2016年4月8日金曜日

心霊写真、心霊ビデオを見続けた身に起こったこと





ものごとに集中できないタイプで、たとえばこうしてパソコンに向かって文章を書いていても、書きながら退屈になってきてしまう。で、いつも暇つぶしのためにモニターの隅になにがしかの動画を表示しておく。



ここのところはずっと心霊写真、心霊ビデオのたぐいを見ていた。「ドスペ! 怪奇心霊マル秘ファイル」とか。話は少し寄り道になる。たぶん“ドスペ”というのは「土曜スペシャル」(テレビ東京)の略だと思うのだが、どうも「ドスケベ」に見えてしまうのである。すでになにかヘンなものに祟られているのかもしれない。



「ドスペ! 」がテレビ東京の「土曜スペシャル」だとすれば、いまは“ナントカ乗り継ぎの旅”とか“ナントカ歩き旅”とか、貧乏臭い旅もの専門である。しかしむかしはオカルトものもやっていたのだろう。



ながら視聴に心霊写真とか心霊ビデオの番組がいいのは、どんなに長くても数分でエピソードが終わるところである。であるから、霊障があるといわれるような場所へ霊能者がわざわざ出かけて行って「悪霊退散!!」 なんてやるドキュメントタッチのものは見ない。下ヨシ子という名前の霊能者はたいへん気になっているのだが。



「ドスペ! 」ばかりではなく、『世界まる見え! テレビ特捜部』(日本テレビ)とか、その他にもいろいろ観たのである。新旧ごっちゃにしながら観ていると、心霊写真とか心霊ビデオにもトレンドがあることがわかるのである。



最近のトレンドはボンヤリした影と、ドア、壁、鴨居、家具などの陰から現れる顔である。顔は横になっていたり逆さまになっていたりする。地面に転がっている場合もある。だいたいの場合、白い顔をしている。なので、ほとんど一見してトリックだとわかってしまう。



同じように国や地域ごとの特徴もある。とくに台湾のテレビ局から買ってきたと思われる心霊写真やビデオは、思い切り、はっきりとつくっているのがわかってシラけてしまう。見えない悪霊が倒れた人の脚を掴んで引きずるなどというバイオレンスは、キリスト教圏に多いような気がする。



それにしてもこの手の画像、映像はほとんど無数に存在している感じである。デジタルカメラのおかげだろう。印画紙の時代と違ってフィルム代、現像代はかからないし、うまくいけば売れる。



 

HP Directplus -HP公式オンラインストア- オーネット

DHCオンラインショップ 



で、そんなふうに何時間も仕事をしながら横目で心霊写真だとか心霊ビデオを見続けていたある夜、ふと振り返ると、いつのまにかベッドの上の毛布がたいへん大きく盛り上がっているのである。



ちょうど人ひとりがうずくまって入れるくらいのサイズである。寝乱れたベッドの毛布がそんなに大きな山をつくっているのを見たことがなかったし、また、丸めて盛り上がるようなものもほかになかったはずである。あらー、ついに呼んでしまった?



正直、すっごく怖かったのである。とはいえ毛布をめくり上げてなかを確認する勇気もない。しかし放っておくわけにもいかない。私は再びパソコンに向かい、モニターの端の動画を消し、しばらく固まったのである。誰かがいる気配も、それらしい物音もしないのだが、オッカナイ。



そしてそのまま何分か経ち、しかたなく、いやいやながら、ついに一大決心をしたのである。私はデスク前の椅子に座っていた姿勢からいきなり斜め後方に向けて跳び上がったのである。ベッドの上の不気味に盛り上がっている毛布に、後ろ向きに肘を落とすのである。必殺のエルボードロップである!!



まったく呆気なく毛布の山は潰れ、私はその上に仰向けに寝ていたのである。私以外には誰もおらず、なにも起こらず、静かなものである。平穏である。気がつけば両掌を握り、奥歯を噛み締めて天井を睨んでいたのである。ただそれだけである。



しかし、私の決死のエルボードロップの一部始終をカメラに収めていたとしたら、たぶん、悪霊に取り憑かれた男のドキュメントとして高く売れたに違いないのである。残念なことをした。しかしあんな緊迫したようすは二度とできない。



ソニーストア デル株式会社

 

 



そんなこんなで考えたのである。よくご先祖の霊とか守護霊とかいうのを聞く。で、ご先祖の供養をちゃんとしていないと、いろいろな障りがある、などという。供養というと仏壇なり神棚なりに手を合わせることだろう。



しかし、仏壇や神棚に手を合わせなくても、心のなかで、たとえば亡くなった家族を偲ぶことはできるし、冥福を祈ることもできる。またその逆に仏壇や神棚の前で、拝んでいるフリをしながらバカなことを考えることはできる。



心のなかで故人を偲び、冥福を祈ることで十分であるなら、たぶん仏壇や神棚は要らないはずである。それが絶えることなくいまも存在し続けるということは、要するに目に見えるカタチにすることが必要、ということなのだろう。



つまり、霊というものがあったとして、霊は生きている人間と同じように見たり聞いたりしてものごとを理解しているのである。いくら霊とはいえ、心のなかは見えないのだ。心のなかで手を合わせても足りないのだから。



であるから、気をつけなければならないのは、表情のゆるみである。誰もいないからとバカみたいな顔をしていると、霊に、こいつはバカになったと思われるかもしれないのである。独り言で「バカやろう」なんて呟いていると、誰かを恨んでいると思われるかもしれないのである。



うむ。そうすると誰もいないからとパンツの中に手を入れたりするのもよくないことなのである。でも、どんなものなのだろう? 人間はたったひとりのときにどんな顔でどんなことを呟き、どんなことをしているのだろう? みなさんはいかがでしょう?



まあ、たぶんそんなときの人間のほうが、霊とかなんとかいうものよりずっと怖いのだろう、というのはありきたりのオチである。しかし私のエルボードロップは、他人から見ればやはり怖かったはずである。(了)




ソニーストア

オーネット

デル株式会社




0 件のコメント:

コメントを投稿