2018年9月18日火曜日

安直な樹木希林報道にちゃぶ台返し!!



女子プロレスラー・井上貴子(48)のデビュー30周年記念大会が10月2日、東京ドームシティホールで開催されるというニュースを見た途端、遠いあの日に引き戻されました。不肖ワタクシがまだ学童と呼ばれていたころです。



その日発売の雑誌に、井上貴子のヌードグラビアが掲載されるということを新聞広告で知っていたワタクシは大急ぎで学校から戻り、カバンを放り出すようにして表通りのコンビニエンスストアへと走りました。



美人レスラー井上貴子は当時のワタクシのアイドルの1人でした。とくに太腿あたりの肉付きのよさになんともいえない魅力を感じていましたから、たいへんスケベな学童だったわけです。



こういう、スゴく楽しみにしているときに限ってどういうわけかなかなか目当てのブツが見られなかったりするんだよなあ、とドキドキワクワクしながら雑誌コーナーの前に行くと、以外にもあっさりとその雑誌は見つかりました。



それから先のことはあまりの衝撃のためによく覚えていません。なんと!! 憧れの井上貴子の乳首が長い!! のです。スケベな学童は雷に打たれたように立ち尽くし、そしてそれからどこをどうやって家まで帰り着いたものか、まったく記憶にありません。掲載誌がなんだったのかも忘れました。アタマをガーンと殴られたような、というのはきっとあんなことをいうのでしょう。



ハイスペックな女への同性の陰口によく「乳首長ければいいのにね」というギャグがあります。まったく上手いところを突いたものです。どんなに見事なプロポーションも鋭い挑発するようなまなざしも、長い乳首は一瞬にして土と草いきれの野生に引き戻してムンとするような獣臭を立ちのぼらせます。



なかには反対に短か過ぎて陥没したりしている乳首もあります。それでは授乳するのがなかなかたいへんなのではないか、と心配になります。



おっと、そういうことですか。乳首が長ければ赤んぼうのクチから外れにくくなります。そうした機能面で考えていけば、たぶん、動物の種類ごとに異なる授乳スタイルがあって、それに合わせて乳首の形状も変ってくるといえるのではないでしょうか。



たとえば牛の乳首は乳搾りシーンでおなじみ、掌で一握りほどの長さがあります。あれは仔牛が立ったままの母牛のお腹の下に頭を潜り込ませて乳首を吸うというたいへん窮屈な姿勢を強制されるために伸びたのではないでしょうか。



うむ。それから、もう一方の子どものほう、吸うほうの口腔内の構造も影響しているでしょうね。鼻先の長い草食動物の乳首はおおむね長いような気がします。できるだけクチの奥で乳が出てもらったほうが外にこぼれずにすみます。



おお、そうすると井上貴子は四つんばった草食系ということになりますか。ヒトとしては長くなければならない理由はないわけですから。というか、いくらなんでも井上貴子の乳首はそれほど長くはありません。若干自重で垂れるくらいで。



チンパンジーなどヒトと同じように母親が子を抱いて授乳する猿たちにも個体によって乳首の長短はあるようです。ですから井上貴子の乳首をもってして先祖返りということはできないでしょう。これまでテレビで見た猿を思い出して書いているだけなのであまり定かではありませんけれども。



井上貴子以外に乳首が長かった有名人に奈美悦子(67)がいました。いましたというのは後に整形手術をしたからで、その手術で乳首を切り過ぎた!! 陥没してしまった!! ヤブ医者め訴えてやる!! と図解パネルを片手に記者会見を開いておられました。



しばらーくぶりにテレビに出てきたと思ったらなんと乳首を返せ!! だったので世間は騒然とし、これをきっかけにまんまとしばらくのあいだバラエティなどで活躍することに成功しておられました。ワタクシたちはそんな奈美悦子のことを「チクビ返しのエチ子」と読んで崇めておりました。



ああ、そうですか。井上貴子も去年発表した写真集『”Special feeling” hair nude』では乳首はもう長くなかったそうです。きっと残念がっているファンもいるでしょうね。乳首は長くなければならぬ、という殿方が。あ、その写真集、Amazonでは中島知子(47)のヘアヌード写真集とほぼ同類の扱いでしたか。そうですか。



井上貴子デビュー30周年。人に歴史あり、乳首に歴史あり、でございました。



でもって今回もうひとつ書きたかったのは、「死」は怖いだろー!! ということです。なぜならこんな想像力の欠如した言説(↓)が大手を振っているからです。





◆『日刊スポーツ』2018年9月17日配信
【樹木希林さん、生に執着なし「あの世には…」/悼む】

《 数々の映画、ドラマ、CMで活躍した個性派女優樹木希林(きき・きりん)さん(本名・内田啓子=うちだ・けいこ)が15日午前2時45分、都内の自宅で、家族にみとられ亡くなった。75歳。16日、自宅で通夜が営まれた。13年に全身がんを公表、先月13日には左大腿(だいたい)骨を骨折し、手術を受けた。

未練や執着を極限まで削っていた。乳がんの手術をした後、じっくり話を聞く機会があった。手紙、写真、出演作のビデオやDVDを整理したことや、長女也哉子さんが結婚した年から毎年遺書を書いていることを聞いた。

「生きることに執着しないの」と言う希林さんに、あえて聞いた。「実際に執着しないことは難しいのでは? 例えばお孫さんの成長を見たい、とか」と。希林さんは「そう思っても、きりがないでしょ」と、優しい目でこちらを見た。

別の取材企画で写真を借りたことがあった。データではなく、プリントされた写真。希林さんは「写真は返さなくてもいいから。記事が載った新聞もいらないから」と言った。貴重な写真ではと聞くと「もう十分見たから。あの世には持って行けないから」。それでも後日、迷いに迷って掲載紙と写真を送った。ずいぶん後になって、希林さんは「いらないって言ったのに」と苦笑いしていた。

あの世には何も持って行けない。単純なことだが、希林さんは細かなことから、大きな死生観まで徹底していた。

穏やかな希林さんは「私の原点は婆娑羅(ばさら=常識や道徳を打ち破る行為を意味する仏教用語)とかゲリラ。破壊したくなる気持ちがある」とはっきり言った。夫の内田とは婆娑羅な部分が似ている、とも。あのまなざしの奥に破壊衝動があると知って、衝撃を受けたこともあった。

記憶に残る言葉をいくつも聞いたが、「眉は自然のままがいい」も印象的だった。若い女優が眉を整えすぎているのを見て「自然体が一番いいのに」と。希林さんらしい「ありのまま」論に笑った。

希林さんについて、演出家の久世光彦さんは「あの人が1つのジャンル」と評した。ふに落ちた。希林さんの死は樹木希林という唯一無二の存在の喪失だ。あまりにも大きくさみしい。》





「死」は誰にとっても抗いようのない、どうしようもない恐怖です。こんなこと自分の身に置き換えて想像してみればすぐにわかるでしょ? いくら樹木希林が飄々とみずからの死と向い合っていたように見えても、深夜一人ベッドで目を覚ませばやはり激しくおののいていたはずなのです。



そこのところを忘れてはいやしませんか、とワタクシはいいたい。それを抜きにしてはいくら褒めそやしても樹木希林の見事さは理解できないし、このことからほんとうに学ぶこともできません。



「それでも一人になったとき彼女は震えていたと思うよ」と、世間に向ってちゃぶ台をひっくり返してやりたい気持です。おせっかいですが彼女のためにも。(了)






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