2016年2月27日土曜日
僭越ながら、超高齢社会のテレビコンテンツを考えた
松方弘樹(73)が脳腫瘍の疑いで入院している。関係者によると、面会謝絶状態で親しい者しか詳しい病状を確認できていないそうだ。ただ、すでに右手足にしびれがあるともいわれており、しかも脳腫瘍は手術するのがかなり難しい箇所に見つかったらしいこともあって、車いす生活を送ることになるかもしれない、と、まあ推測だらけだが、ひどく深刻な雰囲気なのである。
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ところが、『東スポweb』(2016年2月26日配信)によると、デヴィ夫人(76)が24日に松方弘樹本人と電話で話したそうなのである。で、「今日(25日)手術を受けて、あと2日間で退院する、と。お元気でした」と語ったというのだ。都内で行われた『キューサイ 100歳まで楽しく歩こう プロジェクト』の記者発表会場でである。
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あー、なんだかキナ臭い。そういわれると、松方弘樹が病院に逃げ込んだ、と勘繰ってしまうのである。そして借金から逃げるため、あるいはクスリの痕跡を消すため、と最近の世情からしてすぐに連想してしまうではないか。もちろんそんな証拠はどこにもない。もしほんとうに重篤な状態にいらっしゃるのならお詫びもしたい。
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しかし夫人、入院先の病院の名前まで実名で喋ってしまったらしいのだ。人さまの事情をマスコミに告げ口してメシを食っている卑しさここに極まれり、である。いっときは「正しいのは日付だけ」、とまで蔑まれたゲスな『東スポweb』ですら、この記事にはその病院名を書いていないのだ。
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松方弘樹の入院の真相は、もう少し時間が経てば明らかになる。今回、取り上げようと思ったのは、松方弘樹の脳腫瘍を筆頭に、西田敏行(68)の頸椎亜脱臼、大橋巨泉(81)のガンなどなど、このところ健康を損ねる芸能人がやたら増えていることだ。日本は世界一の超高齢社会なので、今後はこうした傾向にさらに拍車がかかっていく。
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申しわけないが、いま闘病中といわれている芸能人の名前を少し挙げてみよう。やはりガンが多くて、渡辺謙(56)白血病・胃ガン、海援隊の中牟田俊男(66)食道ガン、北斗晶(48)乳ガン、生稲晃子(47)乳ガン、西川きよし(69)前立腺ガン、といったところ。ほかにはゴスペラーズの北山陽一(42)脳腫瘍、川村ひかる(36)脳動脈瘤、永六輔(82)パーキンソン病、などなど、である。
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ここから先は、闘病中の方々とはまた別の話として読んでいただきたい。テレビなどで長年親しんだ顔が消えてしまうのは寂しいものだ。芸能人のふだんの体調などこちらはほとんど知るよしもないし、ある日突然入院のニュースを聞かされ、そしてそれきり帰ってこなかった、という場合も多い。
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その唐突さが、喪失感、寂しさをさらにかき立てる。あたりまえのことだが、こちらにその人の死に対する心の準備ができていなかったのである。そんなわけで、これからは故人を偲んでの“○○ロス”が増えてくるかもしれない。デヴィロスとか。ないか。
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そういうことを考えていると、この芸能人の“死”というものをもう少し皆で分かちあえやしないか、と思いはじめたのである。ありがた迷惑な話である。いやいや、ありていにいおう。“死”をバラエティ化、エンターテインメント化できないか、と思ったのである。たいへん不謹慎な話である。不埒である。申しわけない。
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しかしおよそあらゆる人間行為のなかで、実際の人間の死だけがまだ完全にはエンターテインメント化されていないのである。それでいいのか? 人は必ずいつか死ぬ。にもかかわらず、とくに日本の社会では“死”は巧みに隠されて、日常に触れないようになっている。それでいいのか? とかなんとかいっていてもつまらない。とっととエンターテインメント化の具体的な案を考えよう。倫理に背かないように。
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むかしから闘病生活→死のドキュメンタリーというのはある。たとえばそのとき手がけている仕事への執念とか、国の医療政策だとか、フォーカスされるテーマはいろいろである。で、もし私なら、である。
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ドキュメントの対象はあくまでも芸能人である。まったく知らない素人が出てきても感情移入するまでには時間がかかるしつまらない。芸能人が最期に臨んで、意外な素顔や私生活がさらけ出されてくるところなどが面白いのである。隠し子がいるとか、愛人がいるとか、国籍がなかったとか。
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死に到るまでの生活全体の取材が許されるのだとしたら、私なら、病状の推移、治療方法の選択から、経済的なやりくり、家族・親族との別れの準備、死に臨んだ心の動き、そういうものすべてをつぶさに知りたいと思う。余名宣告から先、いったい何が起きるのかだけでも知りたい。とくに具体的な病状の推移と医者とのやりとりなどは、同じ病を得た者なら誰でも、絶対に詳しく知りたいはずである。
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きっと、見てためになる実用情報満載!! 涙と笑いと感動のドラマティック・エンターティンメントになるのである。タイトルは『THE LONG GOODBYE. 会えてよかった—最後の舞台もあなたのために with LOVE.』とかなんとか適当につけておけばよろしい。
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with LOVE とはいえ、取材されるほうにしてみれば、台所事情ふくめ内輪の話を洗いざらい公開することになるので、相当な思い切りがいる。というか、思い切らせるだけの理由が必要である。世のなかの役に立つ、ということだけではなくて、さらにプラスアルファである。ここでまたまたたいへん申しわけないが、やはり金の話が出てくる。
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そんなに莫大なギャラは払えない。で、しかし芸能人なら死んだら不要になるものたくさんあるでしょ、なのである。衣裳、靴からトロフィー、楯、賞状の類、写真類、什器、家具などなど。あと、著作権、版権などもある。
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それらを死後売却して得られると見込まれる金額の70%なら70%で先に買い取るのである。もちろん実際の処分は亡くなってからで、生前はかわりなく身の回りに置いて使ってもらえるものとするのだ。買い取り金額のパーセンテージは、エゲツない話だが、寿命の見通しによって変ることになるだろう。余名5年なら満額の70%、3年なら80%という具合だ。
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このシステム、いわゆるお一人死の場合ならいろいろの整理がつくし、とくに便利である。住宅をもっていれば、それだけでかなりの金額にもなる。売るものがない場合は、一生懸命サインを書くとか絵を描くとか粘土をこねるとか手形を押すとか、とにかく名前を入れて売れるものをつくってもらう。
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病気になるとなにかと金がかかるので、これは取材される芸能人にとってもありがたい話だと思うのである。名付けて「終活バンク」である。軽薄である。だれかこの「終活バンク」の部分だけ商売でやってみてはいかがであろう? アイディア料はお安くしておくのである。そーら儲かりまっせ。ハイエナ呼ばわりされるかもしれんけど。どや?
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実はこのシステム、アメリカの「死亡債(Death Bond)」からヒントを得たのである。「死亡債」とは、存命中の人の死亡保険を買い取り、それを数千人単位でまとめて証券化したものだ。
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たとえば、3億円の生命保険をその人から何割かの金額で金融機関が買い取って証券化し、ファンドに組み込む。こうすると、生命保険に加入していた人は、目減りはするけれども、生前に現金を受け取れる。もちろん解約するよりはずっと率がいい。
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しかし、生命保険というところがやっぱりエグい。つまり生命保険を買い取った金融機関の側からすれば、すぐにでも死んでくれたほうが、保険の掛け金も払わずにすみ、効率よく稼ぐことができる。「死亡債」を組み込んだファンドを買った人間も、どこの誰かは知らぬが早く死んでくれと願うのである。それはどうなの? と批判も出てくるというものだ。
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日本の場合、生命保険の売買は事実上認められていないので、「死亡債」はやろうとしてもできないのである。事実上認められていない、というのは、保険会社との契約の際に、“譲渡する相手は二親等以内に限る”などさまざまな縛りがつけられるからである。もっとも、近い将来にこの縛りが外される可能性はある。
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おっと、それで、映像、本人や家族への聞き取り、など、『THE LONG GOODBYE. 会えてよかった—最後の舞台もあなたのために with LOVE.』は大量のデータが集まる。これらは編集のうえ放送、出版、あるいはレンタルされる。ここで発生する本人の取り分は、先にギャラとして渡しておく。
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で、どんなかたちで放送、出版されるにしろ、必ず最後に「本人のまとめ」コーナーを設けておくのである。自分の人生を総括してひとことで語っていただくのである。「美佳。—— 高橋ジョージ」とか「ちょっとあんたなにいってんのようるさいわね —— 泉ピン子」とか「あかん! あかん! —— 宮川大輔」とかである。「あかん!」、人生の総括としてなかなかいいひとことである。
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私? 私はたいへん勝手だが、猫のようにひっそりと誰にも知られずに死んでいきたいのである。死の瞬間までライトを当てられるなんてまっぴら御免なのである。
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しかし寝芸能人のなかには、絶対に、死んでもスポットライトを当てていてほしいというヤツがいるはずなのである。これはそういう、根っからの芸能人のための企画である。(了)
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