NHK総合『100分 de 名著』(9月23日放送分)で、伊集院光(47)がマツコ・デラックスが売れている理由を分析したらしいのである。この回では、太宰治の『斜陽』が女性の独白体で書かれていることを取り上げたらしいのである。
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そこで光は「半分冗談だけど」と前置きした上で、「オレが伸び悩んでマツコ・デラックスが超売れる理由に気付いた」と語ったらしいのである。「とてつもなく変なことに気づいた」らしいのである。
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それを紹介した記事によると、マツコの発言の本質には男性的な部分も多いのだが、女性の声や視点を通して伝えることでとても面白く、なおかつ視聴者に突き刺さるのである、というのが光の主張らしいのである。らしいばかりでもうしわけないが、私は直接その回の『100分 de 名著』を見ていないのである。
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そして光は、太宰治の作品中の男性にとって都合のいい部分は、女性の視点を通さないかぎり、全然入ってこないのではなのいか、とも語ったらしいのである。
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たぶん光は、なぜマツコ・デラックスが売れて自分が伸び悩んでいるのだろう、と常日頃から考えていたわけである。同じデブ同士だというだけで内心ライバル視していたわけである。自分なりにその理由を見つけて少しは落ち着いただろうか、光。
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しかし光、ここはもう一歩踏み込んで、“女性の声や視点を通して伝えることでとても面白く、なおかつ視聴者に突き刺さる”のはなぜか? と考えなければ意味がないのである。光がいまさら“女性の声や視点”にキャラクターを変えるわけもいかないのだろうから、ここはことの本質を掴んで生かすべきなのである。
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マツコ・デラックスが“女性の声や視点を通して伝えることでとても面白く、なおかつ視聴者に突き刺さる”のは、それが巧まずして自虐になっているからである。そしてマツコにはさらに、意識的にその自虐を駆使するスキルももっているのである。
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たとえばマツコがいくら「女子アナ」を激しく面罵しても、オカマキャラであるかぎり、それは直ちに自分に跳ね返る自虐の言葉なのである。「女子アナ」の天敵などといわれていても、マツコ自身は絶対に女子アナになれない人なのである。ときおりその嫉妬と自虐がのぞくので、あまり嫌味にはならないのである。
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つまりマツコは、いってみれば下から上へ噛み付いているのである。マツコからなんだかんだバカにされても「女子アナ」の地位は決して傷つかず、視聴者は安心して見ていられるのである。そしてマツコの言葉の批評性を笑いながら受け容れられるのである。これは「巧まずして」の自虐の例である。「女子アナ」に対しては女にも男にもできないことである。
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自虐を駆使するスキル、とは、たとえば「デブのくせに」といわれた場合、マツコは「そーよ。私はデブよお」というように、いったん引き受けてみせることができるのである。ここのところ、光ならおそらく「デブでどこが悪いの?」と応えてしまうところである。「オネエのくせに」でも同じである。
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マツコにはいったん相手の価値感や主張を受け容れてから反撃、あるいは懐柔しようとする余裕とスキルがあるのに対して、光はクソ面白くもなく正論を振りかざすだけなのである。これは単純なようだが、天と地ほどの差があるのである。
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もっと重要なことは、光は太宰治作品のなかの「女性の声や視点」やマツコのオネエぶりを、翻訳装置としかとらえていないことである。「男性的な部分」や「男性にとって都合のいい部分」を「とても面白く、なおかつ視聴者に突き刺さる」もの、受け容れられるものにするための翻訳装置である。
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「女性の声や視点」の働きを取り出して考えると、「男性的な部分」や「男性にとって都合のいい部分」に対する、女の側の考えや都合も、あわせて間接的に表現できることが重要なのである。小説の主人公の設定うんぬんについてはさておき、である。
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そしてその「男性的な部分」や「男性にとって都合のいい部分」と女の側の考えや都合が同時に描かれることによって、物語が立体感をもって動くのである。また、当時の社会規範や意識の潮流などなどの背景とふくらみが与えられるのである。
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しかし光のいいかたでは、「女の視点」は、小説の必要上、ただ単純に差別的な男のいいぶんを読者に呑み込ませるための仕掛け、ということになってしまうのである。
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もっと突っ込んでいってしまえば、“女性の声や視点を通して伝えることでとても面白く、なおかつ視聴者(読者)に突き刺さる”のはなぜか? と疑問に思わない光は、ただそれだけで面白いものだと信じて疑わない、ということなのである。生身の女の立場というものがすっかり飛んでしまっているのである。
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つまり光自身、男と女が相対しているだけの構造、古くからの見方にあぐらをかいているのである。悲しいくらいにここにその姿が露呈しているのである。しかも語るときはくどくど正論ぶって語るのである。マツコが下から上に噛み付くのに対して、光はいつも上から目線なのである。だから光はただただクソ面白くもなく嫌味なだけのヤツなのである。
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まあ、こんなようなことであるので、光が伸び悩んでいるのも当然なのである。芸歴すでに約30年、そのときどきで「とてつもなく変なことに気づいた」とかいいながら自分を納得させてきたのであろう。そしていつのまにかここまできてしまったのであろうと思うのである。(了)
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昨夜(2015年9月24日)、女優の川島なお美さんが亡くなられた。享年54歳であった。川島なお美さんについては、9月7日に行われたフランスのシャンパンブランド「コレ」の日本進出会見に出席したようすがたいへん違和感を感じるものであったので、その翌日くらいに当ブログに書かせてもらった。芸能人、役者としての覚悟はたいへんに立派である。賞賛もする。しかし観客の立場、気持ちも慮ってほしい、という内容である。いまもその考えにもちろん変わりはない。川島なお美さんのことは、己の信条、プロとしての覚悟を最期まで貫いた女性として記憶にとどめておきたいと思う。川島なお美さん、そして川島なお美さんを最期まで支え、併走された鎧塚俊彦(49)さんに敬意を表して。合掌





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