2016年4月19日火曜日

片岡愛之助の過去を消し去る「特殊能力」について





自分は絶対安全地帯にいて、誰にも文句のつけようがない正論を声高に叫ぶことほど卑しい行いはない、と思います。それは必ず自分以外の誰かの命を担保にしているからです。やりたいのならいくらでもおやりになればいい。私は加担しません。



言葉は現実の前には無力です。言葉が世界と対等にわたりあえるのは、過去と未来においてだけです。似たようなことはだいぶ以前にも書きました。たとえば地面に落ちているリンゴを指差して、「強い風に吹かれて落ちた」ということもできますし、「時が満ちて落ちた」ということもできます。



また「これを食べると智恵が生まれる」とも「これを奪い合って禍いが起こる」とも、言葉の上ではいえます。そうした言葉のチカラを借りて世界を読み替えようとするたくらみが私は好きです。徒労に見えても、それはときどき世界を理解する有効な手だてである場合もあります。



絶対安全地帯にいて、誰にも文句のつけようがない正論を声高に叫ぶ妻と、言葉のチカラを借りて世界を読み替えようとする夫。うむ。それぞれ自分に強く執着しているぶん徹底を欠いていますが、なかなか好対照です。



 

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片岡愛之助(44)の世界を読み替えるチカラを、『日刊サイゾー』(2016年4月18日配信)は次のように伝えています。

《(“隠し子”とのDNA親子鑑定を要求したなどとする『週刊文春』の記事)に愛之助は「事実とかけ離れた記事」と反論しているが、これは元恋人・熊切あさ美との二股騒動でも使った常套手段。愛之助を知る関係者は「熊切さんのときも本当はポイ捨てに近いのに、彼女がそのことをメディアで主張すると『ウソばかり言っている』と繰り返しました。これが彼の特徴で、都合の悪いことは、なんでも事実無根。かといって、証拠がないから反論することはできない」と語る。

熊切のときも、表では彼女のことをさんざん「ウソつき」呼ばわりしていたが「その裏では弁護士を通じて、破局後の生活費の話し合いには応じていた。やましいことがあるのは自分でも承知しているのに、世間にその姿を見せたくない。だから余計なことを言ってトラブルになる」(同)。

別の関係者によると、愛之助は「自分に不都合なことを記憶から消し去り、新たなストーリーを脳に上書きできる」という“特殊能力”を持つという。

熊切以外にもポイ捨てされた女性は存在するが、別れのきっかけは、いつも愛之助の音信不通。
「昨日まで連絡は取れていたのに、いきなりつながらなくなる。意味がわかりませんよ。後日、関係者が問い詰めたところ、彼は『付き合っていた記憶はない』と答えたそうです。ほぼ同棲していたのに……。特殊能力というか、ちょっとしたビョーキかもしれません」(同)》



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おやおや、「事実無根」とか「ウソばっかり言っている」だけでは、世界を読み替える言葉としては貧弱すぎます。で、それに代わるものとして『日刊サイゾー』が示しているのが《「自分に不都合なことを記憶から消し去り、新たなストーリーを脳に上書きできる」という“特殊能力”》です。



しかし、上書きされるのは「新しいストーリー」ではなく、スペース、空白でしょう。「新しいストーリー」を想像するチカラがあれば、まだ世界と対峙していられるはずです。ひらたくいえば、いいわけすらできないのです。これでは世界を読み替えるチカラではなく、世界から逃走するための「自己の消失」でしょう。趣旨変更。



そんなスケベッチョ愛之助については、さらに象徴的な『日刊サイゾー』の記述があります。《後日、関係者が問い詰めたところ、彼は『付き合っていた記憶はない』と答えたそうです。ほぼ同棲していたのに……。》。



しかし、これは案外そのまま事実なのかもしれません。つまりスケベッチョ愛之助はほんとうに「 付き合っていた記憶はない」のかもしれないのです。共感性きわめて希薄なのは確実ですし。



こうした資質はゲスッチョ川谷(22)にも共通するもので、ゲスッチョは、『週刊文春』のインタビューに答えて、長崎の実家にベッキーを連れていったときの心境について「妻のことは考えないようにした」と答えています。ゲスッチョ川谷の中では、考えないようにすれば、それはないことと同じなのです。



つまり愛之助もゲスッチョ川谷も、自分にとって都合の悪い事実をフィクションによってなんとか繕おうとするのではなく、空白を上書きして消し去り、そして空白のまま放置して平気でいられる精神であるわけです。新しいタイプかもしれません。



 

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なぜこんなことが可能なのでしょう? 私はふたたび“外部化”という言葉を思い起こします。4月10日の当Blogの記事に、「(いまどきの)アイドルとはクラスの女子の外部化である」「異性へのトキメキの外部化」と書いた、その“外部化”です。



たとえば外食やクリーニング、それから学習塾など、もともとは家庭内でまかなわれていた仕事を家庭の外の業者に任せるようになることを「外部化」といいます。それと同じことが精神にも起こっているのではないか、と疑っているのです。



いまはひとむかし前よりも、とくに若い人たちの感情生活が恬淡としている印象があります。それはなぜかといえば、感情があらかじめアニメやコミックスなどで提供される物語に仮託され、外部化されているからなのではないのでしょうか。



少し大げさにいえば、感情は自分の中に自然に湧き上り、ときに自分自身をも振り回すほど強いものではなくなって、フィクションのなかで観賞するものになりつつあるのでしょう。物語の主人公の死に号泣しても、自分の親の死には泣けなかったという人も、いまやそれほどめずらしくはありません。



まあ、そんなことだとすると、スケベッチョ愛之助やゲスッチョ川谷の恋愛感情というものも、きっとむかし通りのモノサシでははかれないものなのです。ときおり垣間見えた恋愛の相手に対する冷たさは、たぶんここからきています。



スケベッチョ愛之助は結婚前、なにかにつけでしゃばってくる藤原紀香(44)がそのためにさんざん嘲笑されても、なんのアドバイスもしませんでした。ゲスッチョ川谷にもベッキー(32)を庇う姿勢は一切見られません。



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で、さらにダラダラと連想は続きます。こうした傾向は、たとえばひどく不合理な環境に置かれていても、その環境に働きかけていささかでも改善を勝ち取ることよりも、自分が変わることで生きていこうとする態度の上になり立っています。いってみれば奴隷精神です。



元ウソつき少年の私としては、奴隷になるくらいなら、どうしてウソをついてでも現実をひっくり返してやろうと目論まないのか、と思いますね。「ウソも100回いえば本当になる」とはかつてのナチスドイツの宣伝相ヨゼフゲッペルスの言葉だとされています。しかし、思うに、正しくは、「100回いえば」ではなくて、「最後までバレなければ」です。最後までバレなければ、最初のウソ自体がなかったことになります。



これはですから完全犯罪で、完全犯罪が成立したということは、犯罪そのものがなかったのと同じことだということです。元ウソつき少年の私は、その手で世界を変えてしまおうと本気で思っていました。



そういう私から見ると、スケベッチョ愛之助やゲスッチョ川谷のスペース(空白)だらけの記憶、精神はたいへんに不気味です。まあ、いつもいつもニヤニヤとウソばっかりついている少年というのも、そうとう不気味で不快でしょうけれど。



“特殊能力”だかなんだか知りませんけれども、結局は言葉をもっていないということです。まじめに考えて、こんなふうにして言葉が失われていくのは、本人にとってもそうとうたいへんなことなのではないか、と本気で深く深〜く憂慮しております。(了)




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