ここに書くのはこれで何度目かになるが、テレビの魅力はタダでダラダラといつまでも垂れ流してくれることと、人の顔をまじまじと見つめられることである。
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芸能人、一般人にかかわらず、テレビ以前にはじっと人の顔を凝視することなどあり得なかったのである。それはいまでもそうで、テレビなしでそんなことができるのは人相占い、人相見くらいのものである。
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1953年にテレビ放送がはじまって、はや62年。私たちの人の顔面に対する感覚は研ぎ澄まされて、そこそこの人相見程度の眼力は身につけているのではないか、と思うのである。口許は笑っているが目は笑っていない、など、考えてみればかなり高度な観察である。
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そうした遠慮会釈のない、非情な視線がむき出しにしたのは、人間の本性らしきものである。口ではいいことをいっているが腹の底ではなにを考えているかわからない、というわけで、だいたいの人物の行動原理は経済的損得あるいは名誉、人気といったところに落ち着くのである。
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こういうものの見方に、理念、信条、哲学といった高度な抽象概念はなじみが悪い。いくら熱をこめて実存主義を語ったとしても、「このオジサンしつこそう」のひとことでキャッキャッと片付けられてしまうのである。元も子もない時代がやってきたのである。テレビのせいである。
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元も子もない、即物的な風潮のなかで、では何が価値を決めるかといえば金であった。であった、というか、である。とにかく、なんでもかんでも、というかいろいろありすぎて面倒くさいので、とりあえず金の部分だけを抜き出し、あるいは金に置き換えて優劣をつける。
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年収600万円の彼氏Aよりも年収800万円の彼氏Bを選ぶ。対して、金のかかりそうな彼女Aよりも、それほどでもなさそうな彼女Bを選ぶ。100万円の絵画よりも200万円の絵画のほうが芸術的だと考える。
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まったくバカなことである。ここに1本500円のバラと1本1000円のバラがある。その値段の差だけを見て1000円のバラのほうが美しいと決めつけているようなものである。バラを見ていないのである。そもそも美意識など持ち合わせていないのである。
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テレビ鑑賞で鍛えられたおかげでいろいろなもののメッキが剥げて見えて、何を信じてよいのかわからず、ついつい金に換算してしまうのである。ヒットチャート好き、トップテン好きみたいなものである。
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で、テレビ放送がスタートして約10年、1960年代は政治の時代、理想の時代であった。多くの人々が、人は、社会は、国はこうあらねばならぬ、と口角泡を飛ばして議論し、行動したのである。金など二の次、三の次だったのである。
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それが1970年代に入ると疲れ、病み、崩れて、やがて、前回、前々回あたりで述べた、HYPER空間を頭上に戴く虚構の時代とかいわれるようになっていくのである。
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こうした元も子もない、即物的な時代、哲学も美学も通用しない時代には、もうアタシ生きてゆけないと考えたのが三島由紀夫(享年45)である。戦後文学の旗手であり、貴公子であった三島由紀夫の大がかりなほどの教養や思考は、受容される場所を失いつつあったばかりか、冷やかしの対象にすらなりかかっていたのである。さっきの「アタシ」みたいに。
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人一倍衆目を気にする由紀夫にとって、それはたぶん絶望ではなく、ヤバい、といった感じのものだったろうと思う。そして1970年11月25日、三島由紀夫は楯の会の4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地総監室に籠城し、割腹自殺を遂げたのである。
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三島由紀夫の死は表に掲げられているような政治的な死ではなくて、時代からの、相当にあてつけがましい引退の儀式だったのである。大げさな舞台設定は、理想、哲学、美学などの終焉の飾りとして設えられたのである。いってみれば三島由紀夫はテレビに殺されたのである。
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そういえば、志村けん(65)の熱烈なファンの男が、臨終の床で死の間際まで「アイーン」をしていたらしい。それをき知った志村けんが「ジーンときた」らしい。
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亡くなった方とそのご家族にとっての「アイーン」にどのような含みがあったのかは知らない。しかし、ご家族にとり、「アイーン」は頭上はるかのHYPER空間で永遠に生き続けるのである。哲学も美学も失われ、宗教も相対的なものでしかなくなった現代日本の、心の風景である。
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藤原紀香(44)、熊切あさ美(35)に負けず崖っぷち、という指摘には笑った。代表作は「レオパレス21」だそうである。ということは、片岡愛之助は崖っぷちを伝って歩く山岳レンジャーみたいなものであろう。口元エイリアン岩から大顔面岩へ。お疲れさまなことである。
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笑ったといえば「オワハラ」である。就職内定者に他社への就職活動を終るよう強要することだそうである。「就活終われハラスメント」だそうである。
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そんなことをいえばオレなんか毎日「デカハラ(早くどこかへ出かけろハラスメント)」「ダマハラ(だまれ!! ハラスメント)」「バカハラ(バカ野郎!! ハラスメント)」に遭っているのである。やくみつるでもないのに。
(了)




