友だち? え? 友だちってなに? とうそぶいてトボケなければならないほど友だちのいないワタクシです。しかし実際のところどこまで親しくなれば「友だち」なのか、これは人それぞれ。アドレスを交換しただけの「友だち」もあれば、子どものころから一心同体みたいな「友だち」もあります。
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学校以外には誰かとつるむことが少ない現代の子どもたちは、たぶん「友だち」の感覚もかつてよりはかなり希薄になっているのでしょうね、と想像します。ワタクシのいう友だちというのは、たとえばこんな感じです。
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Web限定「股間戦士エムズーン」というものがあります。小林製薬のしわざかなと思ったら「池田模範堂」という「ムヒ」をつくっている会社が売り出し中の「デリケアM's」のCMです。
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この股間のかゆみ、ムズムズと戦う軟膏をお互いの目を気にせずに塗り込めるようになったら、ソイツは「友だち」です。で、何度か一緒にヤバい橋でも渡ってきたなら「兄弟」、と、ワタクシは思います。
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われながらたいへん古典的です。いまどき金玉袋の付け根を見たり見られたりなど、ほとんどあり得るお話ではないでしょう。つまりワタクシなりの尺度でいわせていただければ、ほとんどの若者に「友だち」はいない、ということになります。
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そう考えてこれを読むと、日ごろワタクシたちがいかに幻想のようなものに支配されているかがよくわかります。
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◆『リアルライブ』2018年7月30日配信
【“友達や知人は少ないに越したことはない”林修、SNS時代の現代人に「友人不要論」を提言 ネットで論議】
《 29日に放送された『初耳学』(TBS系)で、「友達や知人は多いからといって幸せというわけではない」と林修が提言。ネット上で話題となっている。
同番組で林は、児童向けの歌にある『1年生になったら友達100人できるかな』という一節は現代人の悩みを象徴していると主張。今はインターネットの普及によって、スマホを利用すればアプリやSNSなどで簡単に他人とつながることができる時代になった。一方、人間関係が多くなりすぎて個人的な時間を奪われ、集中できないことが増えている。そのことが、現代人には負担になっている、と説明した。
続けて林は、現在ベストセラーとなっている『極上の孤独』(幻冬舎、下重暁子著)にも“友達や知人は少ないに越したことはないと思います”と書かれていたこと、またドイツの哲学者・ニーチェの名言に“愛せない場合は、通り過ぎよ”とあることを例に挙げて、相性の良くないと感じた相手には無理に友達として接するのではなく、「ちょっとドライな関係」を保つのがいいと語った。
これに男性アイドルグループ、Sexy Zoneの中島健人は「通りすぎて、いつの間にか孤独になってしまうことが寂しくなったりしません?」と疑問を投げかけると、林は「孤独って寂しいんですか?」と逆に返した。林自身の経験から孤独が寂しいと感じる人は「あんまり本を読まない」傾向にあると説明した上で、「考えるという作業は絶対に一人じゃなきゃできない」と強調。読書をすることで思考する時間が増え、どう他人とつながっていくべきかを見出すことができると持論を展開した。
これにネット上では、「すごくわかる あんま友達いないけど自分の範囲内でちょうどいい」「孤独は悪い事みたいな風潮変わってほしい」「林先生の言う通りだと思う。友達とか人間関係が全てじゃない」「わかってくれる人が1人いりゃ十分」「たしかに、人は孤独な時間に成長する」「孤独って楽しむもんだよ 俺本あんまり読まないけど、孤独は寂しくはないよ」などと共感する声が多く上がった。
その一方で、「一人で考えるのが大事なのと、孤独のほうがいいかは別問題」「友達の数は結婚式で大事になる」「繋がり持っとけばピンチの時助けになってくれる保険」「孤独を寂しいと思ったことはないけど 孤独になれって人に勧める奴は寂しいんだろうなあって思う」「林先生は今健康でまだ寿命でもないから孤独が寂しくないと言えるんじゃないの?」「少なくても全然構わないが、多くたっていいじゃん 極論なんだよ」とする反対意見もあった。
社会性を持つためには他人とのつながりが必要不可欠だ。ただ、その人間関係が負担になってしまわないようバランスをとる必要はあるのかもしれない。》
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「友達の数は結婚式で大事になる」「繋がり持っとけばピンチの時助けになってくれる保険」、いくらなんでもこれは論外、「友だち」とはいわないでしょう。自分にとってのメリットだけに目が向いているのも気になります。
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「友だち」は、ワタクシ的には義理、人情に支えられた関係です。むっかしながらの。損得ではなく義理人情なのです。そしてそういう関係を維持していくには、それなりのパワーや時間が必要です。
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ときおりはなにがなくても互いの身を案じ、連絡があれば話を聞き、困り事があればたとえ力にはなれずとも駆けつけ、慶事弔事があればともに喜び悲しみ、飲んで騒ぐ。おのずと「友だち」関係になれる人数には限りがあります。
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そういうことも含めてニーチェは「 愛せない場合は、通り過ぎよ」といっているのだと思いますね。中途半端に愛するなら、中途半端にしかできないのなら最初から関係をもつな、と。
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林修(52)の議論は「友達や知人は少ないに越したことはない」ではなくて、生涯にもてる「友だち」の数は限られている。そのことをしっかりわきまえろ、ということでよろしいのではないですか。
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「親友」と「友だち」、「友だち」と「知人」、というふうに線引きをしてお付き合いができるのなら、そのなかでもっともコアな関係に焦点をあててお考えいただければ、誰の場合でもそれはごく限られた人数であることがおわかりいただけるでしょう。
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情報通信の発達で人間関係が急激に広がっているように見えて、実はワタクシたちの感性も能力もムラ社会であったころのむかしとそう変ってはいないという自覚が大切だと思います。面白くもなんともないお話ですけど。
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なぜこんな面白くもなんともないことになったのか、といえば原因はコレ(↓)です。
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◆『Business Journal』2018年7月30日配信
【剛力彩芽「暴走投稿」に叶姉妹が「説教」!? タイミングよすぎ「愛の言葉」に驚愕......」】
《 〜 略 〜
29日には交際中の実業家・前澤友作氏と過ごした「休日の風景」を投稿。前澤氏が昼寝する風景が映し出されており「お仕事が毎日大変そうな彼。少しでも支えになれたらいいなっ。だからこそ私も成長していかなきゃ。」などとコメントしまたしても話題に。世の中の「嫉妬」と「憧れ」を一身に集めている剛力の「勇猛さ」は変わっていないようだ。
そんな剛力を「説教する?」大物芸能人が話題だ。それが叶姉妹・叶美香が同日に投稿した、インスタグラムの内容である。
「相手のことがどんなに好きであっても、『相手の思うがまま』であることだけは避けましょう。お互いの関係において、いかに自分を見失わないようにするか、その態度を養うことが、お互いを慈しみ大切にするということにつながるわけですから。」
「世の中には、さまざまな「制約」がありますので、自分自身が「感じるまま」に考え、行動することが、誰かにとっての迷惑やマナー違反にならないかは、常に誠意をもって検討しておかなくてはなりません。ただし、その一方で、自分自身の幸せを大事に考えることに、闇雲に臆病になってはいけません。」
などと、ダイナマイトボディの写真とともにコメントしているのだが、これが「剛力に対して言っているのかな?」「タイミングがドンピシャすぎる」など、剛力へのメッセージとして受け止める声が多数見受けられた。
〜 略 〜 》
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剛力彩芽の「勇猛さ」とはナイスですね。しかしそれよりさらにビッツリしたのが叶姉妹のコメントです。叶姉妹ってこんなにていねいに物事を考える方々だったのでしょうか? 驚きましたねー。考えるチチ。
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「お互いの関係において、いかに自分を見失わないようにするか、その態度を養うこと」なーんて、なかなかいえることではございません。ただ無闇矢鱈にチチを養っていたわけではなかったのですねー。
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それで、ではワタクシも、とつい思ってしまったのが間違いのはじまりでした。ほんとうは人さまの「友だち」のことなどどうでもいいのに。(了)
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