「ベキ論」とはほど遠かったはずのジュリーが声高に反原発、反改憲だそうだ。この機会にしっかり話を聞き、握手もし、抱きつきもしたいものである。
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ドリフターズよりクレイジーキャッツ、松田優作より萩原健一、ゴスペラーズよりマヒナスターズ、西川貴教よりジュリー、だよなあ、やっぱり。
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ジュリーが東日本大震災以降、反原発、憲法擁護と、政治的な姿勢を明確にしているとは聞いていた。それでも自分の話を聞きたくないのなら帰れ、と息まいたとまで聞かされると驚くのである。
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これでは、のらりくらりと正体を隠して楽しませてくれたかつてのジュリーとはまったくの別人である。ま、「帰れ」は、ステージに上がる人間ならいちどは口にしてみたい魅惑のフレーズではあるのだろうが。
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主義主張はさておき、かつてを懐かしむおおむね六十代の女性を相手に、私の社会的発言が聞きたくないのなら帰れ、という迫り方は戦略としてまったくアウトである。墓穴である。
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目の前のオバサンたちは、青春のファンタジーを求めてわざわざ足を運んでいるのである。それをフツーならわかっているはずである。そして、もっと別のアプローチを考えるはずである。
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だから真面目に社会に働きかけようという気持ちがあるのか、真面目な発言なのか、とさえ疑ってしまうのである。本気なら、まずは自分の持ち場の歌からだろう。「憎みきれないろくでなしの政治の季節ライブ」とか「勝手にしやがれ。危険な日本のふたり」とか「死んでもよくない」とかからではないのか?
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たいへん申し訳ないが、沢田研二はこれではっきりと自分に過去の人の烙印を押してしまったのである。本人はおそらく本気で発言しているのだろうが、まったく現役感、現実感がないのである。だからこうしてあれこれいわれる。
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それは今年の『2015 沢田研二 正月LIVE』というコンサートタイトルの、「往年の大スター」と「J-POPだからね」のあいだを往来するどっちつかずな感じにも現れている。「往年の大スター」にガッツリとシフトしているなら、それはそれで地に足がついた現役なのである。
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ジュリーのファンに沢田研二がいきなり反原発、憲法擁護を語ってもダブルバインドなのである。あ、そうか。ジュリー、沢田研二としては過去の人でも日本国民としては死ぬまで現役ってわけなのか? そうかなあ。
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中学生の姪にアナログレコードを聴かせたところ「スゴ〜い、裏側にも曲が入ってるんだあ」と驚かれました。
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歯の治療が痛かったので、無意識に医者のチンコをひねり上げていました。「クシッ」というようなへんな声がしていました。
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近視のコンタクト+老眼鏡づかい。 (了)





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