2015年9月21日月曜日

戦後70年、タモリへの悪魔払い





「タモリを好きか嫌いか」というアンケート調査をしたとするのである。きっと「少し好き」「やや好き」「どちらでもない」というような答えが大半を占めると思われるのである。好感度100点満点中の64点くらいである。マイナス評価はタモリと同世代の男から多いような気がするのである。



そして私はタモリが嫌いなのである。フジテレビの『森田一義アワー 笑っていいとも!』が昨年3月にようやく終わって拍手喝采した、数少ない日本人の1人が私なのである。たぶん。



なぜ嫌いなのかといわれれば、それはタモリが戦後日本の鏡像だからである。それなら貴様、日本が嫌いだってわけだな、と突っ込まれそうなので説明しておきたいのである。私は日本に対して愛情と、それからうとましく思う気持ちとの両方を、そのときどきでもっているのである。



この感じを極端にミニチュア化してたとえれば、腐れ縁の彼女に対するみたいなものなのである。タモリを見るたび、その腐れ縁の彼女に、気分でもないのにデカい顔を胸の下から擦り上げられ、ムンと熱く迫られるという、たいへん生々しい嫌悪感でいっぱいになるのである。うとましいほうの日本を心のどこかで感じるのである。



まあ、発情したキンタロー。(33)にニヤニヤしながら抱きつかれちまった!! をイメージしてもらえればいいのである。もとい、タモリは見ただけで裸で絡みつかれたような生々しい嫌悪感でいっぱいになる、としたほうがストレートでわかりやすかったかもしれないと気付いたのである。すまね。


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それに、話の本当の順序はいまみなさんが考えておられるのとは逆で、どうして自分はこんなにタモリが嫌いなのだろう? と考えて出てきた答えが、「戦後日本の鏡像」というわけだったのである。最初に戦後日本への嫌悪があっての話ではないのである。



もちろん、タモリについてはこれまでにもいろいろに語られてきたのである。とくに昨年、『森田一義アワー 笑っていいとも!』が終了する前後には、さまざまなタモリ論が語られたのである。しかし私としては、そのいずれもタモリの本質を正しくいい当てているとは思えなかったのである。



たとえば「日常性のメタファー」みたいないいかたが多かったように思うのだが、それはあくまで『森田一義アワー 笑っていいとも!』のタモリに過ぎないのである。デビュー当時のタモリは非日常そのものであったのである。



そして一方、代表的なタモリ論とされる樋口毅宏(44)のずばり『タモリ論』(新潮新書、2013)によると、今度は大きく「狂気」とか「絶望大王」とか評されるのである。「日常性のメタファー」から、また急に激しく振れたものである。



しかしそれはやはり大げさというものである。これだけ長く日常の中で持続する「狂気」や「絶望」などありえないのである。しかもかつて流行した天皇論の援用まで窺えて、なにかたいへん針小棒大なのである。


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そんなわけで私なりに考えて出した答えが「戦後日本の鏡像」なのである。これに芸能界デビューに際して赤塚不二夫(享年72)など周辺のグループが献上したキャッチフレーズ「戦後最大の素人芸人」を添えれば十分だと思うのである。



タモリは1945年8月22日生まれである。終戦の日からわずか1週間後である。どや? もうこれだけで「戦後日本の鏡像」といいたくなるのである。



しかもWikipediaによれば「母親は3度結婚し、子供を6人もうけた。祖父母に預けられて育ったため、父親とはあまり面会機会がなく良い印象も持っていない」のである。たいへん失礼ないい方になるが、どこからきたのかちょっとはっきりしない感じの子どもである。終戦直後の新しい日本のイメージとして、この以上は望み得ないほどぴったりではないか。



話は飛ぶ。タモリの芸能界入りのきっかけをつくったのは、ジャズピアニスト山下洋輔(73)である。最初の出会いは1972年である。連合赤軍による浅間山荘事件が起こった年である。2年前には三島由紀夫(享年40)が自衛隊市ヶ谷駐屯地に侵入し、自決しているのである。自身の戦争から約30年、隣国の戦争から約20年経っていても、まだ荒々しく、またザラザラと粗い時代である。



当時のタモリの芸風は、ひとことでいえばアナーキーである。放送禁止用語の連発はあたりまえであったし、裸もまったく厭わなかったのである。ここから70年安保後の若い世代の政治的敗北感と、それとは裏腹の経済成長を背景に、タモリの快進撃がはじまるのである。



80年代に入ると、ますます経済の時代の傾向が強くなるのである。タモリの過激さは影を潜め、また芸を見せること自体が減るのである。そもそも繰り返し演じたり深めたりする類の芸は持ちあわせていないのである。



タモリは「戦後最大の素人芸人」なのである。しかしそのことで逆に、司会などテレビタレントとしての地位を確保していくのである。お笑い的、思想的に見れば大幅な保守化である。



しかし金は稼いでいるのである。1982年の『森田一義アワー 笑っていいとも!』のスタートから2013年までに約135億円を稼いだという試算もあるのである。ここも2010年に中国に抜かれるまでつねに世界第2位のGDPを誇った日本らしい感じなのである。


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『森田一義アワー 笑っていいとも!』でのタモリの役割は、すでにお笑い芸人ではなく「見世物小屋の呼び込み」(byビートたけし、68)である。確かに同番組のレギュラー陣はいつも豪華な見世物であったのである。



たけしがいいたかったことは、「いまやもうタモリ自身が面白いのではない」ということである。お笑いBIG3といわれるが、それは違う、ということである。のちに同番組が終了したときにも、たけしは同様の内容を「タモリは白飯」といいかえて発言しているのである。



その甲斐あってというべきか、タモリは翌1983年には『第34回NHK紅白歌合戦』の総合司会を任されるまでに大衆的な認知を広げていくのである。これ以降、時代は膠着して、やがて経済的にも「失われた20年」と呼ばれる時代に入っていくのである。そして見世物小屋、『森田一義アワー 笑っていいとも!』はダラダラと31年半も続いてしまうのである。



少年時代も含め、時代と併行したタモリの歩みについての論証はそれぞれ歴史年表とWikipediaなどを並べてを見ていただきたいのである。それをここでやっていては、申し訳ないがたいへん長尺になって疲れてしまうのである。



最も特徴的なことは、1970年代中頃、30歳前後の過激でアナーキーなタモリから、——たぶん生まれたときから、まったくシームレスに今日のタモリにまでつながっていることである。転機、転換、転向ということがいわれたことがないのである。とらえどころのない日本というシステムそのもののような気がするのである。政治思想における転向論というものも、さして深まりもせず、いつのまにか雲散霧消しているのである。



ちなみに今日のタモリとは、ニコニコと笑いながら散歩番組をやり、食べものに蘊蓄を傾け、ヨットレースを主催するタモリである。その途中にはゴルフにも凝っているのである。若いころにあれほど毛嫌いしていたスノッブそのもの、という見方もできるのである。



タモリはそのときどきの日本を体現してきたのである。意識してそのように振る舞ってきたのではなく、ごく自然に流された結果、そうなってしまっているのである。そこに作為の匂いを感じないからこそ、多くの視聴者たちは親近感、というか同体感を抱いたのだと思うのである。そのタモリを私はたいへん不気味に感じるのである。




なぜタモリにこれができたかといえば、一つにはタモリが、いつも時代の開拓者であった団塊の世代よりもごくわずかながら年長だったからだと思うのである。団塊の世代の非常に身近にいて、しかも客観視できたのである。ゴーゴーという時代の音が聞けたのである。



もうひとつは徒党を組まなかったからである。徒党を組まないので、時代のシンボルに担がれることはなかったのである。担がれることがなければ批判の対象になったり陳腐化したりする可能性も少なく、ゆる〜く流れ続けやすかったのだろうと思うのである。そしてその結果、芸能界のあれこれ、しがらみの空白地帯に身を置くことにも成功したのである。



そしてさらにこれにはまた、芸能界入りする際、自らに課したという4つの戒律が働いているのである。4つの戒律とは、(1)誰の弟子にもならない (2)組織には属さない (3)頭をなるべくさげずにカネをもうける (4)色紙にサインをする時は、名前の横に添えるモットーのようなものは持たない である。



タモリは弟子もとらないのである。つまり徹底した個人主義者なのである。個人主義は戦後の日本人の心性に表れた最も特徴的な傾向である。頼りになるのは国でも親戚でも家族でもないのである。信用できるのは自分(と金)だけなのである。ここでも島国根性の抜けない日本に似ているのである。



きっとたいへんに多くの日本人が、もしできることであればタモリのように生きたいと願っているはずなのである。タモリのように生きられれば、仮にいくつかの変節があったにせよ、それはただ自分の胸の中にしまっておきさえすればよいことなのである。



真実も善悪も美醜も、それが現実に立ち顕れない限り、観念の中にある限り無意味なのである。実際のところ、タモリにはそういうものいわぬ狡さも見え隠れするのである。タモリ自身のいう「目標をもたない生き方」である。あ、そうか。これを現実主義というのか。



では、これからのタモリはどうなっていくのであろう。それはもう考えるまでもなく、ただただ自然に消えていくのみなのである。かつてのキャッチフレーズ「戦後最大の素人芸人」の、「戦後」はもう本当に終わってしまったのである。終わってしまったのに生き残っているのがいまのタモリである。



総人口の26.7%が65歳以上であり、80歳以上の人口が1002万人に達した老人の国、日本である。そこでタモリは静かに、静かに鏡の中に消えるように最期を迎えるのである。そのあとのことは、もはや誰にもよくわからないのである。 (了)




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