絵を書く仕事をもらったとき「こんなことなら会長の死体もらってくればよかった」といった



・ビートたけしの母(享年95)の葬儀に参列し、ニヤニヤ笑っていたため北野家の遺族を激怒させた

・自身の親の葬儀でも終始笑顔で、親類にたしなめられた

・その、親の葬儀を兄弟揃って笑顔で過ごしたあと、2人でパチンコに出かけようとして親戚一同に止められた



はい。これら葬儀に関する笑いのエピソードは、「笑う悪魔」と「旧日本軍のような残忍さ」の両方にかかっているような気がします。恐ろしいヤツです。というか不安をまき散らすヤツです。



実は、こうして原稿を書いていてもなんとなく背筋がゾクゾクしてくるんですね。これで後ろからこっそり能収に近づいてこられて首筋に息でも吹きかけられたら、完全に失神KOです。湿疹でなくて。



蛭子能収に不安にさせられるのは、正体がはっきりと掴めないからです。理解できれば不安はなくなります。嫌悪とか恐怖とか、もっとはっきりした悪い感情を抱くことにはなりますが。ともかく、落ち着かないソワソワした気分からは開放されます。



ビートたけしのいう「旧日本軍のような残忍さ」というのは、よくわかるような気がするのです。いつもニコニコ穏やか素朴な好い人で、そんな、ニコニコ穏やか素朴な好い人のまま残酷なことをしてしまう、日常と地続きの残忍さですね。



ふつうの、人の好い市民が戦争に行って残虐行為を働き、それで戻ってきてまた人の好い市民として生活している、それはいったいどういうことだろうか? という疑問が京都大学霊長類研究所の設立のきっかけになったという話を聞いたことがあります。



で、私としては、「旧日本軍のような残忍さ」はなにも旧日本軍に原点があるのではなくて、猿までさかのぼれるのかはともかく、たぶん江戸時代の、とくに農村部には色濃かったのではないか、と勘ぐっております。そして個人それぞれの考えや意思が最初から育つ余裕がないほど共同体の縛りがきついところに、それは生まれるような気がします。



つまり、お上が許している、とか、上からの指示とかいうことが、江戸時代の農民である彼にとっては全宇宙なのです。そのことについて考える角度すらもっていません。



ですから、“お上のいうことは絶対だー”といえる人と、この江戸時代の農民の彼とは、ほとんど無限の隔たりがあります。“お上のいうことは絶対だー”といえる人はアタマでそう考えているのに対して、この江戸時代の農民の彼は、“お上のいうことは絶対だー”が肉体化しているのです。



江戸時代の農民? ん? なにをおっしゃいますやら。それは蛭子能収にきまっているではないですか。蛭子能収の底はきっとそんなものです。いやいや、なにか七面倒くさい話になって申し訳のないことです。



しかし、さらにさらーに、問題は「笑う悪魔」です。明石家さんまのいう「笑う悪魔」とは、「邪気」をまとっている、とか「邪気」を運んでくる、というイメージだと思います。科学的な根拠はありませんけれども、「邪気」はむかしからしばしば実際にあるもののようにも扱われてきました。



禍いをもたらす「悪気(あっき)」という言葉もあります。悪いにおいの空気、とか濁った空気、とかのほかに、“人に災いをなす気”という意味があります。どちらかというと「邪気」は人寄り、「悪気」はもっとモノ寄りの感じです。ですから「邪気」よりも「悪気」のほうが大がかりで根深い雰囲気があります。



「邪気」が病気を流行るとすれば、「悪気」は運命まで左右します。まあ、話の便宜上ですけど。たとえばよくいわれるのに、家系の中に突出した人物が現れると、どうもそれ以外の人はパッとしない、あるいは薄幸な道を歩んでしまうということがあります。これもなども、「悪気」の一変種かもしれません。明石家さんまがいっていたことなので、リアリティがあります。



蛭子能収は、傑出した人物かどうかは別にして、「笑う悪魔」なわけです。周囲を無意識のうちに不幸にするという意味で、私は萩本欽一(75)、岸部シローの2人と蛭子能収をあわせて、日本3大疫病神と呼ばせていただいております。畏れ多いことです。



もとい、リアリティはありますが、どうしてそんなことが起こるのかがわからないので困るわけです。世の中には私たちの目に見えない“気”が渦巻いている、などというと十年一日のごとくのスピリチュアリストみたいですし。



こういう場合、目には見えていないけれども、証明されてはいないけれどもなにかかありそうだ、という場合は、いまはまだ検知不可能なレベルの物質だとかエネルギーだとかが連想されます。されますけれども、この場合の、人の運命を左右するとかいう大きな話になるとお手上げです。



それで、というわけですけれども、まあ、ここはひとつ、幸運の量、任せられる仕事の量というものが人それぞれ決まっていて、なにかの弾みでそれ以上の幸運や仕事を掴んだ場合、それは実はほかの人の分を横取りしているのだ、というような妄想で、とりあえず我慢していただけないでしょうか?



で、ともかくです。蛭子能収は、そんな「笑う悪魔」と「旧日本軍のような残忍さ」をあわせもつ、実に稀な人物なわけです。そして恐ろしい。魔物です。ですから私はほんとうに映画『任侠野郎』に関わった方々のことが心配です。



とりあえず共演者は、トリンドル玲奈(24)NGT48北原里英(24)、中尾明慶(27)、橋本マナミ(31)、柳楽優弥(26)、安田顕(42)、佐藤二朗(47)「千鳥」の大悟(36、千鳥)などなどです。脚本は福田雄一(47、「HK 変態仮面」)、監督はテレビバラエティ畑の徳永清孝です。みなさん、これから彼らになにが起こるか、ぜひご注目を。



ああ、意地悪ついでに申し上げますと、『任侠野郎』の企画制作には日本テレビも一枚噛んでおります。いま絶好調の日本テレビ!! これを節目に凋落の一途、とならなければよいのですが……。いえ、決して顔は笑っておりません。



蛭子能収。1947年10月21日生、68歳。天秤座。血液型O型。自分のことを「オレ」と呼ぶ。(了)


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