2016年2月28日日曜日
オーディオって、半分以上は買い物の趣味らしいけど
寝不足が続いたり疲れが溜まったりすると、軽い耳鳴りがすることがある。水中にいるような暗騒音に、そこにいるはずのない人の声も混じっているような気がして不気味である。そんなときは自分の独り言に驚いたりすることもある。間抜けである。
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机の上、真正面に、耳の高さになるように小型スピーカーをセットして音楽を聴きながら仕事をしている。最近のお気に入り気晴らしミュージックはYouTubeに上がっている『アナイアレイターvs吉幾三』だ。おヒマなら、あなたもぜひ。
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ところが、である。机の上で聴くこのステレオの左右の音量バランスが、頻繁に崩れて聴こえるのだ。もちろん左右のスピーカーから耳までの距離は同じである。で、同じミュージックソースを同じボリュームでかけても、あるときはやや右寄り、またあるときはやや左寄りに聴こえるのである。
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とくにYouTubeの低音質なソースだと、アタマを少し左右に振ると、音が斜め後ろから聴こえてくることさえある。きっと私の耳が悪いのである。むかしから音楽的な耳はあまりよくない、という自覚はあった。楽器の数は3つ以上はすべて“たくさん”である。絶対音感など望むべくもない。
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そんな私が数年前、いささかの資金を投じて、机の上とは別にあるオーディオシステムを、刷新しようかと考えたのである。それまでのシステムに不満があるわけではなかったのだが、よりハイスピード、より高解像度に聴きたい、と思ってしまったのである。
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耳がよくないのにオーディオに金をかけても、という意見はごもっともだ。しかしそのときの私は逆に、耳が悪いのだから音楽の微細なニュアンスを感じ取るためには、少しでもよい音を出さなければダメだ、と考えたのである。いまでもときどきそういう気分になる。
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しかしなぜそのときに踏み切らなかったのかといえば、決定打は各オーディオメーカーこぞっての「ハイレゾ(high-resolution=高解像度)」製品攻勢である。音楽用CDのデジタル規格を超えたものを「ハイレゾ」というのである。
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このCDの規格を決めるときに、それで十分かと不安視する一般ユーザーの声に、聴こえない音を再生しても意味がない!! と繰り返したのは、開発者のSONYを筆頭とする、当のオーディオメーカー自身だったのである。それがいまになって、細部の表現がより緻密に!! 音の輪郭がより鮮明に!! 音色や臨場感が一新!! などといわれても、掌返しをされているようで気持ちが悪いのである。
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最初のCDプレーヤーが国内発売されたのが1982年である。1986年には販売枚数ベースでCDがアナログを抜いている。そこから数えておよそ30年である。30年経てばもうむかしの話、誰も憶えていやしない、というわけなのだろうか? いやいや、私はまだ生々しく、アナログからデジタルに切り替えたあの日のことを子ども心にはっきりと憶えているのだ。
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ピカピカ輝くCDは、レコード盤に較べてゴミや埃が付きにくく、取り扱いがたいへんにラクなのである。しかし、そのぶん、というか、レコード盤の黒いビニールには確かに封じ込められていた、音楽の息吹とか魂のようなものがどこかへいってしまったように感じられたのである。
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それ以来、私はずっとCDの無機質さと闘い続け、なんとか折り合いを付けて生きてきたのである。私の戦後はまだ終わっていないのである。勝手なことをいうな!! である。
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オーディオ評論家のみなさんも、いまやすべからく「ハイレゾ」礼賛である。CDよりも前に家電にタイマーだのサーモスタットだのでデジタル技術が導入されはじめたとき、デジタルはノイズを発信するので、すくなくともオーディオルームには絶対に持ち込むな、と叫んでいた評論家たちが、である。
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いま60代以上のオーディオ評論家はみな、デジタル技術を罵倒し、一転CDに乗り換え、デジタルアンプの駆動力を褒め称え、そして「ハイレゾ」を推奨しているである。いまやオーディオシステムでデジタル化されていないのはスピーカーくらいのものである。評論家にだって生活があるのである。
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で、「ハイレゾ」で実際に音はよくなったのか? である。私の駄耳ではわからない。しかし、とくにイヤースピーカーで戸外で聴くときにはまったくムダなような気もする。都外の騒音のなかで違いがわかるほどの差ではないはずだからだ。
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音楽用CDの規格はサンプリング(標本化)周波数44.1kHz、量子化ビット数16bitである。これを超える「ハイレゾ」の規格には48kHz/24bit、96kHz/24bitや192kHz/24bitなどがある。CDの規格では、高音部分はヒトの可聴上限を目安としていて、実質20kHzまでである。これに対し、たとえば96kHz/24bitのハイレゾ音源では、40kHzを超える高音部分が取り扱えることになる。
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20kHzまでと40kHzまでとでは聴感上どれだけ違うのか? たとえばFMのラジオ放送の場合は上限15kHzである。若者には聴こえて年寄りには聴こえない高さに設定されて、若者を追い払うために使われるモスキート音は17kHz前後である。
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ネット上にモスキート音源があったので試してみたところ、私に聴こえたのは15kHzまでで、16kHz以上はまったく聴こえなかったのである。これはこれでなんとなく世間に都合よく飼いならされた耳みたいで嫌な感じである。まあ、このあたり、“聴こえていなくても感じている”みたいな議論もあるのである。
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こんな私にとっての20kHz以上の世界は、地上からはとても見ることができない、はるか成層圏での航空ショーみたいなものである。ちなみにモスキート音発生装置「モスキート」を開発したイギリスのハワード・ステープルトンは、2006年にイグノーベル賞を受賞しているのだそうだ。村上春樹にもあげればいいのに、イグノーベル賞。
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そのうえ、思うに耳というのは感覚器官のなかで、嗅覚とともにもっともいい加減な器官のように思うのである。冒頭の耳鳴りの話もそうだが、誰かと話をしながらテレビを観ていて橋本ナマミおっと間違いた橋本マナミ(31)が胸元の大きく開いたドレスなんかで出てくると、その瞬間になにをいわれているのかわからなくなったりするのである。嗅覚のほうは、どんなに強烈な臭いでも20分もそのなかにいれば麻痺してわからなくなってしまう。
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また、オーディオの世界にはオカルトアクセサリーと冷やかして呼ばれるジャンルがあるのである。音がよくなるシールとか、部屋のどこかの秘密のポイントに置くと音の雑味が取れる四角いウッドブロックとか、さまざまな商品があるのである。しかもけっこういいお値段なのである。値段でいえば、CDなどのプレーヤーとアンプをつなぐコード60cm×2本1組で100万円以上するものもあるのである。
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私にいわせていただければ、どれもこれもプラセボである。あまり薬を飲んだことのない人たちに風邪薬だといって小麦粉を飲ませても風邪が治ってしまうというアレである。つまり、人間の耳というのは気分に相当引っ張られるものなのである。で、大枚をはたいてそういうアクセサリーを購入した人には、きっと劇的に音が変って聴こえているのである。
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器質的にはまったく問題がないのに、難聴になってしまうこともあるのである。機能性難聴といわれるものである。ストレスが原因でなる場合もあるし、難聴のフリをしていてほんとうに聴こえなくなってしまう場合もあるのだそうだ。聴覚はいい加減といったが、不安定といったほうが正しいのかもしれない。少なくとも私はそんな感じである。
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なものだから、オカルトアクセサリーも効きまくるのである。薬を飲んだことがない人のような、見事なプラセボ効果なのである。私が体験したアクセサリーでいちばん効いたのは、両耳の後ろに掌を当てることであった。しかし号泣県議、野々村竜太郎(49)ではないのである。あまりいうとヤリで突かれるかもしれないので、このあたりにしておくのである。
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そういうわけで、私は古いシステムとこれからもしばらく付き合っていくのである。もし聴き逃している音があまり多いと困るので、意識を集中して何度も聴くのである。耳の後ろに両掌を当て、目を閉じ、ニヤニヤしつつ微動だにしない私は、きっと捕虜になってしまった根性なしの兵士のようなのである。(了)
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