2016年4月27日水曜日

ベビーメタルは「まがい物」?! 「世も末」?! 失礼ですが……





ピーター・バラカンがBABYMETALを酷評し、ファンがケバ立っているらしい。それがネットニュースにもなって、BABYMETAL、いよいよ大物の気配である。かくいう私もファンの端くれとしてひとこといっておきたいのである。つい4月17日に“最終回答”を書いたつもりになっていたのに。



まずはパーター・バラカンのお説を確認してみよう。『日刊スポーツ』(2016年4月26日配信分)からの抜粋である。記事のタイトルは《ベビメタは「まがい物」バラカン氏発言にファン激怒》。



《25日放送のTOKYO MX「モーニングCROSS」では、海外で人気となっている同グループについて取り上げたが、コメンテーターとして出演したバラカン氏はコメントを求められると苦笑い。「世も末だと思っています」と語った。
ジャンルを問わず様々な音楽に造詣の深いバラカン氏。番組での発言についてツイッターでも問われ、「番組の前からメディアを通じて少しは耳にしていましたが、ぼくは全く評価できません。先入観ではありません。あんなまがい物によって日本が評価されるなら本当に世も末だと思います」とあらためて説明した。》



うむ。そうとう苛立っておられる。論評するに値せず、という態度である。まあ、コメンテーターとして出演している番組で発言を求められて、いやいやなにかをいわなければならならなかったのであろう。ほんとうならきっと「無視するのも見識」といきたかったに違いない。



 

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で、抜粋の最後の部分、Twitterでの質問に返した部分に、BABYMETALファンからの批判、非難が殺到しているというわけだ。いわゆる炎上中。その多くは「まがい物」「世も末」という言葉に対して不快感を抱いている。



ピーター・バラカンの発言についての意見を求める投稿がYouTubeにもアップされていて、4月26日午後4時現在5件の書き込みが寄せられていた。意外に少ない。そのなかの「どう思うも何も、論拠も言わないなら相手しようがない」というコメントがまさしく現状なのだが、これから先ピーター・バラカンがていねいな説明をするとも思えないので、私の考えをメモしておこうと思う。



それにしても、ピーター・バラカンはこういう荒っぽいものいいをする人だったのかなあ、と意外である。堀江貴文(43)の悪影響を受けたか? むかしBABYMETAL関係者に酷い目にあわされたことがある、とか、衆議院議員補欠選挙の結果にはらわたが煮えくり返っている、とか、番組のギャラの遅配が続いている、とか、なにがしかの事情を勘繰ってしまう。



とはいえ、いまのところ手がかりは「まがい物」しかない。「まがい物」、デキの悪いニセモノである。とうぜんバラカン発言に反発しているファンのみなさまは「じゃあホンモノってなんなんだよー」と口を尖らせているはずである。私もそうだ。



こと大衆音楽に関しては、もうホンモノと「まがい物」という時代でもないと私は思う。とくにロックはそうだろう。しかしだからといってロックからは離れられないのである。音楽史的、文化史的な役割からいえばすでにロックは死んでいるのかもしれないが、エイトビートからは逃れられないのである。



そのうえで「ホンモノ」ってなにかなーと考えると、作家性、あと表現のテクニック、スキルがもたらす制約、方向付け、くらいのものだと思うのである。「オリジナリティ」は、大部分、作家性と重なる。



いまの世の中、メロディが似ている、音が似ている、といいだせば、必ずなにかに行き当たるのである。であるから、それをいってもはじまらない。逆によく知られた古い曲でもそこに新しい解釈を込めるチカラがあれば、オリジナルとしての輝きを放つ。作家性である。作家性がオリジナリティを担保する。このあたりは坊主に念仏だろう。



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BABYMETALの音楽は、大勢の人間による分業体制でつくられている。作家性とはほど遠い。つくられる過程は、ひところいわれた産業音楽である。コンピュータを駆使して、どこかで聴いたようなフレーズやギミックを次から次に盛り込む。転調、変拍子が多いので、よけいに切った貼った、寄ってたかってつくりあげたイメージが強いのかもしれない。



では、そんなBABYMETALのなにがおもしろいのかというと、たぶんコミュニケーションするチカラである。どこかで聴いたようなフレーズやギミックを相対化して新しく聴かせてくれるのである。



「おお、ここはMetallicaの「One」ではないか?」
「はい!!! やっぱり「One」は押さえておくのDeath!!」
というようなものである。そこで一瞬のうちにMetallの恐ろしげな牙や爪や血や長髪はおどろおどろしい幻想を剥ぎ取られて、新しい顔を見せてくれるのである。



「ケリー・キングさんの髪の毛がない……、スキンヘッド? スキンヘッドのヘッドバンギングが……、髪の毛はなくても、〜〜〜スゴいなと思いました」(by YUIMETAL)なのである。



 

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相対化するというのは別の意味をもたせる、読み替えるということである。つまり批評行為である。BABYMETAL、ダークなファンタジーランド、METALを破壊しているともいえるのである。



METALへの批評行為は、まだ10代なかばの女の子が歌うことで可能になっているのである。自然にそうなってしまっているのである。本人たちはまったくそうは考えていないのであるが、ファンはそれを楽しんでいる。



付け加えておくと、ライブではさらにまた別な魅力が加わる。聴衆への驚くべき献身がある。それぞれのスキルも十分に高い。そこに感動や共感が生まれる。



「芸術」は選ばれた個人が霊感によって宇宙からすくい取るものかもしれない。かつての「ホンモノ」はそういうものだったのであろう。19世紀までは。しかしいま「ホンモノ」を問うのであれば、製作から流通、そして消費までを含めて考えなければならない。たいへん矮小なたとえになるが、ブランディングの考え方が似ている。



ということで、BABYMETALの音楽は「ホンモノ」でもなく「まがい物」でもないのである。



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ここは「ホンモノ」か「まがい物」か白黒つけようぜ、ではなく、大衆音楽史のなかで考えるのがいいと思うのである。はい。洋楽後進国の日本の音楽ではあるけれども、ロックの歴史の流れの中にとりあえず加えていただいて、そこで歴史的な存在価値があるのか? と眺めてみるということである。



そしてもうひとつは、音楽は官能の世界であるから、BABYMETALのなにが人々を歓ばせ、興奮させているのかを見てみることだろう。BABYMETALの歴史的必然性と官能性、これを考えましょうよ、と。



「歴史的必然」を考える道は2本に別れる。1本の道は、METALという窒息寸前のジャンルにとってBABYMETALの出現は、明白に「歴史的必然」である、というところに行き着く。BABYMETALが出てきて掻き回し、刺激を与えなければMETALに未来はなかったはずだからだ。METAL中興の祖。



まさかピーター・バラカンがBABYMETALはMETALの魂を侮辱している!! とか、METALの伝統を無視している!! とか憤っているわけではあるまい。それで「まがい物」だというなら、おおいに笑えるのだが。



 

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もう1本の道は、ではMETALという枠を外して大衆音楽全体のなかではどうだろうか、ということだ。BABYMETALは普遍性を持ち得るか? 日本のなかでは議論の余地がない。普遍である。というか、これまでの芸能の枠のなかで、幼児から団塊オヤジまで歓ばせている。



だが欧米においては、どう考えても、いつもSu-METALがインタビューで答えるようにはならない。BABYMETALというジャンルは成立しない。BABYMETALは奇妙でおもしろい、というところに留まるだろう。



で、「KawaiiとMetalの合体」は、結局、鬼っ子のようなBABYMETALを打ち上げて終了するのか、といえば、そう簡単なものでもない、と思いたい。少なくとも日本でBABYMETALが生まれたことには必然性があるからだ。根は深いのである。ピーター・バラカンはここを失念してしまっているので、嫌悪感に結びついているのかもしれない。



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前にも当Blogに書いたがBABYMETAL、Kawaiiは、「日本には女の子とオバサンしかいない。オトナの女がいない」といわれる風土と密接に関係がある。そのなかから生まれてきたのである。なぜ日本には女の子とオバサンしかいなくてオトナの女がいないのかといえば、それには長い長い歴史があるのである。



日本にはむかしから、女は幼いときは親に従い,嫁に行っては夫に従い,老いては子に従うものだという心性がある。「女三界に家なし」である。考え方ではなくて、もう心性。深く深く入り込んだ文化的なアザみたいなものだ。



「三界」というのは世界全体のことを差している。つまり「女三界に家なし」というのは、女にはどこにも安住できる自分の場所がない、という意味だ。であるから女は親の、夫の、子の庇護の元で生きていけ、なのである。女に定まる家なし。ヒドーイ!!!



ヒドーイけれども、どれくらいかわからないくらい長ーいあいだ、そういうところに女の地位はあったのである。いまもそうとうそうだろう。無責任ないいかたですまぬ。であるから、女には第一に愛されるべき可愛らしさが求められ、必要であったのである。



どれだけ仕事ができても女三界に家なし。反対にどんなに常識に欠けていたとしても、可愛らしければ引く手あまたなのである。女は愛嬌。もちろん現代ではもう少し事態は開かれている。開かれてはいるが、いみじくもまだ「Kawaiiは正義」なのである。でもって「Kawaiiは仕事」、メシの種でもあるのである。



KawaiiもBABYMETALも、こうした伝統と風土のなかから生まれてきたのである。そういうことで、BABYMETALの音楽でいえば、歌詞の意味なども、ほとんどどうでもいいのである。いや、可愛さをアピールできれば筋道だった意味などないほうがいいのかもしれない。



西欧社会から見れば激しく歪んでいるのである。だからまあ、これをわかってくれとはいってもムリだろうと思う。



しかしながら、Kawaiiがこういう成り立ちをもち、ロリコンやペドフィリアとはまったく関係のない場所で成立していることを理解してもらえれば、BABYMETALのやっていることにも、ある程度の普遍性を見い出しうる可能性はあると思うのである。一種の民族音楽である。おお、こう割り切ったほうがわかりが早い。



 

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で、うーんと「歴史的必然」を考える2本目の道である。日本の大衆音楽の歴史をたどれば、それはほとんど海外からの移入によっている。明治時代、文明開化以来、西洋音楽を一生懸命、模倣してきたのである。模倣、真似、つまり「まがい物」をつくり続けてきたのである。



この19世紀的「まがい物」は「ホンモノ」によく似てしかし非なるものであり、ホンモノが創造した価値の一部をかすめ取ろうとするものである。戦後の歌謡曲、ポップスというジャンルに、とくにそれは著しい。恥ずかしいことである。



そんな日本から、ようやく「ホンモノ」でも「まがい物」でもないBABYMETALが出てきて、世界的な人気を獲得しつつあるのである。ピーター・バラカンがいう「あんなまがい物によって日本が評価されるなら本当に世も末だ」とはまったく逆で、ついにやったぜ!! 日本の夜明けだ!! の気分なのである。



思うに、先の「女の子とオバサンしかいない。オトナの女がいない」という日本の風土と、模倣と受け身に終始してきた洋楽との付き合いかたという事情への目配りが抜け落ちていたことが、苛立った粗いものいいのひとつの理由になっているのだろう。



ピーター・バラカンは桑田佳祐(60)のことはどのように評価しているのだろう? 私は酷い「まがい物」だと思っている。桑田佳祐が海外進出をいっさ口にしないのは、おそらく自分が洋楽の「まがい物」であることをよく知っているからだ。



えーと、あとは官能性のお話。私の場合はツーバス、ドドドドドドドドが好きで。でもってワグナー的大音量とストラヴィンスキー的変拍子もあって、感覚に心地よい、と。それから新しい音色使いが多いところもポイントである。最初にロックに興奮したのはギターの歪んだ音からだったので。はしょってしまったが、これはやっぱり主観の問題である。



突然だが、和田アキ子(66)にはCorpse Paint(白塗り)がきっと似合うと思う。今年は何ヵ所かのフェスに参戦するというし、白装束もあわせてぜひお願いしたいものである。人間椅子の鈴木研一(50)に間違えられるかもしれないが。Cool Japan改めMetal Japanである。あ、そうするとアキ子、今年は白組で出場することになるかも。(了)




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