2015年7月23日木曜日

アニメーションB級芸術論






テレビがつくった社会の気分の底にあるパラレルワールドとは、実際どんなものであろう? それはたぶん人間の深層心理のようなもので、目に見えず意識もされず、しかし確実に社会を変え、支えてきたのである。



テレビマンガと呼ばれた時代からいまも、アニメーションはテレビの重要なコンテンツである。アニメなくしてテレビは語れないし、テレビなくしてアニメは語れない。テレビとアニメは一心同体、橋田壽賀子(90)と石井ふく子(88)かつての猿岩石みたいなものなのである。



で、アニメーションをほかの映像表現と比較すると、圧倒的に情報量が少ないのである。ドキュメント→実写ドラマ→アニメーションの順に、それこそオーダー単位で画面上の情報量は少なくなる。



老人の顔をアニメーションで描いてもシワはせいぜい10本程度だが、実写ドラマでは目元だけでゆうに10本は超える。ドキュメントになれば無数である。アニメーションでは物語の進行に不要なものはことごとくカットされる。


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だから人間の顔は年齢の設定にかかわらずいつまでも子どもっぽい。先ほどのように少しのシワとヒゲ、白髪あるいはハゲで老人とわかればそれでいいのである。



もちろん本当の人間はそんなことで収まらない。年を重ねてくれば、顔の造作全体が下がり口許が弛む。眉毛の1本1本が太く長くなったり、また逆に薄くなったりもする。さらにこれはとくに男の場合に顕著だが、鼻全体が膨らむ。鼻が太るのである。



たとえば内村光良(50)やさまぁ〜ずの大竹一樹(47)にその変化がよく看て取れる。少し間抜けな印象になるので、お笑い系には好都合かもしれない。残念なところでは西城秀樹もそうであった。こうした鼻の膨らみが大きな人々を鼻族と呼ぶ。



アニメーションは不要な情報をかなぐり捨ててひたすら物語の進行を追う。そして困ったことに、想像力を拘束する力が強いのである。物語の進行を理解する必要最小限の情報はすでに画面上に設定されているし、さらに展開がめまぐるしいので、画の意味を捉え、解釈するのに追われて、想像する時間を奪われる。


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しかし現実では、ひとつの物語だけが単独で進行することは絶対にない。仲良く散歩する恋人同士の足もとでアリが踏みつぶされていたり、向うに見える高速道路ではトラックが追突したり、子どもが手を滑らせてハンバーガーを地面に落としていたり、木の葉が一枚、ついに枝を離れたりしているわけである。



そういう意味で、アニメーションの世界、とくにテレビアニメーションの世界はとても空疎で平坦である。テキスト、たとえば小説の場合は、与えられる情報の量はアニメーションよりも少ないくらいだが、読む側の想像力がそれを補完する。



そこに醜女と書かれていれば、その顔を想像する。この女はいまは仲良くしているけれども、こっちの男に金がないとわかると急に冷たくなるぞ、などと予測もする。テキストのほうが、アニメーションよりも世界観、宇宙的センスに充ちているのである。



世界観、宇宙的センスとは、この小説に出てくるような女も男もやがて死に、それがたとえば人目につかない場所であったら、死体はやがて野ネズミやタヌキや昆虫に喰われ、腐敗し、分解されてまた黒々とした木の根に吸い上げられる、というような果てしなさ、掴み切れなさへの感覚である。


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人がテレビアニメーション的世界のなかで成長するということはないだろうけれども、アニメーションの影響を強く受けて育てば、だから自分をリセットしたい、とかいう感覚になるのは想像できる。世界の果てしなさ、掴み切れなさに耐えられないということも起きるだろう。



話は変わるが本日(7月23日)の「ヒルナンデス!」を見るかぎり、水卜麻美と横山裕は完全にできあがっておる。しかも相当深いところまでできあがっておる。焼き肉の食レポであったが、2人並んで座った距離、向き、目線、とても尋常ではなかったのである。こういったことをあからさまに見せてしまうのがテレビの怖さなのである。



また話は変わる。「俺さー又吉ほど本読んでないけどさー。又吉良かったと思うけどあれは処女作であって、それをふまえて将来性も込みの受賞のだと思うからハードルをあげすぎる感じがするんだよな。マスコミが。二作目、三作目、それからだよ。———書けない三村マサカズより。」(原文ママ)。



だから和田アキ子(65)にまで、もうTwitterやめろといわれるのである。芥川賞は原則、作品に対して与えられる賞である。だいたいにしてこれがもうすぐ50歳にもなろうというオトナの文章であろうか? 誤字or脱字もあるし。三村マサカズ、園児からやり直せ。



8月22日に静岡、富士宮市ふもとっぱらで開催予定の、長渕剛(58)の10万人規模オールナイト・ライブのチケットが売れないらしい。長渕剛自身が情報番組やバラエティ番組などに出演しまくっているのも、その宣伝のためである。




しかし「ライオンのごきげんよう」なんかを見る人たちが長渕剛を見に富士山麓まで足を運ぶだろうか? それはともかく長渕剛までがテレビの影響力を無批判に崇拝してしまっているのであろうか?  そもそもいまの時代に10万人集めて、音楽的あるいは音楽史的に意味があるのであろうか?  冨永愛(32)との関係はどうなっているのであろうか?  深いのか? 浅いのか?



もともとは虚弱体質で石野真子(54)にも愛想を尽かされた長渕剛である。それを肉体を鍛錬し、強面のイメージをつくりあげてここまでやってきたのである。嫁さんは志保美悦子(59)である。しかしいま、60歳を目前にした長渕剛に聴きたいのは、そうして生きてきた男の本音であって、相も変わらずの空虚な怒鳴り声ではない。



長渕剛はいま、小さなライブハウスで内省的な歌を歌うべきだと思うのだが。どや?



おおお、いま見て驚いたのだが、Wikipediaに掲載されている志保美悦子の写真が非常に怖い。衝撃の大きさでいえば、同じWikipediaの「まんこ」の項に載っている写真に肩を並べる。こんなのが家の中に確実にいるのならば入場料が取れる。夏場だけだが。 (了)




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