私はほんとうにわがままでイヤな子どもだったのである。たとえば家族の誰かが頭が痛いなどといいだすと途端に機嫌が悪くなり、自分の部屋に閉じこもってしまうのである。まあ、気遣いの言葉のひとつもかけてやらない冷たいヤツだったのである。
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しかし弁解させていただければ、それは頭が痛くなった誰かを、たとえば団らんの雰囲気を壊すからといって嫌っているのではなく、心配して気を揉むのがイヤだからなのである。子どもが傍でいくら気を揉んでもどうにもならないということを知っていたからである。そしてこちらまで暗く辛く落ち込んだ気分になってしまう。だから途端に機嫌が悪くなる。ように見える。人間は孤独だん。
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であるから私はほんとうは気持ちのやさしい繊細な子どもだったのである。可愛かったかどうかは知らぬ。
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そんなわけであるから、ことさら大げさに、なのに独りごとっぽく体の不調を訴える人間が私は苦手である。イヤな気分をそこら中に撒き散らす、と思う。この傾向はオトナになるにつれてさらにエスカレートして、まさにゴキブリのごとく嫌うのである。もちろん私自身も人前で自分の不調を口にすることなどない。ただ黙ってその場を離れて休むか病院へ行くかである。それが礼儀だと思っている。せっかく元気で気分のいい人間まで病の憂鬱に引きずり込むことはない。
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ついでにもう少しいってしまうと、そもそも人から話かけられるというのは基本的に迷惑なことだと心得るべきなのである。最近はここのところを失念している人が多いようであるけれども、そのときにやっていたこと、考えていたことから突然、否応なく注意をそらされてしまうのは困る。それで面白くも可笑しくもないオレ話を聞かされれば私の時間を返せ!! と叫びたくなる。あ、逆ナンとかは別にぜんぜんOKっす。
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そんなわけなので、さんざ痛いとか気分が悪いとかそこら中で独りごとを喚き立て訴えるのでいよいよ心配になり、大丈夫かと声をかけてみると、今度は“いや大丈夫、気にしてくれなくていいから”とかなんとか殊勝な態度に出られるとチカラいっぱいはり倒してやりたくなるのである。こんな私はひどいヤツだろうか?
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いうまでもなく、死もまた病気の苦しみと同じように徹底的に個人的なものである。誰かの代わりに死んでやることはできないし、逆に代わってももらえない。しかし死は病とは違うところもある。それは誰でも必ずそれを迎えなければならないことだ。
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人間はいつか死ぬ、きっと死ぬ、必ず死ぬ。あなたも私もあの人もいつかきっと必ず死ぬ。生きているあいだは1分1秒も休まず確実に死に向かって前進し続けているのである。いったい人はなんのために生まれてくるのかといえば死ぬためだ。ということもできる。しょせん人間なんてハジキのタマみたいなもんですけ。
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自分もそう遠くない未来に死ぬのであるから人さまの死に気をとられているヒマなどないはずなのだけれども、人さまの死ばかりが気になる。自分のことは棚に上げて残念でしょう、悔しかったでしょう、あるいは大往生でしたね、などと思う。
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それでも病気や死と闘っていて声を上げずにはいられなくなる気持ちがわからないわけではない。わからないわけではないけれども、病気も死もきわめて個人的なものなので、闘っているその気持ちの核心のところはわからない。そしてそれがたとえ人さまのものであっても、マジメに語ろうとすれば個人的な話になってしまう。
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であるから、そのたとえば闘病の気持なりが個人的なブログで発せられるのならよくわかる。ここまでがプライベートな場面での発言についてである。しかしそこにメディアを誘導する意図が垣間見えたりするとゲンナリするのである。以後、メディアを通した発言、報道、ニュースの場面でのお話になる。
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こんなに長々と前フリをしておいてなにがいいたいのかといえば、だいたひかる(41)が乳癌を告白?(「女性自身」2016年12月20日配信)うるせーよ。ステージ2? そんな話、知りたかねーよ。という気持である。ご理解いただけるであろうか? ご賛同はいただけないまでも。
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たぶん、もし仮にそういう気持を抱いたとしてもそんなことはわざわざ口に出すものではない、だいたいニュースが気に入らなければ読まなければいいだけではないか、とおっしゃるであろう。大人気ない。とはいえ私はこうしたメディアを使っての病状報告そのものに違和感があるのである。メディアが勝手にあーだこーだと言挙げしている場合はもちろん別。
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もちろんたとえば病状の報告などにはっきりとした目的があって、それが実践されているのなら違和感などもちだすつもりはない。たとえば同じ病気をもっている人の参考のため、あるいはそういう病人を支える人の参考のため、というならばたいへんよくわかるし立派なことだと思う。かつては癌をメディアに告白するということには仕事からの漸減的リタイアの表明という意味合い、目的も大きかった。
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しかしながらどうもメディアという対不特定多数の場においても、痛いんだけど、具合悪いんだけど、少しよくなったんだけど、という単なる愁訴が大部分を締めているお話が多いような気がするのである。
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あ? ニュースバリューの問題? いま通りがかりの知り合いからありがたあーいアドバイスをいただいたのである。ニュースバリューっつーことでしょ、と。つまり世間的によく名の知れた人物なら、痛いんだけど、具合悪いんだけどだけでニュースになる、読まれるということである。それ以外の場合は、ニュースとしてはやはりそこになにごとかしっかりと伝えたい内容、公共に貢献できる情報があるか、ということが問題になる。
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んだ。橋本ナマミおっとまた間違いた(by荒木経惟)、橋本マナミ(32)なら読めるけれども、 だいたひかるならマスコミでははじめて語っているはずにもかかわらず、いい加減にしろ!! と怒鳴りたくなるということである。酷い話である。しかしそんなものである。うむ。「ニュースバリュー」、便利な言葉である。これからは“痛いんだけど、具合悪いんだけど”の連呼をニュースバリューがない!! のひとことでアタマから追い払える。
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しかもさらに顰蹙をかうのを承知でいってしまうけれども、だいたいだいたひかる、二番煎じなのである。乳癌では先輩の、しかもステージ4の、そのうえ人気も知名度もケタ違いの小林麻央(34)がいるのである。ニュースバリューではまったく足元にもおよばないのである。『女性自身』もなにを考えたんだか、とさえいいたくなる。
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うむ。
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そういえば小林麻央の病状はいったいどうなっているのであろう? 市川海老蔵(39)も頻繁にブログを更新しているけれども、というか、それが故に、たとえばネットニュースのタイトルでも同じ2月10日に【海老蔵「今日はマオは辛いみたいです」 体温調整に苦しむ妻を気遣う】(「サンケイスポーツ」)があったり【海老蔵「マオはキノコたくさん食べるようです」 食欲旺盛に喜び】(「産経デジタル iZa」)があったりして混乱するのである。ニュースバリューがありすぎるのである。しかし中身もタイトルのまんま。
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で、少し探してみると気になるものを見つけたのである。『NEWSポストセブン』(2017年2月2日配信)、【退院した小林麻央が初めて主治医に尋ねたひとこと】という記事である。抜粋しよう。
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[《今日、退院してまいりました!!》。小林麻央(34才)は1月29日、都内の大学病院を退院して自宅に戻ったことをブログで報告した。
—〈略〉—
麻央は退院後に《今回の入院は底まで行って、考え、弱気になりました。暗くなりました。》(29日ブログ)と吐露している。
乳がんの発覚からおよそ800日──それまで胸の奥底に押さえ込んできた気持ちを、麻央は退院2週間前、思わず口にしたという。
その言葉が記された1月13日のブログは、いつものように誰でも読める設定ではなく、会員限定の記事であり、冒頭にこんな言葉があった。
《悲しい気持ちになる方もいるかもしれないので、読みたい方だけご覧ください》
どれだけつらい状況でも、常に前向きな記事を載せてきた彼女にしては、非常にめずらしい文言だった。
「胸に皮膚転移が見つかり、お腹にも同じ可能性があるしこりが見つかって麻央さんはひどく落ち込んだそうです。口をついて出た言葉が『あとどのくらい生きられますか』──だった。闘病3年目で、このことを尋ねたのは初めてだったそうです。
主治医から『全身療法が効けば生きられる』と言われたものの、自分が余命を聞いたことも、会話の内容も家族にはすぐに報告できなかったそうです。それでもその後、海老蔵さんの見舞いで元気が出た麻央さんはバナナ1本を必死に食べたそうで、『私は今、がんばるべき時』と改めて病魔と闘う覚悟をつづっていました」(芸能関係者)
—〈略〉—
麻央は以前のブログ(2016年10月3日)でも「余命」についてこう語っていた。
《私は、一般的には、根治は難しい状態と言われるかもしれません》《5年後も10年後も生きたいのだーっ あわよくば30年! いや、40年!》
夫の市川海老蔵(39才)も1月9日に放送された『市川海老蔵に、ござりまする』(日本テレビ系)で、「早かったら(2016年の)3、4、5月でたぶんダメだった。夏は絶対無理だと思った」と、麻央が昨年の夏を越せないと思っていたことを明かしていた。]
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のっぴきならない闘いが続いているようである。これを記事にした『女性セブン』の意図が疑われるほどである。市川海老蔵も今年は東京と東京近郊以外での仕事はしないことにしていて、7月に予定されていたニューヨーク・リンカーンセンターフェスティバルでの歌舞伎公演も取りやめている(「女性自身」2017年1月19日配信)。
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しかし性格の悪い私はここでも《悲しい気持ちになる方もいるかもしれないので、読みたい方だけご覧ください》という一文にかすかに「イヤイヤ気にしてくれなくていいから」という雰囲気を感じてしまうのである。そもそも小林麻央のブログやニュースは読みたい人間しか読んでいないわけだし、これから先どこまで応援していいのか戸惑いが生じた読者もおられるであろう。
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え? あ、そう。そうなの。また通りがかりの知り合いが口を挟むのである。ブログの読者はただ小林麻央の気晴しの相手でいいじゃん。それをどんどん真剣になって入り込んでいくからまた勝手に線引きされた気分になるんじゃん。おお、痛いところである。病気も死も個人的なものだん。私が小林麻央になれるわけないもんなあ。今日はアタマのバカが豪快に炸裂しとる。アタマのなかで爆バカが唸る。おお。(了)
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