2015年7月21日火曜日

テレビはいまやレトロ雑貨である






そろそろテレビをレトロ雑貨として語るときがきたようである。そういう私の立場は、テレビ党地上派、別名タダ派の会長である。テレビ好きのテレビ、いやそのままテレビといえば地上波テレビに決まっているのである。



テレビはタダで見られることが前提なのである。もしもある日、私がテレビの前で孤独死を遂げようとも、テレビは文句もいわず、タダで、いつまでもなにごとかを話しかけ続けてくれるのである。なんと心強い。これが信頼関係というものである。



金を払って見るものはテレビではない。死んだあと、利用料が未払いだとかいってすぐに配信が止められてしまうような薄情なものはテレビではない。心の友になれるはずがない。



それ以前に、実際に見てみなければ面白いか面白くないのかよくわからぬものに、そうして片端から消えてしまうものに、どうして金が払えるのか私には不思議でならないのである。


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逆の見方からいえば、番組1本1本にクーリングオフを認めるくらいの誠意がなくて、どうして人さまからお金を頂戴することができるのであろうか。



いつまでも、無尽蔵に、湯水のごとく垂れ流され続けるのが真のテレビなのである。だから私もテレビに対してはしごく寛容な態度で接し続けていられるのである。



私は、自宅にいる時間のほぼ半分はテレビを点けている。ずっとテレビの前に座っているわけではないから、スピードラーニングのごとく音声だけを聴き続けていることも多い。



そんなとき我知らずテレビと会話していることもある。こちらのセリフは、だいたい「バカか?」と「バカいってんじゃねーよ!」と「ふざけんなよ!」に決まっているのであるが。



ただし、画面に向かっているときの反応は異なり、鼻で笑うだけである。どうしてそうなるのか? こう見えて私も遠慮深い性格なのかもしれない。


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もちろん、テレビ好きの中にもこうした視聴態度に異を唱える向きはある。大和田獏(64)、岡江久美子(58)そしてひとり娘の大和田美帆(31)の場合は、テレビの前に揃って居ずまいを正し、了解(PAUSE)なしの中座などは一切許されないのだそうである。



私にはそんな根気はない。根気がないから連続ものをしっかり観続けたためしもない。ただダラダラ、チラチラと見続けるのである。仕事中も食事中も。



これはダメだ、と積極的にスイッチを切るのは、あまりに凄惨で残酷な事件や子どもたちに降りかかった災厄を、繰り返し報道されたときくらいのものである。ニュースは各局申し合わせたように同じ時間に同じ内容を流すので、それから逃げるにはスイッチを切るのがてっとり早いのである。



で、最近、テレビの中の人が急に老け込んで見えるのである。何か悪い冗談でも見ているように、木村拓哉(42)や宮沢りえ(42)の顔にシワが浮いているのである。あんなにバカ幼稚な61歳、関根勤の顔も、よく見ればシワだらけなのである。



おお、テレビは老いの器になってしまったのである。そして社会を無意識の底から変化させてきたメディアとしての仕事も、インターネットに明け渡して一段落ついてしまったようなのである。


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いま、ここなのである。時代の開拓者からレトロ雑貨に落ちぶれ果ててしまったこのタイミングが、テレビというものを陽に透かし、ためつすがめつすする絶好のチャンスなのである。



突然、話は変わるが、「子どものころはテレビの中に人が入っていると思っていた」などという人たちがいる。現在年齢にして還暦前後のジジババに多い。



しかし友人の娘、いまどきの幼児はそんなバカなことはいわない。そのかわり、ATMのなかには金持ちの泥棒がいると思っているのだそうだ。恐るべき慧眼である。



街頭の募金活動を見るたび「私にもぜひ」と思う。




地上波テレビはいまや完全に老人である。大久保佳代子の人気なんかも、もうろくのたまものなのである。



朝飯が終った瞬間に昼飯の心配をする。野性的だろ?



一日中お金のことを考えてはいるのだが、実際に稼ぐ方向で考えないのはなぜだろう? 高嶺の花の女と同じことなのだろうか?



3つ以上がすべて「たくさん」になるアタマでは印税生活など夢のまた夢である。



レトロ雑貨としてのテレビのお話は、また今度の機会に。 (了)





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