7月6日、オウム真理教事件で刑が確定している死刑囚13人のうち、教団元代表の松本智津夫(63)ら7人の刑が執行されました。「オウム神仙の会」を改称し、宗教団体「オウム真理教」が設立されたのは1987年(昭和62年)、宗教法人として東京都に認証されたのが1989年(平成元年)。まさに平成と併行するようにしてオウム真理教事件は推移してきたわけです。
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その大きな節目となる死刑の執行も、ですから平成のうちにというのは誰しもが予想し得たことでした。おそらくはあらかじめ納得の上で法務大臣の任に着いたであろう上川陽子(65)は、ようやく半分だけですが肩の荷を降ろしたことになります。これで上川陽子の死刑執行命令数は10となり、そしておそらく鳩山郁夫がもつ最多執行命令記録13も超えることになるでしょう。
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心労のほどいかばかりか、と思いながら写真を拝見しましたら、やはりといいますか屈強そうなオバサンでした。死刑執行までの手続きは以下の通りです。
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◆ 上申書作成
死刑判決が確定すると判決謄本および公判記録が該当検察庁に送られ、書類を送られた高等検察庁の検事長、または地方検察庁の検事正は、その死刑囚に関する上申書を法務大臣に提出する。
◆ 起案書作成
上申書を受けて、法務省刑事局は、検察庁から裁判の確定記録を取り寄せ、審査をする。
刑の執行を停止する事由、再審の事由、非常上告の事由、恩赦相当の事由がまったくなかったと検事が確認すると、死刑執行起案書を作成する。
◆ 執行命令書のサイン
作成された起案書は
(1)刑事局内で、担当検事-参事官-総務課長-刑事局長のルートで決裁される。
(2)刑事局から矯正局に送られ、参事官-保安課長-総務課長-矯正局長のルートで決裁される。
(3)矯正局から保護局に送られ、参事官-恩赦課長-総務課長-保護局長のルートで決裁される。
(4)その後、起案書は刑事局に戻り、刑事局長が矯正局・保護局の決裁を確認した上で、起案書を「死刑執行命令書」と改名して、法務大臣官房に送られる。
(5)法務大臣官房では、秘書課付検事-秘書課長-官房長-法務事務次官のルートで決裁される。
※ここに至るまでに死刑囚が身体や精神を病んだり、女性の場合懐妊していたりすると、書類はすぐに刑事局に回収され、このルーチンから外される。
◆ サイン・執行
法務大臣が決裁すると、死刑執行命令書は該当検察庁に送られる。検察庁では、立会検事及び書記官を選ぶと同時に、死刑執行指揮書を作成する。
該当死刑囚が拘置されている拘置所に書類が届けられ、拘置所長の命令で執行の準備をする。
執行当日に立会検事が執行指揮書を持って拘置所に赴き、概ね午前9時以降の午前中に死刑囚は刑場へ連れ出され、拘置所長が執行指揮書を読み上げた上で、死刑を執行する。大臣の決裁から死刑執行まで5日以内に行われる。
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死刑執行起案書が作成されてからだけで、ざっと数えて少なくとも16個の判またはサインが必要とされることになります。担当者の精神的負担を考慮してのことなのでしょうか。
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今回の死刑執行に関する報道が最も早かったのは日本テレビで、午前8時41分に「法務省はオウム真理教の一連の事件の首謀者・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚ら複数の死刑囚の死刑執行の手続きを始めた」という速報テロップを流しました。執行されたというニュースはほぼ各局横並びで8時48分。
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つまり、おおむね午前9時以降の午前中に執行されるところ、今回に限っては若干前倒しで行われたことになります。トラブルが起きないよう細かく注意が払われていたことが窺えます。
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今回の7人、とくに松本智津夫の死刑執行を受けて、ワタクシはひどく茫漠とした感慨を抱きました。喪失感とはまた違いますけれども、なにかが急にフラットになってしまって、位置関係といいますか方向がわからなくなってしまっているような感覚です。
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それがなにかはまだ自分でもよくわかっていません。松本智津夫は、まったく接点をもたなかったワタクシにさえも、なにか一種のランドマークのような作用をしていたのでしょうか? うむ。人間の愚かしさ、人間の群れの愚かしさを絶えず語りかけていたような気はするのですが……。
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もう少し時間をかけないとムリなようです。失礼いたしました。(了)
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