2016年6月7日火曜日

「女子高生」のなにがいいなんだか、さっぱりわかりません



世の中にはいろいろな趣味、クセ、病気があって人それぞれだ。しかし私は、どうしても盗撮というものが理解できない。警官や教師もすなる盗撮というものを、吾もしてみむとするなり、という気持ちには到底なれない。



いったい、あんなスカートの中を写してなにが面白いのだろう。実際、ネット上に流通している「盗撮画像」を見ても、なにも感じるものはない。薄暗い闇のなかに、ピンぼけの両脚と、生パンだのパンストだの、きっとたまーにTバックなどが映っているだけである。



で、被写体が生パンの女子高生なんかの場合、その両脇からはみ出た尻たぶの肉がちょうど目に似て、どことなく宇宙人グレイである。なにがおもしろいのか? それまでのキャリアを賭けるほどのものか? 見たいのか? 撮りたいのか? 自撮りするヤツはいないのか?



最も信じ難いのは、スカート内盗撮の場合、被写体の顔がまったく映っていないことだ。せめて顔が写っていれば、「全顔主義」の創唱者である私は10分間は眺めていられる。だからたぶん盗撮をする男は、スカートのなかのあの薄暗い空間それ自体にこそひき付けられているのかなあ、とも思う。



そう。盗撮にはほかにもいろいろとある。トイレ盗撮、浴場盗撮、シャワー盗撮。 浴場盗撮、シャワー盗撮は女の裸が見たいのだろうと考えれば理解できそうなものだが、今日び女の裸がそんなに貴重品というわけでもないし、全部が全部、美しいわけでもない。



うーん、と考えてひねり出したのが、次の「スリル仮説」である。そんなエラそうなものでもないが。間違っているかもしれないけれども、とりあえずこう考えれば私のアタマのなかでは整理がつく。



性的興奮をひき起すものといえば、触覚、視覚、嗅覚などの五感がすぐに思い浮かぶ。で、これらに加えて危機感、緊迫感がある。露出趣味、不倫の背徳感もこれに含まれるであろう。



この緊迫感を得るための手法として「盗撮」があるのではないか。そしてそれぞれの趣味嗜好にあわせてスカート内からトイレまで、さまざまなバリエーションに別れていくのではないか。で、これにさらにコレクションの楽しみが加わる。



「盗み撮りする緊迫感」が先か「見たい欲求」が先かといわれれば、両方がひとつのセットになって、快感の仕組みができあがっているのだと思う。どちらが欠けてもダメ。そしてその次に「コレクション」。



だいたい、途切れ途切れに聞こえてくる盗撮犯が告白する動機も、スリル、見たかった、何枚も撮り溜めているうちにもっと欲しくなった、という順番のように思う。



であるから、盗撮の魅力の半分は万引きのスリルと同じものでできているのである。まあ、こんなことは、わざわざいわれなくてもあたりまえの話ではある。



そういえば、むかしむかし、と話を変えるのである。あろうことか盗撮のテクニックを解説した『アクションカメラ術』(KKベストセラーズ、1981)なる本が出版されてベストセラーになったことがあるのである。



『アクションカメラ術』の帯にはこう書いてある。「興奮また興奮! 女の決定的瞬間 女の下半身はこう撮れ! プロも目をむくテクニック テレビ・ラジオで反響轟々!!」。マジかー。目をむくかー。



70年代の戦闘的なウーマンリブが跡形もなく潰えた1980年代、女はいまよりそうとう激しくオモチャ扱いだったのだろう。日本全国津々浦々、幼児的なサディズムの香りが充満していたのである。おそろしいことである。



ちなみに著者の馬場憲治(65)という男は演歌歌手、石川さゆり(58)の元夫である。しかも2人は『アクションカメラ術』が出版された1981年に結婚しているのである。離婚は1989年。



スカートの中を盗み見るというだけなら、あの「側溝男」があまりにも鮮烈である。頭上を通りかかる女のスカートの中を盗み見るために、深さ約60cmの側溝に5時間も潜んで昨年11月に逮捕された、神戸市の28歳の男である。



「多い時で年間80回ぐらい側溝内に入った」と自供しているように完全な常習犯で、2年前にも逮捕されていたのである。このとき男は「生まれ変わったら道になりたい」という名言を残している。



そして昨年11月に再逮捕された際に残した言葉は「自分の長所はどこでも寝られること」と、「短所は側溝に入ってしまうこと。興奮してやめられない」だそうである。いったいなにがどうして。しかし、だけれども、私にとってみれば、わけのわからなさという点で、ほかの盗撮犯とかわりがない。



ああ、あとキングオブコメディの高橋健一(45)が女子高生の制服など約600点を盗んだという事件も、まったく理解できない。高橋健一の気持ちがわからないのである。軽トラックで駆けつけ、学校に忍び込み、部屋に溜め込む。たいへんな情熱、制服にかける熱い想いだとは思うが、その情熱を自分の中で想像することができない。



いや、理解できない、わからない、といって切り捨てようとしているのではなくて、想像力でもってなにがしかの理屈は付けられるけれども、犯人達のその高揚、興奮、いってみれば利益を、どうしても追体験できないのである。



したがって私としては、これらの行為が行われていることも、それを禁止する法律があることも、そしてその法律によって裁かれる人がいることも、すべからく虚ろなのである。虚ろというか、まあほんとうに別世界の出来事、他人事なのである。といって逃げるつもりはない、とクドいのは理解する努力の放棄こそ最大の悪だと思うからだ。



おお、そうだ。「女子高生」というものにも特別な興味はない。盗撮にしろ窃視にしろ、衣裳フェチにしろ、その対象に設定されるのは、圧倒的に「女子高生」が多い。なにも犯罪被害というだけでなく「女子高生」は、可愛さ、さらに性的魅力までもイメージさせるキラーフレーズである。



男が女子高生を好むのは、その後の生殖可能期間が長いから、という説がある。生きものとして本能的に子孫をたくさん残せる相手を選んでいる、というのである。ほんとうか? 生殖可能性でいえば次は「女子中学生」の時代がくるのか?



しかも、仮に本能は子どもがたくさん欲しいと叫んでいても、なけなしの理性は子どもできたらヤバいなー、とかこっそり思っているわけで。あるいは閉経後の超熟女が好きという男もいるわけで。



実際のところ「女子高生」がもてはやされているのはバージニティ崇拝だろう。処女をありがたがり、崇め奉るというやつ。であるから、たとえば「女子高生喫茶」みたいなのは成立しても「女子高生風俗」は成立しない。「風俗」と処女性は相容れないので。



「巨乳女子高生」は成立しても「キンチャク女子高生」とか「カズノコ女子高生」とか「三段俵締め女子高生」は成立しない。くどいのう。



「女子高生喫茶」と「女子高生風俗」の、そのギリギリの隙間をついているのが、いわゆる「JKビジネス」、という見方もできる。客としてはなんとか処女を夢見る余地が残されている。



「女子高生」の人気の理由に仮にランキングづけをすれば、処女性がダントツの1位で、ぐっと下がってモロモロを含めて「若さ」だろう。エネルギーだとか、可能性だとか、健康、明朗。



だーがしかし、繰り返しになるが、私はここにも、「女子高生」にも特別な興味がない。もちろん自分が高校生の時代にはあったが。「女子高生」同士がキャッキャッいっているのを見かけると楽しそうでいいなあ、とは思うけれども、それだけである。制服姿に胸躍るなどということは絶対にない。



こう考えてくると、私にはなにか大きなものが欠落しているのではないか、と不安になってくる。盗撮、窃視、衣裳フェチ、「女子高生」、全部ダメである。ダメであたりまえ、百歩譲ってラッキーのたぐいだが、それでもなんとはなしにもの寂しい。



盗撮、窃視はさておき、衣裳フェチだとか「女子高生」に興味をもてないと、アニメなどいわゆるサブカルの相当部分にも反応できない。それでもいいやい!! と強がることはできるけれども、なんとはなしに寂しい。



おもしろきこともなしこの世のすさびに
盗撮犯の情熱わかりたくもありわかりたくもなし (了)


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