たとえば、ジャニーズタレントの“熱愛”報道の連打から、SKE48には仕事がない、NMB48の三秋里歩(22)には金がない、坂口杏里(25)にはしまりがないまで。近ごろは秘密の話、内輪の話、ぶっちゃけ話のたぐいが多過ぎる。ほぼ心底どうでもいい話ばかりではあるけれども。
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で、隠そうとしてもどういうわけか次々に報道されてしまうのが「ダダ漏れ」、秘密のつもりがそのうち自分でもどうでもよくなってオープンにしてしまうのが「ダダばらし」、それらの結果なにか大切なものが壊れてしまうことを「ダダ崩れ」というのである。「ダダ漏れ」、「ダダばらし」、「ダダ崩れ」。覚えておいていただきたいのである。
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しかしそれらがどんどん増え続けていてもスッキリしないのはなぜだろう? ふつう隠し事が明るみに出るなど情報が公開されるのはいいことだと思うのだけれども。どうも気分がよくない。鬱々としてくるばかりである。なぜだろう? と考えていて、意外なところに答えが見つかった。
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この10月27日に宝島社から出版された『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』という本をご存じであろうか。宝島社のホームページによると
《累計27万部突破! 大ヒット作『いびつな絆』シリーズ完結編
「関東連合」と芸能界、 IT長者と「関東連合」
半グレと著名人の蜜月を描く、 衝撃的すぎる手記!》
である。1380円プラス税、である。
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著者は前作まで「元関東連合幹部・工藤明男」を名乗っていた「柴田大輔」(37)である。それが今作『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』ではなぜ本名の「柴田大輔」名で上梓することにしたのかについて、本人が『LITERA』(2016年10月28日配信)のインタビューに応じてこう答えている。
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「実名を出さないのは卑怯だと言われるのが癪だからです。すでにネット上でも人間関係でも工藤明男イコール柴田大輔、もしくは元関東連合というのは周知の事実ですからね。『いびつな絆』執筆時は、虚像とも言える肥大化された関東連合のイメージを等身大に伝えることで、フラワー事件における裁判が適正に行われることが目的でした。しかしまだその虚像に取り憑かれているのか悪用しているヤカラがいるので、関東連合ということを語ることすら恥ずかしいという風潮を作りたいと思い、『聖域』を実名で刊行することにしたのです」
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「フラワー事件」というのは2012年に六本木のクラブ「フラワー」で関東連合メンバーが起こした人違いによる撲殺事件である。首謀者とされる関東連合元リーダー見立真一(37)は、いま現在も国際指名手配を受けながら海外逃亡を続けている。
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つまり柴田大輔は、関東連合という神話、虚像を、現実に存在するちっぽけな一個人として語ることで陳腐化したかった、といっているのである。たぶんここでそれを勇気ある行動、とかなんとかいってしまってはいけないのである。ふうん、そんなもんなの、と聞いておけばいいのだ。『LITERA』の記事を抜粋しよう。
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《同書でも柴田は、〈幻想に次ぐ幻想で膨れ上がった「関東連合」の虚像を壊したかったのだ。「俺は関東連合だ」などと口にすることが恥ずかしくなるような風潮を作りたかったのだ〉と述べている》
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「ダダ漏れ」、「ダダばらし」、「ダダ崩れ」など、ゲスな野次馬の私としては、最近の状況は両手を上げてウェルカムなはずなのに、どうもスッキリしない理由がこれでわかったのである。それはひとことでいうと、他人さまのせいにするつもりはないけれども、社会の自浄作用が働いていないからだと思うのである。
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世間の底のほうには人の目にふれさせたくない汚い泥のようなものがたくさんたまっている、とする。「ダダ漏れ」、「ダダばらし」、「ダダ崩れ」を唆したり語ったりすることは、それをいたずらに棒で掻き回して舞い上がらせ、世間という水溜りをわざわざ暗く濁らせているようなものなのである。
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以前であればその舞い上がった泥を水ごと入れ替えるとか、鎮静化するのを待ってすくいとるとか、微生物が水と二酸化炭素にかえるとか、なんらかの自浄作用が働いていたのだと思うのである。ところはいまはなかなかそうはならない。いったん舞い上がった泥はそのままいつまでも舞っていて、ますます視界や呼吸を塞いでしまう。
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こうした状況に柴田大輔は苛立っているのだと思うのである。私のスッキリしなさも、きっとそういうことからくるのだろう。なんだかんだいっても結局は泥水を掻き回しているだけ。 SKE48には来週も来月も仕事がなく、NMB48の三秋里歩にはやっぱり金がなく、坂口杏里にはしまりがないままであろう。
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いやいや、なんとか世の中を変えんといかん、などとエラそうなことを思っているわけではないのである。ものごとが「ダダ漏れ」、「ダダばらし」、「ダダ崩れ」でいったん砕片になって、そのまま放置されているのがどうも居心地が悪い、といっているのである。
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ものごとのごく一部だけがかすめ取られ撒き散らされてそのまま、情報によって世界の全体像を掴もうとして、見れば掌に残っているのはただ砂のように細かな破片ばかり、というイメージ。おわかりいただけるであろうか? これに逆らうのはとてもたいへんなことである。私には不可能。
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ではどうすすればいいのであろう? まあ、とりあえずすべてのものが砂粒のような細かな破片になるまで「ダダ漏れ」、「ダダばらし」、「ダダ崩れ」を続けるしかないような気がするのである。いまさら時代遅れの還元主義といわれるかもしれないけれども、すべてバカバカしくなるところまで還元してから、またイチからやり直そうね、というのがいま私の感じである。「ダダ漏れ」、「ダダばらし」、「ダダ崩れ」でGO!!(了)
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