2016年2月5日金曜日

日本人という鬱病なので、ただひたすら、やるせなし。わけはなし





やるせないのである。具体的になにがどういうふうに、というのではないのである。しかしやるせないのである。テレビを見ても、街を歩いていても、いや、やるせないと考えているだけで、少し目が潤んでくるくらいやるせないのである。



目といえば、蜂蜜で目を洗うという荒技をご存じであろうか? 知り合いが仕事である農業地帯へ行き、一般のお宅に泊めていただいた翌日の朝、なんとそこのご主人が割り箸に蜂蜜をつけ、目玉を擦っているのを目撃したというのである。割り箸である。「一瞬、見てはいけないものを見てしまったと思った」のもムリはないのである。



「やってみるか?」といわれたので、知人も勇気を出し、見よう見まねでやってみたのだそうである。すると「薄皮が1枚剥けたくらいに視界がパッキリ明るくなった」というのである。しかし残念なことに、うれしくて舞い上がってしまったのか、その蜂蜜の素性については聞いてこなかったというのである。



であるから、市販の蜂蜜などでこの真似は絶対にしないでほしいのである。蜂蜜なのであるから花粉も入っているだろうし、雑菌がいないとも限らないのである。あるいは農薬の心配もあるかもしれない。絶対に真似はしないでほしいのである。ということで、なんとも意味のない原稿である。すまぬ。



しかし私は、オジサンが洗顔のついでに割り箸で目玉を擦っている図を皆さまと共有したかったのである。おお、そしていま、たぶん「やるせなさ」のひきがねはこれではないか、ということを思い出したのである。それは「まわりだけがトクをしている」「まわりだけが儲かっている」というフレーズである。うむ。やるせない。



 

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「まわりだけがトクをしている」「まわりだけが儲かっている」というフレーズがどこからきたかというと、Dream Theaterというバンドの『Pull Me Under』(アルバム「Images & Words」1992)の、次の一節である。

This world is spinning around me.
This world is spinning without me.
Every day send future to past.
Every breath leaves me one less to my last.

世界は私のまわりを回っている 私を置き去りにして
日々は未来から過去へ流れ 呼吸するたび最期が近づく



まあ、この歌詞から「まわりだけがトクをしている」「まわりだけが儲かっている」につながってしまう私のアタマもそうとうやるせないのである。ふつうはたぶん、その逆に「まわりだけがトクをしている」「まわりだけが儲かっている」という現実認識から「世界は私のまわりを回っている 私を置き去りにして」という芸術的表現に昇華されていくのである。 



しかしそういうところの現実問題、SMAPなんかも、きっと「まわりだけがトクをしている」「まわりだけが儲かっている」だと思うのである。表現者、創造者は、ほとんどがそんなものであろうと思うのである。ああ、そういえばある酪農家もこんなことをおっしゃっていたのである。クリエイティブの世界に限らないのである。



いま、酪農家の総売上の少なくとも50%は飼料代に消えているのである。どのくらいの金額かというと、ウシ100頭を飼って年間の生乳販売代金が約1億円である。その50%であるから、5000万円である。酪農家に飼料を売っている農協は、それで稼いでいるのである。100頭規模の酪農家100軒を抱えていれば、黙っていても年間50億円の売上になるのである。



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飼料はトウモロコシなどの輸入穀物である。ウシはほんとうは草を食べるようにできているのである。しかし、乳の出がよくなるとかなんとかうまいことをいって、穀物を与えるようになっているのである。草地に放牧なんかをして穀物飼料が要らなくなってはたいへんなのである。



で、ウシを牛舎に閉じ込めて穀物飼料を食べさせていれば農協が儲かり、穀物メジャーが儲かり、その穀物を収穫するための肥料だの農薬だのをつくる化学薬品メーカーも、農業機械メーカーも儲かるのである。それが世の中の仕組みだとはいうが、程度問題である。酪農家はずっとあえいできたのである。



いま現在は石油価格が安く、穀物価格も安定しているので、酪農家自体も少しは潤っているのである。そしてそれ以上に農協はウハウハである。北海道東部の酪農地帯では、単一で100億円超の内部留保をもつ農協だってめずらしくないのである。そして廃業する酪農家は、あいかわらずあとを絶たないのである。酪農業は年中無休だし、疲れるのである。



たぶん農協としては、酪農家数は減っても、ウシの数が減らなければ問題はないのである。極端な話、小さな牧場がいくつもあるよりも、大きな牧場が2つ3つのほうが、ウシの数が同じなら手間がかからなくていいのである。やるせない話である。



そう。「まわりだけがトクをしている」「まわりだけが儲かっている」状態なのであるから、その中心にいてものごとのはじまりをつくり出している人々は、そのものごとが存在してさえいれば、いてもいなくてもいいのである。やるせなさすぎる話である。かくして「やるせない」がアタマのなかをグールグルなのである。



 

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「やるせない」は、外国語にどう翻訳されるのであろう? おそらく、しっくりとくる言葉は見つからないのである。「律儀」とか「生真面目」とかも。日本人は、きっと「律儀」で「生真面目」で「やるせない」のである。うむ。調べてみると、これを“メランコリー親和型”の気質というのだそうである。内因性鬱である。



しかし少なくとも私は誰かに“メランコリー親和型”であると指摘されても、別に違和感はないのである。ああ、そうかもしれませんね、と受け容れられるのである。ところが、たとえばドイツ人にあなたは“メランコリー親和型”ですね、と問いかけると怒ることがあるそうなのである。つまり治療が必要な病の領域、という解釈なのである。



もうひとりの知人に、独り暮らしだし、実家で飼いはじめた犬がとても可愛いので、自分も犬を飼いたいと思うのだけれども、いつか死んでしまうことを考えると、それだけで悲しくなる、実際に死んでもっとすごく悲しくなるのはイヤだから、犬を買うことを我慢している、というヤツがいるのである。



これなどはメランコリー親和型の典型である。まだなにもはじまってはいないのに先々を考えて憂鬱になっているのである。で、少しばかり人生の苦難に遭遇すると、生まれてこなければよかった、とすぐ慨嘆してしまうのである。女にフラれたくらいでである。それで元から断ってしまおうとするのである。



きっとラテン系の人はそんなふうには考えないだろうと思うのである。犬が可愛ければ、それこそあまり先のことまでは考えずに舐めるように溺愛するのである。女にフラれたってフラれるまでは楽しかった、と考えるのである。そんなふうにして人生を精いっぱい楽しむのである。日本人はそれが苦手なようなのである。



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それでは、どうして日本人にメランコリー親和型が多いのか、である。いろいろなことがいわれているようなのである。たとえば、台風、地震、津波、火山の噴火など自然災害が多いので、つねに悲観的にならざるをえない、というものである。酷い目に遭いすぎて、台風パーティがたくさんできていいね、とはならないのである。



日本辺境論というものもあるのである。辺境というより周縁である。つまりユーラシア大陸から日本を見れば、そのさらに向うはすでに太平洋であって、いわゆるドン詰まりなのだ、という見方である。



で、たとえば、どん詰まりでもう逃げる場所がないので、外から入ってきたものを唯々諾々と受け容れ、消化するのに長けているというのである。イヤイヤながらでも。どうにもならないドン詰まりは諦めを生み、メランコリー親和型を育む、ということである。



しかし私としては、大陸を逃げ回り、ついに日本海に追い落とされて、そのあと必死に泳いでたどり着くのが日本なのである。で、顔を上げれば太平洋の彼方から日が昇ってくるのである。さすが不沈艦、ラッキー、というポジティブなイメージを抱いてしまうのである。



まあ、国土との関連でいえば、圧倒的な狭さ、というのは影響しているかもしれないと思うのである。小さな島国で、しかもほとんどは山地なのである。いまや日本人の伝統的な暮しがエコだとかなんだとかいわれているけれども、資源の循環などというのも、狭いなかで暮らしていくための知恵だったと思うのである。そしていまは地球まるごと狭くなった時代だということである。



 

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狭い土地にすむ日本人は、人と人との付き合い、たとえば大喧嘩をやらかしたとしても、どこかに少しの余裕はもたせてあるような気がするのである。もう一生、二度と会わないという別れ方はできるだけ避けようとするのである。狭いから。いつまたどこで出くわすか知れたものではないのである。



そういう狭いからこその気配りのなかで代々暮らしていると、これまた寛容、諦めといったものが身に付くのである。つまり自分だけの気持ちや都合ではどうにもなりませんよ、という感覚が身に染みつくのである。まわりに気をつかいすぎてメランコリー親和型になってしまうのである。



そう。そこからはもう一歩である。たとえ仕事で成功しても、自分ひとりで稼いでいるつもりになってはいけませんよ、自分だけのチカラでエラくなったと思ってはいけませんよ、という処世訓も生まれてくるわけである。



このことと「まわりだけがトクをしている」「まわりだけが儲かっている」は、お人好しさ加減の違いだけのような気がするのである。で、考えてみれば、中心よりもまわりで回っているヤツのほうがいつも人数が多いのである。少なくともお人好し1名に対してまわり数名である。そうすると、日本人の大部分はメランコリー親和型のタカリかもしれないのである。なんだかよくわかる気がするのである。(了)





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