2月24日、政府主催の在位30年記念式典がおこなわれ、席上「天皇陛下のお言葉」が語られました。ちょうど遅い昼食(スパゲティナポリタン)をとっていたときで最初から最後までライブで見ました。ひとつの番組を腰を据えて見ることのない“チャンネル魔”のワタクシとしてはたいへんめずらしいことです。
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天皇自身が職務やそれについての想いを総括して語るのを聞くのははじめてでしたからたいへん興味深く、また紋切り型の儀礼的な内容に終始するわけでもなく意外なほど忌憚のない内容も盛り込まれていたので、肉声に近いものを感じてひき付けられたわけです。
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とくに印象深かったのは(↓)この部分です。『日本経済新聞』ネット版の書き起こしからご紹介します。
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《 〜 略 〜
天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。
天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした。災害の相次いだこの30年を通し、不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、健気に耐え抜いてきた人々、そして被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の一つです。
〜 略 〜 》
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「天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、〜」ですよ。とりわけこの箇所は驚きでした。ワタクシはそのときまで「象徴としての天皇」とはあくまでも抽象概念であって、それを人間である天皇が体現しようとしているなどとはまったく考えたこともなかったからです。
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日本国憲法の第1条において天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と規定したのは、“小学4年生程度”の知能しかもたない日本人に民主主義を根付かせようとするGHQの基本方針と、しかし戦後の日本を平和裡に統治するためには天皇の存在が欠かせないだろうという現実的判断のアンビバレンツが生んだ妥協の産物だったとワタクシは考えていました。
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ですからワタクシにとって天皇とは戦後処理と戦後日本のスタートにつきまとう甚だしい曖昧さの象徴でもあったのです。その天皇が抽象概念を生身の我が身をもって体現しようとされていたとは思いもよらぬことでした。しかしそれは論理的に不可能なことです。
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GHQが起草した憲法案では「象徴」の部分は「Symbol」と記されていたそうです。「Symbol」は目に見えないものを形にした「形象」です。「形象」であるなら、旗や家紋のように必要に応じて衆目の前に姿を現せば足りるのでしょうけれども、「象徴」はそうはいきません。1年365日、1日24時間、この場合ですと天皇の存在を通じて「日本国と日本国民統合」は認識されるのです。
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ちなみに「Symbol」が「象徴」になった経緯については白洲次郎(享年83)が以下のように書いています。
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《 この翻訳遂行中のことはあまり記憶にないが、一つだけある。原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人が(この方は少々上方弁であったが)「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、といったのが、現在の憲法に「象徴」と字が使っている所以である。余談になるが、後日学識高き人々はそもそも象徴とはなんぞやと大論戦を展開しておられるたびに、私は苦笑を禁じ得なかったことを付け加えておく 》
※Wikipedia。原典は白洲次郎著『プリンシプルのない日本』電子増補版
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一介の民草であるワタクシから見れば、まことに僭越ながらこれを背負ってしまったことは人としての究極の理不尽、永遠の苦役以外のなにものでもありません。しかし平成天皇はあくまでも日本国憲法に忠実に従い、それを果そうとしていたわけです。
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平成天皇にとっての天皇は日本国憲法によって規定された天皇です。それ以前、大日本帝国憲法の第1条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス(=大日本帝国は、万世一系の天皇が、これを統治する)」と規定された天皇とは一線を画すどころかまったくの別物です。
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平成天皇は徹底して日本国憲法に記された天皇像によってのみ存在し活動してきました。あたりまえといえばあたりまえですけれども、ここに連綿と続く天皇家の歴史であるとか、あるいは代々の身体にうつる天皇霊といった連続性は見られません。国事行為にも天皇の権威というより職分というニュアンスを感じてしまいます。
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「これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」という言葉には、その連続性をここから新しく紡いでいってほしいという願いが込められているように思えます。
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とうぜん日本国と日本国民統合の「象徴」である天皇像が受け継がれていくためには、その前提として現在の国体、体制が維持されている必要があります。平和でなければならないということでしょう。
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日本の歴史、天皇家の歴史全体から見れば「日本国と日本国民統合の『象徴』」であった時代はごくごくわずかです。ほんの一瞬の出来事のようなものです。それでも平成天皇は日本国憲法だけを見て忠実に「象徴」であろうとしたわけです。
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「天皇」がときどきの権力者に担がれ、統治の大義名分のように扱われてきたことが実感として理解できます。
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平成の次はどのような時代になるのでしょうか? それによっては天皇像もまた変るかもしれません。(了)
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