エリオット・マーフィー(Elliott Murphy・68)の『アナスタシア(ANASTASIA)』という曲がある。1976年の発表でまあまあヒットにはなったけれども同じアルバム『アメリカン・ヒーロー(Just A Story From America)』に入っていた『ドライブ・オールナイト(Drive All Night)』の陰に隠れてしまったのか、最近は話題に上ることもない。
*
歌われているアナスタシア(アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ)はロシア最後の王朝、ロマノフの皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后のあいだに生まれた第4皇女である。1917年の二月革命で成立した臨時政府によって1918年7月17日に銃殺された。17歳であった。
*
アナスタシアの亡骸が長いあいだ発見されていなかったためにその後も生存説が根強く、さまざまな物語が想像され語られた“伝説の王女”でもあった。後の調査によってやはり1918年に家族とともに亡くなっていたことが確定されたのは2007年になってからであった。政治の暴力、“正義”や“大義”に命を奪われたアナスタシアの悲劇性は、もちろんいまも世界の各地で生き続けている。
*
毎年このくらいの時期になると『アナスタシア』を聴く。ソビエト連邦が崩壊した12月25日(1991年)が近づくからだ。この曲とエリオット・マーフィーの義理のオヤジみたいなボブ・ディラン(Bob Dylan・76)の『クリスマス・イン・ザ・ハート(Christmas in the Heart)』があれば必ずショボショボしてきて、そのうち足腰立たなくなるほど泣ける。私は日本人で実家の宗教は神道だが。
*
そういえばメリー喜多川(ジャニーズ事務所副社長・90)の誕生日も12月25日であった。植木等(享年80)もな。人はたくさん生まれてたくさん死んでゆくのよ。
*
「1人はみんなのために、みんなは1人のために(One for all,all for one.)」というスローガンめいた文言がある。誰がいいはじめたのであろう? おお、ラグビーで有名であるけれども、そもそもは『三銃士』(アレキサンダー・デュマ)のなかのセリフらしい。
*
しかしこんな言葉に踊らされてはいけない。「みんなは1人のために(All for one.)」はいい。しかし「1人はみんなのために(One for all.)はダメだ。“みんな”などという得体の知れないもののために個を捧げましょう、とは全体主義そのものである。そうさなあ、道徳心のカケラもないヤツらに向っていって聞かせるくらいがぴったりの前近代的な教えであろう。それに「みんな」の陰には必ずロクでもないヤツが隠れている。
*
アナスタシアが命を奪われたロシアの2月革命を率いたレーニン(ウラジーミル・イリイチ・レーニン)が亡くなったのは1924年1月21日であった。その遺体はご承知の通りモスクワ・赤の広場のレーニン廟で毎年2000万円以上の経費をかけて保存・安置されている。これが歴史とはいえ、長いあいだ正式に弔いもしてもらえなかったアナスタシアとは対照的だ。
*
で、そのレーニンに晩年はキノコだったという噂があるらしい。
*
*
*
◆『GIGAZINE』2017年12月11日配信
【「レーニンは死ぬ前にキノコになった」というデマはなぜ本当に多くの人に信じられたのか?】
《 ロシアでは、「レーニンはキノコだった」という表現が大衆のだまされやすさを示すときに使用されます。これは実際に「キノコが好きで大量に消費していたレーニンは最終的には本当にキノコになってしまった」というテレビの調査番組が多くの視聴者に信じられてしまったことに端を発しています。なぜこのような状況が起こってしまったのか、海外メディアのAtlas Obscuraがまとめています。
「レーニンは死ぬ直前に文字通りキノコになった」という話が現れ、多くの人々に信じられることになったのは1991年、ソビエト連邦が崩壊する1カ月前のこと。それ以前の国政は不条理で溢れており、ソビエト連邦の崩壊が国民にもたらした変化は現在からは想像しがたいほどに大きく、変革の時期にあったからこそ、通常であれば「ありえない」と片付けられてしまうことでも多くの人が信じてしまう結果になりました。
カリフォルニア大学で社会文化および言語人類学を研究するAlexei Yurchak准教授は「1991年になるまで、この種のデマは想像できないものでした」「他の誰かではだめだったと思います。レーニンだったからこそ、デマであると信じるのが難しかったのです」と語っています。
〈— 略 —〉
(Pyatoe Koleso(第5車輪)」という調査番組)に「学者」として出演したのがアーティストのKuryokhin氏です。Kuryokhin氏は、レーニンが数年かけてマジックマッシュルームを摂取し続けた結果、最終的に自身がキノコに変貌してしまったと主張。そして、レーニンのキノコ化がロシア革命を激化させレーニンに力を与えた可能性があると示しました。メキシコでもマジックマッシュルームが関連した同様の出来事が起こっていたことを示すアートが存在するとして、証拠としてのアート作品も提示されました。最終的にKuryokhin氏は、ロシア革命のプロパガンダが成功したのは薬物の力だったと主張しています。
「私は、十月革命がこれらのキノコを食べていた人々によって進められたという否定できない証拠を持っています。そして多くのキノコを摂取していたレーニンは最後には菌に意識を完全に奪われてしまったのです」「キノコを消費していた人たちは人格を入れ替えられ、キノコ化しました。別の言葉で表すなら、私はシンプルに『レーニンはキノコだった』と言いたい」とKuryokhin氏は番組で語りました。
〈— 略 —〉 》
*
*
*
いやいや、マタンゴでもあるまいし、いくらキノコを食べ過ぎたからといって人間がキノコになるわけがない。それをどうして信じる気持になったのか? つまり1991年、息も絶え絶えのソビエト連邦に暮らす人々にとって、1917年、2月革命と10月革命によって達成されたロシア革命は疫病のごとき忌まわしき記憶だったのであろう。
*
あーんなバカなことをやらかしたのはそーとーイカれたヤツに違いない、キノコ頭のラリッた野郎とか。いやマジでそういうことにしておきたい。だったのであろう。そうでもしないとやりきれない状況だったのだ。であるからこれは陽気なロシア人のブラック・ジョークと考えたほうがいいのではないか。とはいえ教訓はある。
*
*
*
《 Kuryokhin氏はレーニンとスターリンの共通点についても言及。レーニンが「キノコを食べたあとはいい気分になる」と言っていたことや、キノコのようなものがレーニンの写真に写っていたこと、マジックマッシュルームの根の構造とレーニンがスピーチを行った時に乗っていた装甲車の図解の比較などを証拠として次々に示しました。しかし、これらの証拠が映されたのは短時間で、多くの視聴者はこれらの証拠がばかげたものだと見分けることができなかったそうです。
Kuryokhin氏が語る間、ホスト役のSholokhov氏が真剣な表情で熱心に耳を傾けていたこと、そしてマジックマッシュルームに詳しい菌類学者へのインタビューを事前に収録して流していたことも、デマが信憑性を増した一因だと考えられています。なお、このインタビューでは、レーニンに関することは聞かれませんでした。
Yurchak准教授の調査によると、番組がデマであると即座に認識した人は少なく、多くの視聴者は当時困惑し、どう判断すべきか分からなかったといくことを記憶していたといいます。
Kuryokhin氏が出演したイタズラ放送回は、人々に「テレビで見ているものは真実なのかどうか?」と考えさせるものとなり、放映後、Kuryokhin氏はロシアで大きな人気を得ました。
時代背景やレーニンの人物像といった要素が関わっているとしても、本質的に多くの人は上記のような「デマを信じやすい」性質を備えているといえます。「多くの人は、そこに証拠があるのかどうかを知りません。しかし『証拠があるからこそ議論されるのだ』と仮定してしまうのです」とYurchak氏は語っています。》
*
*
*
デマは恐ろしい。ウソかホントかは関係なく、人々が潜在的に抱いていた恐怖や不安、怒り、憎悪が特定の対象にフォーカスされる。大災害のあとにはしばしばデマを発端に事件が起こるし、アフリカのタンザニアでは幸運のお守りや薬になるとしてアルビノの人たちが殺されている。サウジアラビアでは魔術を使った罪で公開斬首までされる。
*
不条理は大手を振ってやってくる。アナスタシアの身の上にばかりでなく。(了)
OCN モバイル ONE データ通信専用SIM 500kbpsコース
CMで話題のコスメやサプリがSALE中☆
【DHC】最大70%OFFのSALE開催中!
0 件のコメント:
コメントを投稿