2016年4月10日日曜日
アイドルとは「とりあえず」の集合体。さしこ、こじるり……
美人だとか可愛いだとかいわれているタレントたちのなかに、その形容にどうしても納得しかねる人たちがいる。たぶん好き嫌いの問題なのかもしれない、とエクスキューズしたうえで名前を挙げてしまうと、小島瑠璃子(22)とか、である。
*
なぜこの娘が「ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを受賞したのかわからないし、タレントとして活動できているのかすらわからない。とにかく誰でもいいからピックアップして、何人かは可愛い、人気がある、ということにしておかないと金が回らないという、広告代理店やメディアの都合に乗っかっているのはわかる。
*
わかるが、それにしても限度というものがある。もうしわけないが、といいつつ以前にも書いたか。まるで脱毛処理をした猿である。または痩せたヒバゴン。結婚情報誌、いや結婚式場情報誌『ゼクシィ』のCMで歯を剥き出しにした笑いにはデリカシーのかけらすらなかった。
*
なにを小娘をネタに大のオトナが血相変えて喚き散らしているのか、である。しかしながら、われわれ名もなき民草がこの世知辛い世の中をなんとか生き抜いていくための足場は、最終的にはここにしかないのである。
*
広告代理店やメディアのいうことなどを鵜呑みにしていては、みすみす、金に目がくらんだ連中のマーケティングの餌食になるしかないのである。吐きそうになるまで食べては必死にスタジオで汗をかき、シーズンごとにサイズの違う服を買い揃えるというような愚行を、誰も止めてはくれないのである。それどころかきっと拍手喝采である。
*
こんな世の中で自分を保って生きていくためには、自分の感覚を信じてそれに従って生きることが大切なのである。であるから、小島瑠璃子はブスであると叫ぶことはたいへんに大切なことなのである。
*
もちろん、ことは小島瑠璃子に限ってだけではない。中居正広はハゲだし、木村拓哉はチビである。また、この世の中には目をまん丸くして絶叫しなければならないほどウマい食べものもないということも、はっきりといっておかなければならないのである。
*
*
しかし、またまたそれにしても、と感嘆せざるを得ない小島瑠璃子である。いったいいつからこんなことになってしまったのであろう? それはやはり数撃てば当たる方式の多人数アイドルグループの登場が、その都度きっかけになっているということに、おおかた異存はないであろう。
*
古くはおニャン子クラブ、モーニング娘。で、もろもろあって、一挙にどん底にまでレベルを下げてくれたのがAKBである。前田敦子(24)などは沖縄の屋根の上に座っているシーサーの化身かと思ったくらいである。シドイ。わざわざCDを買って握手しにいくような連中か?
*
それにしても、である。逆接が多いのである。そういうAKBにやられてしまっている方々は確かにいたし、いまもいるのである。なぜそんなに簡単に、しかも見え透いたマーケティングにやられてしまうのだろう?
*
もちろん、アイドルのことであるから、理屈ではなくてパッと見で心を奪われてしまえばそれで終りである。前田敦子に? 小島瑠璃子に? 指原莉乃(23)もシドイ。シドイのに、なぜかアイドルなのである。ここのところがものすごく重要だと思うのである。単に“レベルが下がった”だけではすまされないのである。
*
話を女のアイドルに限らせてもらう。かつてアイドルはスターだった。仰ぎ見られる存在であった。しかしいまアイドルグループを見る目線は水平か、ヘタをするとやや下向きである。「夏菜子のエビぞりジャンプ、すげえ」である。「ヤベー、オレにはできねー」である。まあ、クラスメイトでも見ている視線である。
*
*
かつて高嶺の花の贅沢品であったアイドルは日用品になったのである。そして、これはプロデュースする側の眼力がなくなったからとか、発掘する努力を惜しんでいるから、というばかりではないのである。
*
贅沢品は稀少である。なかなか取り替えが利かない。日用品は毎日消費されていくものだから取り替えはいくらでもある。で、いまのアイドルはすぐに取り替えの利く日用品である。可愛らしさでクラスで5番目以内くらいの感じの女の子が、そのようなアイドルになっていく。
*
で、可愛らしさで5番目くらいの女の子を芸能界に送り出したクラスの男の子は、たぶんテレビやグラビアを通して、はじめてその女の子をマジマジと見つめるのである。実物がそばにいたときにはなかなか声もかけられなかったのに。
*
*
隣の席に座っているユミちゃんとは恥ずかしいし面倒くさいしであまり仲よくなれないけれど、テレビでなら同じような女の子がじっくり見られて、仲よしになった妄想もできるというわけである。ユミちゃんで誰だ? 風間ゆみ?
*
なにをいいたいのかというと、いまのアイドルというのは、すぐ目の前にあるふつうの現実を外部化していくシステムになっているということである。
*
この「外部化」という言葉は、たとえば外食やクリーニング、それから学習塾など、もともとは家庭内でまかなわれていた仕事を家庭の外の業者に任せるようになる「外部化」と同じ意味である。家事の外部化。異性へのトキメキの外部化。
*
平たくいえば、アイドルとはいまやクラスの女子の外部化である。実際に付き合うよりもラクだし。で、ここ20年ほど若い男どもにどんどん元気がなくなってきたのは、こんなふうにさまざまにバーチャル化し、手軽に欲求を満たしてしまっているからなのである。
*
バーチャルで欲求を満たすといっても、AVだとかTENGAだとかオナニーサポートグッズばかりとはかぎらないのである。テレビを見ながら「ねえ、ユミのこと好き? テヘっ」みたいなことを妄想するだけでも、男子の異性に対する欲求はかなり満たされるのである。しかもこれはそうとうに大きな市場をつくりあげているのである。
*
日本の芸能界は、クラスメイトの代替品であふれているのである。かつて星がまたたいていた夜空は、いまやそこらのクリーニング店やファミレスと同じくらいの身近な存在になってしまったのである。
*
40代童貞がめずらしくないのも、20代以下のクルマ離れも、さらに日本の社会全体に元気がないのも、背景にはきっとこうした日常の外部化、バーチャル化があるに違いない、と思うのである。
*
*
で、女子のほうもこういう事情はとうに熟知しているので、いまさら使い捨ての日用品みたいなアイドルになりたいなどとは思わなくなってきているのである。で、これがまた質の低下を招くのだ。
*
おそらく、こうした傾向は世界中でも日本が最も顕著なのだろうと思う。日本の女の子たちは、男の子の気を引くのにも、もうそれほど熱心ではなくなっているように見える。
*
女の子たちはまだ、生きていくために男以上に厳しい競争を強いられていると思うけれども、だからといってクラスメイトの男の子に頼ろうとは思わないのだ。アイドルだのなんだの上の空で生きているような連中に用はない。
*
たとえば韓国では美容整形がほぼ一般化していると聞くが、それはまだ女子と男子の関係が現実のなかに根付いているからのような気もするのだ。つまり、クラスの男の子とカップルになるということに、より現実味が強いのである。考え過ぎだろうか?
*
ともかく、現実を逞しく生きていきたいのなら、小島瑠璃子や前田敦子や指原莉乃が可愛いだとか美人だとかいうデマに流されてはいけないのである。そんなものにびた一文、金を払ってはいけないのである。金を払ってほしければ、ほんとうに可愛い女の子を、ほんとうの美人を連れてこい、という話である。
*
あ? こんなことをいっている私? 私のアピアランス? それは、はっきりいって申しわけないが、ブラッドピットにクリソツなのである。私はブラピクリソツ。マジで。まだそのことには誰も気付いていないが。(了)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿