テリー伊藤(65)はプロのコメンテーターである。評判はあまり芳しくない。いわく風見鶏、ご都合主義、小心者、なのである。今回のオリンピック公式エンブレム盗作騒動へのスタンスのブレかたや、ASKA(57)の薬物事件でのとんちんかんな愛人擁護発言を見れば、残念ながらそのどれもが確かに当たっているのである。
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こんなこともあった。大阪維新の会所属だった山本景元大阪府議(35)の、女子中学生とのLINEでのやりとり騒動である。当初テリーは「こいつキモイもん!」と切り捨てたのだが、激怒した山本議員はテリーの予測に反して、BPO(放送倫理番組向上機構)に申し立てを行ったのである。
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そうするとテリーは「キモイっていう中学生の気持ちはよくわかる、というふうな感じで発言した」とかなんとかごまかしつつ、結局は「スッキリ!!」を降板してまで逃げ出してしまったのである。
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話はそれる。いま気がついたのだが、この山本景と、未公開株をめぐる金銭トラブルや、議員宿舎での19歳少年買春疑惑だとかで騒がれている元自民党所属、武藤貴也衆院議員(36)は、たいへんによく似ているのである。
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それは同年代であることや入念な眉剃りのせいばかりではないのである。ダーウィニズム信望者ならではの酷く醜い奇態の印象を受けるのである。これについては次回にでも詳しく述べよう。
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もとい、どうやらテリー伊藤は、自分はプロのコメンテーターなので、ウケなければならない、人と違うことをいわなければならない、と思っているらしいのである。バカである。それはお笑い芸人の仕事である。
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プロのコメンテーターであるなら、視聴者の判断を手助けする情報の提供にまずは全力を注ぐべきである。しかしテリーの場合は、プロのコメンテーターであるという自覚は、残念ながらつまらない詭弁、強弁にしか繋がっていかないのである。
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さらにコメンテーターとして致命的なのは、2年ほど前に週刊文春が報じた、20数年来の愛人の存在である。こんな爆弾を抱いていて「直言居士」や「ご意見番」を標榜できるほど世の中甘くはないのである。
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で、問題は、なぜこんなテリーにでも需要があるのか? あるいはあったのか? ということである。テリーの人脈、営業力、業界内の馴れ合いという、いつもの力が働いたにせよ、私たちはずいぶん長いあいだコメンテーター、テリー伊藤と付き合ってきたのである。愛人がいることを知ってからも。
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私に限っていわせてもらえば、まず第一に、もちろんそれはテリー伊藤ではなくてもよかったのである。私は人全体に対する興味でしかテレビを見ていないので、誰か人が映ってさえいればそれでよいのである。だからこれはコメンテーターといわれる人たちすべてにあてはまる話である。
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私にとってのテレビはいつまでもダラダラと、タダで人の顔を垂れ流して見せてくれる機械なのである。であるから、毎日8時間も見続けてたまにスイッチを切ったときには、完全にテレビと切り離されたいのである。
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しかし世の中、そうそうこちらの思惑通りには動いてくれないのである。たとえば突拍子もない事件や出来事が起こったときには、どうしても驚きや困惑を抱えたままテレビの前を離れることになる。たいへんに不愉快なのである。
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テレビのなかのことはテレビのなかで始末してほしいのである。そしてこんなときにコメンテーターは少し仕事をするのである。なにも驚きや困惑をときほぐしてくれるというのではない。ご承知の通り、コメンテーターの話すことなど、それが誰であれ、ほとんどは意味のないご感想でしかないのである。
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ではなにが便利かといえば、コメンテーターが話すことによって、いましがた伝えられた出来事なり事件なりが、ほんの少しだけ過去のことになるのである。それだけでも気分はずっと楽になるのである。そして繰り返すがこれはコメントの内容とは全く関係がないのである。そのことについてすでに誰かが語ったという事実だけが大切なのである。
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であるから、私にとってのコメンテーターというのは、テレビにするフタのようなものなのである。テレビのなかの、なんだかいろいろな臭いもののフタなのである。臭いものにはコメンテーターなのである。 (了)





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