2017年5月8日月曜日

自分以外の人物のSNSへの写真アップは慎重に。たとえ家族でも



【「父の死を夫がSNS投稿」という新聞記事に様々な意見 「旦那さんが悪い」「何が悪いのか」】(「ガジェット通信」2017年5月7日)という記事を読んでアタマを抱え、それからこれは突っ込みどころがいっぱいだべ!! と少し喜んだ。



「『父の死を夫がSNS投稿』という新聞記事」は、2017年5月7日付の読売新聞朝刊の「人生案内」に寄せられた40代主婦からの投稿である。夫がいらぬSNS投稿をしやがったという妻からの投稿。とりあえず妻からの投稿がどういうものであったか、その抜粋をまずはご覧いただきたい。



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【[人生案内]父の死を夫がSNS投稿】

《 40代の主婦。私の父の死を、夫がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に投稿しました。夫への気持ちが冷めてしまいました。

 父が亡くなった日、夫と子どもの3人で飛行機を乗り継いで実家に向かいました。空港で、夫はベビーカーを押す私の写真を撮り、悪気もなく、「合掌。義父急逝」と投稿したのです。

—〈略〉—

 父は病に倒れて約半年後に亡くなりました。遠距離のため、最後の数ヵ月は会えませんでした。父の死のショックや一人暮らしの母を思う不安を、夫への怒りにすり替えているのかもしれませんが、切り離して考えられません。夫を見ると緊張し、攻撃的になってしまいます。

 配偶者の親がなくなった場合、許可なくSNSに投稿してもいいのでしょうか。》

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さて、ほんとうにこれにはいろいろあるので目に入った順に書いていこうと思う。まず【[人生案内]父の死を夫がSNS投稿】という読売新聞「人生案内」欄のタイトルのどうしようもないダメさである。



このタイトルは投稿の最後の一文「配偶者の親がなくなった場合、許可なくSNSに投稿してもいいのでしょうか。」をそのまま受けているのだけれども、投稿者を悩ませているほんとうの問題はそんな冠婚葬祭のマナーみたいなことではないのは一読して分かるのである。ねえ、わかるでしょ。



投稿者は夫が自分の父の死をSNS投稿したこと自体を問題視しているのではない。その投稿のしかた、投稿のなかでの自分と子どもの扱われ方、失礼ないい方をすれば夫のあまりの能天気ぶり、投稿者・表現者としてのスキルの低さにガックシきているのである。そしてさらにそのガックシきている自分にもショックなのである。



いってしまえば夫の人間性にかかわる部分でもあり、これが私の愛した男か? とあまりに酷くガックシきてしまったので、かえってその問題の本質、というほどでもないけれども、自分をガックシさせたものがなんであるかを的確に掴めなくなっているのである。目を逸らしている。



投稿者もご自分のガックシがいったいどこからくるのか、とあれこれ考えていらっしゃるようなのは投稿にも現れているのである。「父の死のショックや一人暮らしの母を思う不安を、夫への怒りにすり替えているのかもしれませんが、切り離して考えられません。夫を見ると緊張し、攻撃的になってしまいます。」。



「夫を見ると緊張し、攻撃的になってしまいます。」というのは、夫から受けた侮辱的といってもいいほどの無神経な扱いに対する激しい怒りがあるのだけれども、それをまだ直視できていないことを示している。クドい? ごめんね。そう、投稿者は夫がそんなバカだと認めることをまだ無意識に拒んでいるのである。



でもって、夫がそんなバカだとは認めたくないので、なんとか「配偶者の親がなくなった場合、許可なくSNSに投稿してもいい」わけがないとかいう冠婚葬祭のマナーやそうした世間の常識やがもしかしてあればそれを盾にしてとっちめてやろう、そうすれば少しは心が晴れる、怒りが収まる、と無意識に心が動いているのである。



「夫への気持ちが冷めてしまいました。」と投稿には書いてあるけれども、夫にはまだ愛情があるということである。「40代の主婦」でベビーカーだもの、結婚が少し遅めだったとすればまだそういう奇跡が起きている可能性は十分ある。



なぜだか楽しそうで申しわけない。自分でもよくわからないのだけれど楽しい。しかし問題の本質はそこなのである。おくさん、「夫への気持ちが冷めてしまいました。」って書き方がいささか唐突ですよ。ふぇっふぇっふへへ。これは誰が悪いのかという話になれば、もうはっきり夫が悪い。この妻の夫への怒りはしごく当然である。けれどもそれだけではすまないんだよねえ、おくさん。



夫がバカなお調子者であることはいずれ時間が経てばわかってしまう。今回のSNS投稿の件ばかりでなく、そういえばむかしのあんなこともこんなことも、あれ? あの謎の現象も、そうか、実はただひたすら夫がバカなお調子者だったからだったのだ。いやーだ!! ぜんぶツジツマが合ってしまうじゃないのう。どちらが先かは分からないけれども、夫の正体に気付いたそのときには愛情は完全に消え失せているのである。



しかしながらこの気付き、人生の覚醒は遅くなればなるほどダメージが深くなる。夫への軽蔑、反感、嫌悪が強くなる。顔を会わせる毎日がイヤでイヤでたまらなくウンザリすることになる。うむ。でもってそれだけで済めばまだマシで、さらにすすめばそんな夫を選んだ自分自身を責めるようになってしまう。であるから夫がバカなお調子者だということには一刻も早く気付いたほうがいいのである。



これは世間のあらゆる妻たちに申し上げたいのである。やっぱりそんなバカなお調子者でなければあなたとは結婚などしていないはずなのである。ふぉっふぉっふぉおお。楽しいっ。



それでもやっぱし夫がバカなお調子者だと気付いたときにはガックシ深くうなだれてしまうかもしれないけれども、バカなお調子者ほど扱いやすいヤツはいない、これはむしろラッキーではないか!! とかなんとか考えのもっていき方はいろいろある。離婚するにしても時間をとってしっかりと準備もできる。



うむ。というようなお話がこの投稿から導かれるべき内容であると思うのだけれども、【[人生案内]父の死を夫がSNS投稿】というタイトルからはそのニュアンスがまったく抜け落ちてしまっている。SNS投稿したという父の死の扱いについてだけ視線が向かってしまって、回答者のみなさんをミスリードしてしまう。



実際にこの投稿をネタにした冒頭『ガジェット通信』によると投稿の内容がTwitterに流れて以下のような反応をひき起したらしい。



《—〈略〉—
この主婦の「許可なくSNSに投稿していいのでしょうか」という問いかけに対して、「これはいかん」「自分は許せない」「全てのイベントがネタって考えているんだろう」といった同調する意見が多く見られた一方で、「一概に悪いとは言えない」「何が悪いのか理解できない」「これがブログでも不快なのかな」といった懐疑派や、「SNSではなく旦那さんが悪い」といった声も見られました。》



「一概に悪いとは言えない」「何が悪いのか理解できない」というのはただ単純に投稿記事の読み込みが足りずタイトルに引っ張られた結果なのであろう。もちろんきちんと読んで考えておられる方々もいて、続けて『ガジェット通信』は書いている。



《また、「不快だと思ったことを夫にちゃんと伝えるべき」といった意見や、夫婦感での関係に対して「遅かれ早かれ冷めていた」といった声もありました。親族が葬儀などの場で写真や動画を撮るという経験談も寄せられて、リアルとネットの境界やマナーについて考えさせられる機会にもなっているようです。》



【[人生案内]父の死を夫がSNS投稿】というタイトルのどうしようもないダメさについては以上。次はバカなお調子者、能天気、投稿者・表現者としてのスキルの低さ、といわれたい放題の夫についてである。なぜこれほどまで酷くなじられなければならないのか? いやなじっているのは私だけれども。



それは父の葬儀に出席するために駆けつけた空港でベビーカーを押す妻の写真を撮ってSNSに投稿したそのタイトルがあまりにイカレているからである。「合掌。義父急逝」!! それってどこからのなに目線の話?(by濱松恵)である。WTF ! である。「どこからの」がいいよなあ、やっぱし。濱松恵。



TwitterにしろInstagramにしろ、それから小説やエッセイにしても他人さまを題材にして作品化し、それを公表するときには細心の注意が必要なのはあったり前田のクラッカーである。それがたとえ自分の妻や子どもであっても同じこと。妻や子どもは夫の所有物などではない。むしろ夫のオーナー(飼い主)と考えなければならない。それをすっかりこの夫は失念してしまっている。



で、細心の注意というのは、まずはその題材(他人さま)と自分との関係をきちんと見きわめることである。それはすなわち、その関係のうえで自分に直接求められていることはなにか、期待されていることはなにか、その作品を公表することによってかかわる全員にどんなことが起こりうるか、をきちんと把握することだ。



いいかえれば、どこまでその題材(他人さま)に身と心を寄り添わせられるか、ということがだいいちにある。でとうぜんこのだいいちのステップを難なくクリアしたうえで、次に題材ベッタリだけではなかなか多くの人に伝わるものにはならない、そこから一歩引いて対象化・相対化をしなければ、という課題が出てくる。対象化・相対化するというのはすなわち批評的な視点を導入することであるから、ここがたいへん微妙で難しく、しばしば題材とのあいだのトラブルの原因にもなる。



しかし、そこでこのバカなお調子者の夫は「合掌。義父急逝」なのである。いったいどうしたというんだ? 「合掌」でまず自分が作品中にノコノコと見えざる主役として登場し、しかも題材(自分の妻と子)に身と心を寄り添わせるどころか、遥か彼方に距離を置いて合掌してしまっている。母子像を拝んでいるわけではあるまいに。



実の父を亡くした妻、祖父を亡くした子どもをカメラに収めながら「義父急逝」と自分との関係で語る厚かましさ。いやこれは義父が急逝したことで起きた家族の動揺や混乱を叙事的に切り取ろうとして、という気持もわからないでもないけれども、そういう高度な表現をするにはまったくスキル不足なのである。



たとえば中天にかかる満月の写真に「義父急逝」ならわかる。妻と子どもの写真に「義父急逝」だけでもまだわからないでもない。けれども、妻と子どもの写真に「合掌。義父急逝」では「合掌」するのが早すぎるのである。つまりはこの夫が義父の死や妻の気持としっかり向き合っていないことがバレバレなのである。お調子者だから。そういう、ものごとを見きわめるアタマがないのならカメラだかスマホだかを振り回していないでベビーカーを押すのを手伝ってやれ、である。



でもって私はほんとうのことをいえば、この夫はもちろん、読売新聞朝刊の『人生案内』の担当者も「ガジェット通信」担当者も、そしてTwitterに流れた記事に反応したうちの一部の方々も、たいへん粗雑で無神経な感じがするのがひどく寒々しいのである。合掌。(了)



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