2016年2月19日金曜日
ラクに美しく、かつロマンチックに死ぬ方法は……ない!!
ときどき自分はどんなようすで死んでいくのだろう、と考えることがあります。死に方はもう考えてあるので、正確にいえば、おかしな話、どんなふうに死んでいるのだろう、ということになるのかもしれません。
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死んでから先のことなど、生きているあいだに始末できること以外にはどうにもならないので、考えてもしかたのないことです。しかしそれでも知りたいというのは、きっとまだ死にたくないことの証しなのでしょう。命根性汚く、しかも寝穢い男なので、いささか、というかかなり心配なわけです。
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計画している死に方というのは、以前にも書きましたが餓死です。完全絶食で水分も摂らないと2週間ほどで結着がつくと聞いています。途中から意識も朦朧としてきて、さほど苦しまず、しかもお腹の中は空っぽになっているはずですから、そんなに見苦しいことにはならないと思うのです。きっと。入定→即身仏のようで凛々しいのもいい感じです。別にそんな崇高な中身なんかないのに。
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そのようにして、この世のすべてを憎みながら死んでいくのです。自分の世話を自分でできなくなったらそうしようと決めています。あと、口から食餌をとれなくなったときも、そこでお終いです。あらゆる延命治療、とくに胃瘻などまっぴら御免です。
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具体的に餓死を考えるようになったきっかけは、確か『おじいちゃん』というタイトルの写真集です。アメリカのその家庭のおじいちゃんは少しボケがはじまってきたある日、「もうなにも食べないし飲まない」と家族に宣言して、そのまま死んでいきます。その一部始終を、しかし控えめに息子さんが記録した作品です。
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まあ、飢え死にしていくおじいちゃんもおじいちゃんですけれども、それを見守る家族も家族という、びっくりな内容です。しかし、全体には穏やかで静かなトーンが流れていて、いたく感心させられたわけです。正しい書名と作者を確認しようと思ったのですが、なかなか出てきません。残念です。
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さらに欲をいえば、デビッドボウイのように、餓死したあとただちに火葬に付してもらって、親戚知人などとも顔を合わせないですませたいのです。ですが、独りで死体となって発見されれば、遺書に書いたとしても、そういうわけにはいかないでしょう。尊厳死、つまり餓死OKの病院ができることを心待ちにしております。
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そういえば曾野綾子(84)というバカが、「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」と発言していましたっけ(「週刊ポスト」2016年2月1日)。早く上坂冬子(享年78)のところへいってもらいたいものです。おおおおっ、いま死亡時年齢の確認のためにyahoo検索をしたら、上坂冬子、1ページ目右肩に自動的に出てくるプロフィール欄では、まだ生きて、しかも85歳になっているではないですか!! 怖いです。マジ。
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で、こんなふうにとりとめもなく死んでいくことを考えていますと、では世間の皆さまがたはどのように死んでいらっしゃるのでしょう、と気になってくるわけです。そういう腰の据わらない男です。
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厚生労働省のデータによりますと、2014年の年間死亡者数は126万9000人だそうです。人ひとり死のうが生きようがどうでもいいような気分にさせてくれる数字です。しかもこれからは団塊世代の方々がちようど死に頃を迎えますので、さらに増えていくはずです。
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126万9000人のうち、自殺者は2万5427人だそうです(「平成26年中における自殺の状況」内閣総理府自殺対策推進室/警察庁生活安全局安全企画課)。2011年に3万人を切るなど、このところ減少傾向にあるのだそうです。
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ほんとうですか? 思いますに、あまり本当ではないみたいです。ひとつは、自殺者が「死後24時間以内に発見され、遺書があること」と定義されていることです。死後24時間以上経って発見されたり、遺書がなかったりした場合は、「その他」としてカウントされます。
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このヘンテコな24時間ルールは交通事故死にもあって、交通事故にあってから24時間以内に死なないと、統計上は交通事故死とは認めてもらえません。あまり対象人数を増やしたくない気持ちが透けて見える決まりです。
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で、自殺です。死亡原因が「その他」とされる割合は、全体の約25%程度です。そのなかに「変死」とされるケースが毎年約15万人いるとされています。WHO(世界保健機構)では、「変死」の約半数は自殺であると捉えています。しかし日本では、これを自殺者数に反映していません。
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仮に発表数値の2万5427人にそのまま15万人の2分の1の7万5000人を加えますと、2014年の日本の自殺者数は10万427人となります。ですから、どう少なく見積もっても、2万5427人という数字は実態からかなり離れているように思います。
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「変死」のなかには「行旅死亡人」という人たちもいます。「こうりょしぼうにん」と読みます。いわゆる行き倒れです。正確には「本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者」と定義されています。ですから、ふつうにマンションの一室などで死亡していても「行旅死亡人」とされることはあります。
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「行旅死亡人」、行き倒れ、おお、なんとロマンチックな響きでしょう。三代目桂米朝が新弟子時代、「末路哀れは覚悟のうえやで」といわれたという逸話を思い出します。それを誰がいったのか、聞いているはずですが思い出せません。申しわけありません。
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「行旅死亡人」は官報に公示されます。これを読むと、ちょっといろいろ考えさせられて止められなくなります。ちなみに昨日、2016年2月18日の官報には、三重県(男)、栃木県(男)、新潟県(男)、そして岐阜県(男・女)の計5人が公示されています。岐阜県の2人の公示内容をそのままご紹介します。
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行旅死亡人
1. 本籍・住所・氏名不詳、推定年齢50歳以上の男性、慰留金品なし
上記の者は、平成26年10月31日午前11時頃、岐阜県養老郡養老町養老地内の山中で白骨化した頭蓋骨で発見されました。死亡日は平成16年頃から平成21年頃と推定されます。
2. 本籍・住所・氏名不詳、推定年齢50歳〜60歳代の女性、身長142.8cm〜148.6cm、着衣はクリーム色フード付ジャンパー、黒色長袖シャツ、紺色ジーンズ、灰色ブラジャー、レースパンティー、黒色靴(サイズ22.5EEE)、黒色靴下、黒色手袋、左手に黒色サポーター、所持金品は黒色布製ショルダーバッグ、現金44円入りの小銭入れ、化粧ポーチ等
上記の者は、平成27年3月24日午前10時頃、岐阜県養老郡養老町竜泉寺地内の山中において白骨で発見されました。死亡日は平成26年頃と推定されます。
上記2件、遺体は平成28年2月3日火葬に付し、遺骨を保管しています。お心当たりの方は、当町住民福祉部健康福祉課まで申し出てください。
平成28年2月18日
岐阜県 養老町長 大橋 孝
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おっと時間差心中、後追い心中みたいなものか、と思いましたが、たぶん2人には生前の関係はなく、手続きの都合上、まとめて処理されたのでしょう。それにしても最長スパンで10年のあいだに2つの白骨死体が出る町なわけです。緑深い山々が自殺志願者を呼んでしまうのでしょうか。
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ちなみに女性はたいへん小柄で、自称144.5cmの矢口真里(33)より低身長の可能性があります。“レースパンティー”が生々しくもちょっと意外な感じです。こういう勝負パンティーも世の中にはあるのです。哀しくなります。
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と、情報を読んでいくと止まらなくなるわけです。ですからマニアのような方々もいらっしゃって、遺留品の写真まで掲載しているサイトや、遺体発見現場をGoogleマップ付きで紹介しているサイトなどもあります。今日びは静かに行き倒れもさせてくれないというわけです。
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変死といえば、セーヌ川の身元不明少女という有名なお話があります。セーヌ川から引き上げられた死体には暴行のあとがなく、自殺と考えられました。彼女は素晴らしい美貌のもち主であったため、デスマスクをとられ、複製され飾られ、多くの文芸作品の題材になりました。
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死体が発見された時期も1880年代の終り頃、と曖昧なように謎が多く、結局、最後まで身元がわからなかったこともあって、多くの人々のイマジネーションを刺激したようです。そのデスマスクの写真を見ると、なるほど美しい少女で、静かな微笑みは不思議な魅力があります。Wikipediaにも載っていますから、興味のある方はどうぞ。
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その彼女の顔は、心肺蘇生法の訓練用マネキン「レスキュー・アン」に使われているそうです。おそらくはセーヌで溺死した少女が、世紀をまたぎ克己用を超え、世界各国で数え切れない蘇生措置を受けていると考えるのは、不思議な気分です。こんなロマンチックな死もまた、現代では望み得ません。
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おお、だがしかし、そうすると、年を取り、計画通りに餓死した私のデスマスクを誰かがこっそりととらないとも限らないではありませんか!! 美しすぎる餓死老人として。……妄想です、ただの妄想。(了)
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