2016年4月22日金曜日
災害支援に「不謹慎」の見張り番。ご苦労さまなことです
4月19日の当Blog冒頭に次のように書きました。
「自分は絶対安全地帯にいて、誰にも文句のつけようがない正論を声高に叫ぶことほど卑しい行いはない、と思います。それは必ず自分以外の誰かの命を担保にしているからです。やりたいのならいくらでもおやりになればいい。私は加担しません。」
*
「絶対安全地帯」というのは物理的な位置のことばかりではなくて、主張や考え方の立場という意味も含めています。むしろそちらのほうが主です。そういう「絶対安全地帯」発言は、たとえば環境問題についての場面などでよく見かけます。
*
「温暖化ガスの排出抑制に、もはや待ったなし!!」。そりゃそうだ。「食べものが捨てられてもったいない」。おっしゃるとおり。では、どうやって?
*
あと「正論を声高に叫ぶ」は、「正論にあぐらをかく」ともいいます。「健康維持のために、腕、膝裏、首、肩のストレッチの回数を増やせ、ふくらはぎをマッサージしろ、股関節を冷やすな、ラップで体を巻け」のたぐい。お言葉ですが、この指図されまくりでつのるストレスはどうやって解消すれば……。
*
*
今回の熊本地震でも、絶対安全地帯で正論にあぐらをかき、支援の名目で自己宣伝に余念のない方々がいらっしゃいます。で、そんな支援のしかたを批判する方々もまた、私には同じように絶対安全地帯で正論にあぐらをかこうとしているように見えます。いわく「こんなときに不謹慎」「被災者の気持ちをわかっていない」。
*
で、自己宣伝をする側も、批判をする側も、キツいいい方になりますが、被災者の方々を人質にとっていることにかわりはありません。ご本人が被災者であるなら話はまた別ですけれど。なんだか他人のフンドシ、の感じでスッキリしません。
*
もちろん、まったくの善意から被災地支援に取り組んでいる方々も大勢いらっしゃいます。また、目に余る無礼に対してどうしても看過できずに注意を喚起したという方もいらっしゃるでしょう。よく承知しております。ここではそういう方々以外についてお話ししています。念のため。
*
で、支援に関する批判はどこに生まれているかというと、義援金を送るのにわざわざ名前を出す必要があるのか、とか、自分の写真は要らないだろう、とか、そのモノのいい方がよくない、とかいう枝葉の部分なわけです。いま、被災地にとって、安全と人、モノ、金、暮しのための情報以外は枝葉です。
*
で、これをまたメディアが「〜に賛否」とか「〜に違和感」といったエラそうなジャッジ含みの取り扱い方をするので、また批判にいささかターボがかかったりします。いきつくところ、なんとなく互いに監視しあう窮屈な世間、にならないのでしょうか?
*
*
具体的なお話をしましょう。女優だかタレントだかモデルだかの紗栄子(29)が、2016年4月19日、義援金振込受付書の写真をインスタグラムに投稿しています。振込額は500万2000円。メッセージは「私も今できることを。子供達もお小遣い貯金を千円ずつ。家族みんなで寄付させていただきます。家族みんなで祈ります」でした。
*
これに対して「募金したことをいう必要はない」「金額まで公表することはない」「訊かれてもないのに金額を書くのは下品」「偽善」「売名」さらには「養育費で寄付」といった中傷まで寄せられています。
*
さらにまた、これらに反応した紗栄子が、4月21日にインスタグラムを更新しています。いわく、「一人でも多くの人が寄付について改めて考えてくださり行動に移してくれたらとの思いで、批判も覚悟の上、実名での振り込み明細を掲載しました」「信念を持っての行動なので、私は何を言われても大丈夫です」。
*
あのー、寄付については、いまここで改めて考えさせていただかなくても、必要なことはみんな前からわかっていると思いますけど。
*
まあ、私にいわせていただければ、紗栄子のようにメディアで仕事をしている人間が、寄付のついでに宣伝、売名を、と考えるのはあたりまえのことです。それも仕事の一環みたいなものです。無意識にでもやらかします。
*
21日の紗栄子のインスタグラムの投稿を、もう一度、注意深く読んでください。最初から炎上を織り込み済みだったとわかるでしょう? 批判されようがバカにされようが、メディアにたくさん名前が出た者の勝ちだと知っているのです。さすが紗栄子はプロです。このやり方がスマートかどうかは別にして。
*
*
ですから、もっとはっきりいってしまえば、こうした方々の支援活動を、慈善、ボランティアと考えると間違いなのです。善意のナントカだとか考えるから、腹が立つのです。こうした方面からの義援金などは、広告付きの寄付と考えるべきなのです。同窓会誌の巻末に並ぶOBの名刺広告のようなものです。
*
ギブアンドテイク。無償の行いではありません。しかし広告付きであろうがなかろうが、金や品物は実際に役に立つのです。おおいいに利用して復興に役立てればいいのです。で、寄付をした人間に対して、それが売名行為や自己宣伝ではないのか、見苦しい、かどうかは、それを見た各自が決めればいいことです。
*
菜々緒(27)や西内まりや(22)の写真つき激励Tweet、なにが不謹慎ですか? 彼女たちは菜々緒、西内まりやとして、つまりモデルだの女優だのシンガーだのとしてTweetしているわけです。私個人ではありません。そして名前と顔を出すのがプロとしての彼女たちの当然の仕事です。ただし紗栄子の場合はインスタグラムで子どもの話などもしていますから、そういう意味ではすっきりしません。
*
というわけで、菜々緒のベッドでの仰向け写真はナイスです。欲をいえばROXY MUSICの「Stranded」か「Country Life」のアルバムジャケットくらいのところまで攻めてほしかったですけど。
*
そうそう、こういうメディア関係の人たち、つまり有名人のために、「義援金データブック」みたいなのをつくるのもいいかもしれません。寄付した金額を顔写真付きで紹介する本。お互い張り合って金額も増えるでしょう。小金持ちに吐き出させるチャンス!! リクルートあたりがやらないかなー。タダで。
*
*
でもって今度は批判するほうです。「指で操作するだけじゃなくてなんか行動すればいいのに」(toダレノガレ明美)、「不謹慎」(toいろいろ)、さらには「何も考えてないんだろうなアホだから」(to AKB48村山彩希)。こうなってくるともう批判でもなんでもなく、ホンモノのいいがかりですが。
*
なぜこんなふうに細々とした批判、いいがかりが飛び交うのかといえば、こちらはひとつの自己確認の行動なのです。それで謝罪があるとか、指摘した箇所が削除されるとかするだけでも、極端な話、社会と対峙した気分になるのです。で、調子にのって、さらに重箱の隅を突つくように文句をいう。
*
いやいや切実なのです。このような手を使ってでもなんとか世間に対峙した気分にならないと、いまの世の中、やられっ放しの惨めさのまま生きていかなければなりません。で、批判されるほうは人気商売ですから、簡単に謝罪してくれます。まあ、批判したい人から見れば恰好のターゲットであるわけです。その点では弱い者イジメと同じです。で、謝罪、謝罪、謝罪。
*
つまり少し引いて見れば、災害を起点にして、支援活動を自己宣伝に利用する人、それを批判する人、ただただいいがかりをつける人などなどが、オノレの存在感を内へ外へと高めようと押し合いへし合いしているわけです。
*
*
最近ではそういう批判の洪水を指して「不寛容な社会」、などという表現もされているようです。しかしほんとうはそうではなくて、そうでもしなければ存在さえ無視されてしまいそうな、個々が押し潰されている社会、なのです。
*
ですから私は、まったく無名で、どこかに突っ込みどころがないかと目を皿のようにしてニュースを見ている人たちのことが気になります。自分もそのなかのひとりです。もちろん、弱い者イジメはやりませんが。
*
で、こうした、社会や人生に不満を抱き、しかしチカラは弱く、声の小さい私たちのような人間が集まると、なにかのきっかけで暴走がはじまります。それはすでに気分としてわかっています。団交、つるし上げ、村八分……。それはまるで、ネット社会のダークな部分が、ジワジワと現実にしみ出しているようです。そこが気になります。(了)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿