ノーベル賞の季節なのである。10月に入ると順次各賞が発表されるのである。しかし9月15日のいま現在、例によって文学賞の発表日程はまだ公表されていないのである。それにしても、いつもは春樹、春樹とやたらに喧しいのが、今年はなぜか静まり返っているのである。
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ノーベル文学賞ってもう止めちまったのかなぁ、っていうくらいに安穏としているのである。出版社、書店なんかのトルトル詐欺団のみなさんも、今年は総じてスルー状態である。毎度のことでさすがに気が引けたのであろうか。村上春樹(66)自身も、恒例になっていた海外での講演だとかサイン会だとかの事前活動をしていないのである。
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それにしてもブックメーカーの予想オッズの話題すら出てこないというのはどういうわけだろう? しかもこの時期、新刊が小説ではなく、エッセイ集の『職業としての小説家』というのも、トルトル詐欺団には痛いところである。
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ところで、この『職業としての小説家』の初版10万部の9割を、紀伊國屋書店が出版社から直接買い取って話題になっているのは、すでにご承知であろう。買い取った『職業としての小説家』は、自社店舗のほか、取次を通して一般書店にも販売しているのである。
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つまり紀伊國屋書店は(一次)取次業もはじめたというわけである。Amazonなどネット書店への対抗措置だという。出版社にとっても返品の心配がなくなるおいしい話である。
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『職業としての小説家』の出版社は「SWITCH」を刊行しているスイッチ・パブリッシングである。小さな出版社である。文芸に強いわけでも過去にこの分野で実績があるわけでもない。つまり既存の取次店にしてみれば二次取次にはなるが、今回の紀伊國屋書店の割り込みは、たまさかのイレギュラーとして看過できる範囲だろうと察しがつくのである。
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であるから紀伊國屋書店にしても、試験的に買い占めをしてみるにはちょうどよいのである。というわけで、いつの時点かはわからないが、紀伊國屋書店、スイッチ・パブリッシング、そして春樹の3者のあいだで「9割買い取り」の了解がなされていたと見るのが自然なのである。
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出版流通の話になったついでにいうのだが、春樹の小説が世界で読まれている、世界に読者をもっているというのは、作品の質うんぬんというよりも、文芸のマーケット、そしてそれを支える文化の質がいよいよグローバル化したといういうことなのである。
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もちろんその文化というのは、きわめて通俗的な大衆消費文化のレベルである。ノーベル文学賞の選考委員はこの点を見逃していないのである。つまり春樹の評価は新種の世界的な流行作家に過ぎないのである。
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しかも春樹はひどく臆病なのである。たとえば今回のスイッチ・パブリッシングと紀伊國屋書店の『職業としての小説家』買い占めについても、一切のコメントを発していないのである。たとえ前述の3者による事前了解がなかったにしても、著者としての見解を示すのはむしろ当然の話である。つまり春樹は既存の取次やAmazonの顔色を窺っているのである。
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例のエルサレム賞の受賞スピーチ「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私はつねに卵側に立つ」を、春樹はもう忘れてしまったのだろうか? それともあまりのベタさに気付いて恥ずかしくなったのだろうか?
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いずれにせよ、強いものに怖じ気づく、長いものに巻かれる、それはノーベル文学賞に最もふさわしくない態度である。春樹がようやく諦める気持ちになったらしいことは、詐欺団や本人のためにも、なによりである。
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いつもならこの季節、春樹のノーベル賞トルトル詐欺団の大騒ぎに眉をひそめながら、テーブルの上のさんまの塩焼きを突ついていたものである。さんま? おお、さんま!! である。ここにも1人、詐欺師がいたのである。それはこのあと、またすぐ。 (了)





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