有吉弘行(41)については、キュウリの断面みたいな顔、あるいは顔の縁が厚いくらいの印象で、あまり考えたことがなかった。弘行の出世作、「おしゃべりクソ野郎」があまりおもしろいとは思えなかったし、口が悪い、毒舌というだけで目新しさを感じなかったからである。
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ところが、「おしゃべりクソ野郎」というたいへん不名誉なニックネームをつけられた本人、品川祐(43)は、テレビ制作の現場ではほんとうにみんなが思わず顔をしかめるほどの嫌われ者だったのである。
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「おしゃべりクソ野郎」は、だからなにがしか批評的な意味を持ったたとえではなく、ただみんなの気持ちをそのまま代弁しただけだったのである。最近になってこれを知って、弘行を見る目が変わったのである。
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ついでに、勢いに衰えが見えてきたといわれる弘行の、その人気の理由をこのあたりで弘行の側から眺めてみようと思い立ったのである。実際のところ、書こうと思ったらすでに時期を逸していたという事態にもなりかねない雰囲気なのである。
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Wikipediaによると「おしゃべりクソ野郎」はテレビ朝日『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』2007年8月23日放送分において発せられたそうである。「世間が持っているイメージ」をアドリブで本人に伝えるというコーナーであったらしい。
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しかし、このとき世間はそんなに悪い印象を品川祐に抱いていなかったように思うのである。つまりこれは「世間が持っているイメージ」を隠れ蓑にして、ふだんから思っていることを本人にぶつけるという、最初からの企画だったのであろうと思われるのである。弘行としては、その与えられた役割のなかで、まことに立派にしっかりと爪痕を残したわけである。
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だからWikipediaには「芸風を揶揄して」という表記もあるが、それも違うのである。「クソ野郎」は品川祐その人を差しているのである。なんとも激しい嫌われ方である。クソババアやクソジジイの場合よりもクソに重心がかかっている感じなのである。
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「おしゃべりクソ野郎」というフレーズは、なんとしてでも再浮上のチャンスを掴みたいと必死だった弘行の執念の叫びだったのである。弘行自身、後にこの出来事を「おしゃクソ事変」と呼んでいるくらいなのである。
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話は若干逸れるが、最近の弘行はかなり腰が低いところも見せているのである。もちろん相手にもよるのだが、たとえばTBS「櫻井有吉アブナイ夜会」でのヒロミ(50)に対しては、終始もみ手で媚びている印象すら漂ったのである。すでに「おしゃべりクソ野郎」の必死さはすっかり失われてしまっているのである。ここから人気の凋落がはじまっているのである。
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で、「おしゃべりクソ野郎」のとき、弘行は「楽屋話」と「暴露話」の違いを学んだのである。「楽屋話」は仲間内のじゃれあいで、ときに視聴者を置いてきぼりにして嫌われる。そりゃまたお仲がおよろしいようでなにより、ってなものである。
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一方、「暴露話」は、逆に視聴者に向かって、隠しておきたい過去の失敗や意外な素顔などを暴露するのである。であるから芸人やタレントを敵に回すことが多くなる。
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ここに一線を引いて楽屋落ちにしないことが弘行が毒舌タレントとしてトップを走ってきたひとつの理由である。単純なことに思われそうだが、普段から人間関係を抑制しておかないと反発や抵抗が強くなるので、相当たいへんなことなのである。
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フォローをするにしても、たとえば「あんなふうにいっちゃってゴメンね」と気安く理解を得ようとすると、それはすぐさま楽屋落ち、「楽屋話」のぬるさにつながっていく危険性を孕んでいるのである。これについてはまたあとで触れることになると思う。
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そして『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』2007年8月23日放送分には、毒舌タレントとしてトップを走ってきたもうひとつの理由も示されていたのである。
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この日、弘行は「一発屋芸人にならないための方法」の指南役としてゲスト出演していたのである。そしてそこでは「世間から『これ』という固定イメージを持たれないことが大事」と力説しているのである。天国と地獄を見た「猿岩石」からの痛切な反省である。
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確かに弘行の毒舌には「掲げているもの」や「背負っているもの」が感じられない。笑いはこうあるべき、とか、新しい笑いをつくる、とかいう主義主張、大げさにいうと使命感や思想性がないのである。
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一般的には、どんなジャンルであれ、新しく参入していく場合はなんらかの旗印があったほうがわかりやすいし、受け容れられやすいのである。それを捨ててでも固定したイメージから逃れようとしたのは、やはり猿岩石解散後の辛酸が深く染み付いているのである。
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同時に、固定イメージを持たれないように、立ち止まらず、フットワークよろしく視点を動き回らせていることは、飽きられにくい縛られにくいというほかに、毒舌自体にも大きなメリットをもたらしているのである。
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弘行の毒舌にはどこから飛んでくるかわからない一種の開放感や風通しの良さがあるのである。これはおそらく本人にとっても望外の収穫である。この楽屋落ちせず暴露することと、固定イメージを持たれないようにすることは、毒舌家弘行の大きな成功のポイントである。
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だがしかし世間は厳しいのである。無色透明に見えてもほんとうは弘行にも固定イメージがしっかりあるのである。これから落ち目になったときにそれでさんざん揶揄されるであろうこともすでに目に浮かぶのである。それは「おしゃべりクソ野郎」である。
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もうひとつ成功のポイントだと思われるのは、これもなんだと思われるかもしれないが、いつも女性に対して相当の距離を置いていることである。「距離を縮めようとしても縮まらない」とは、過去に弘行と組んで仕事をした女性タレントやアナウンサーが口を揃えて指摘していることである。
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必要以上に親しくなることを意図的に避けているのである。これは女性に限らずなのだが、対女性のほうがよけい鮮明に写るのであろう。グループや派閥といったものに囚われていないように見えるのも、女性本人に向かって「ブス」がいえるのも、おそらくこれがあるからである。
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また、ある男の人間性や生き方の癖みたいなものが女性を通して知られていくというのは、よくある話である。それが意外ななりゆきで足もとを脅かすこともあり得るのである。本人としては、もっとごく単純に、暴露話をする以上気をつけておかないと、という用心なのかもしれないが。
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有吉弘行の毒舌の成功のポイントは、楽屋話とはっきり一線を画した暴露と、固定イメージを持たれないようにすること、そして女性、他人に対して相当の距離を置く、の3点である。もちろん弘行の毒舌の着地の最終ポイントは、いつも笑い、おもしろさである。念のため。
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あと、細かな点をあげれば、毒舌のあとは必ず笑うこと、というのがある。以前にも書いたし、今回Wikipediaをチェックしたら千原ジュニアも指摘していた。笑福亭鶴瓶(63)も「テレビではいつも笑っとらなあかん」というくらい、人は笑顔に弱いのである。
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有吉弘行のデビューは1994年、「おしゃべりクソ野郎」品川祐のわずか1年先輩である。日本テレビ「進め! 電波少年」でヒッチハイクをしたのは1996年である。くだんの『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』に出演したのは2007年であったから、ヒッチハイク後に引っ張った期間を差し引いて約7年間の雌伏期間があったのである。この経歴、経験も毒舌を支えているのである。
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あと何年で弘行が新しい「おしゃべりクソ野郎」と笑われるようになるのか、もちろん本当のところはわからない。しかし、それは案外早くて2017年のような気がするのである。それだとほぼ10周期でフンギリがよいのである。(了)





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