一途で一本気、といえば聞こえはいいかもしれません。でもそれは客観性や冷静さを失いやすいということでもあります。さらには気が変りやすいという矛盾した性質を同時に抱えていることが多く、しかも自分自身の未熟さや限界についてはまったく顧みない、となかなか厄介な場合も少なくありません。
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こういう人がなにか、あるいは誰かを絶賛しはじめると、いわゆるホメ殺しになります。贔屓の引き倒し。思い込み激しくただただ称賛して、周囲は完全にしらけてしまうという構図。これでは本人に悪意はなくても誉められたほうは堪りません。コレ(↓)を読んでついそんなことを考えてしまいました。
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◆『Smart FLASH』2016年10月7日配信
【偏差値72の天才「愛子さま」が書かれた作文がすごすぎる】
《皇室をテーマにした作品も多い漫画家の小林よしのり氏は、愛子さまを「スーパーガール」と絶賛している。
「偏差値72の天才で、東京大学も余裕で入れる成績らしい。学業は超優秀で、通信簿はオール5、学年でもトップクラスという。雅子さまがおられるから、当然、英語は得意……」(8月 28日のブログより)
小林氏に、愛子さまの資質について聞いた。
「最近、露出を増やしていらっしゃるなかで、とうとう自分のアイデンティティを自覚されたんですよ。しかも、雅子さまに近い背の高さ、スラーッとした美人にどんどんなっていらっしゃる。そしてここに、抜群の記憶力、頭脳というご自身の能力が加わるわけです。まとっているオーラが、ものすごく高貴な感じになっています」
そこで、愛子さまが中学1年生のとき書かれた作文を紹介しよう。小林氏はここからも、愛子さまの才能の片鱗を感じることができるという。
「ちょっとびっくりするくらいうまいファンタジー小説です。生きものを介護する看護師という設定は、国民一人ひとりを癒やす存在になりたいんですよ。天皇になるための自覚が育っているんだと思います。愛子さまが皇太子になって天皇への道が開かれたら、皇位継承の危機が解消され、世の中が明るくなるでしょう」
〜 略 〜 》
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愛子さまありがた迷惑です。“偏差値72の天才”などとはなはだ妥当性を欠く言葉で褒めちぎられても、なんのトクにも誉れにもなりません。偏差値72が天才なら日本は天才大国でしょう。こんなことでは持ち上げられたほうもかえって薄っぺらく感じられ、勝手に騒がれる不快感が募るだけです。と、ワタクシは思います。
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また「生きものを介護する看護師という設定は、国民一人ひとりを癒やす存在になりたいんですよ」とはおっしゃいますが、わたしらふだんから海の生きものよりは看護師さんに近いと思って生きておりますので、関係の捉え方に歪みを感じてしまいますです。
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で、我田引水でがす。つまるところ小林よしのりは自説のアピールのために利用できるところをピックアップしているに過ぎないのでがす。かくして作品の評価も皇室の後継問題も一緒くた。そしてもちろん、こうした行き届かない手前勝手な解釈は作品の価値を貶めます。
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で、今回はそういうダメなヤツはなにをやってもダメなんだようー、みたいなお話ではなくて、愛子さまの“ファンタジー小説”を鑑賞させていただこう、という趣向です。そうです。ここまですべて前文です。上掲記事の後半部分に作品が紹介されていました。
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《 〜 略 〜
【愛子さまが書かれた作品】
私は看護師の愛子。最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、今日の診療も外が暗くなるまでかかった。先生も先に帰り、私は片付けと戸締りを任されて、一人で奥の待合室と手前の受付とを行き来していた。
午後八時頃だろうか。私は待合室のソファーでつい居眠りをしてしまった。翌朝眩しい太陽の光で目が覚め、私は飛び起きた。急いで片付けを済ませて家に帰ろうと扉をガラッと開けると、思わず落っこちそうになった。目の前には真っ青な海が果てしなく広がっていたのだ。
診療所は、一晩でどの位流されたのだろうか?
いや、町が大きな海へと姿を変えてしまったのかもしれない。助けを呼ぼうとしたが、電話もつながらない。私は途方に暮れてしまった。
あくる朝、私は誰かが扉をたたく音で目を覚ました。扉の外には片足を怪我した真っ白なカモメが一羽、今にも潮に流されてしまいそうになって浮かんでいた。私はカモメを一生懸命に手当てした。その甲斐あってか、カモメは翌日元気に、真っ青な大空へ真っ白な羽を一杯に広げて飛び立って行ったのであった。
それから怪我をした海の生き物たちが、次々と愛子の診療所へやって来るようになった。
私は獣医の資格は持っていないながらも、やって来た動物たちに精一杯の看護をし、時には魚の骨がひっかかって苦しんでいるペンギンを助けてやったりもした。
愛子の名は海中に知れ渡り、私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである。そう。愛子の診療所は、正に海の上の診療所となったのだ。
今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう。
出典:学習院女子中等科・高等科『生徒作品集』(平成26年度版)》
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この作品がどのような経緯や決まりごとのもとで執筆されたかはまったくわからないことを予めおことわりしておきます。
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一読して感じることは、たいへんこじんまりとして見通しのよい作品であることです。子ども時代に「ファンタジーを書け」といわれればつい手を広げすぎて収拾がつかなくなることも多いと思いますが、そこを潔く割り切って手際よくまとめています。天才とはいわないまでも、たしかに作者の明晰さを感じるところです。あるいは文系の才能というよりは理系寄りの才能なのかもしれません。
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内容で注目されるのは、主人公に「私」と「愛子」の二通りの書き方がされていることと、主人公の内面描写が淡白なこと。具体的に言及している部分は「私は途方に暮れてしまった。」の一ヵ所しかありません。
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自分に固執しない、自分を客観的に、少し極端にいうと突き放して見る習慣が身に付いているのでしょう。やはり皇室というすべてがパブリックな特殊な環境に生まれ育ったことが影響しています。そしてこれが作品全体の見通しのよさにつながっているわけです。一人称と三人称の混在もここではかえって効果を上げています。
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後半に描かれる主人公の海の生きものに対する博愛と献身にも、その、自分を客観的に眺めて他者を介在させない独特な孤独感が影を落としているように思います。海の生きものたちへの働きかけはいつも一方的あるいは一往復です。それ以上の関係には発展しません。アタマのいい人に特徴的な自己完結のクセがあるといってもいいかもしれません。
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自分に固執しない性質は自ずとありがちな冒険譚の回避につながり、安直なドラマ性に頼ることなく主人公をファンタジーの世界に導くことに成功しています。しかしこれらは企図して書かれたものではないでしょう。
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全体として見れば天才とはいえませんけれども、たいへんに明快でありながら独特な世界観を感じさせる作品です。それは作者の孤独によって支えられています。おわかりですね。この作品から読み取らなければならないのは作者の孤独、です。皮肉なことに小林よしのりのような無理解がそれを助長しているのだろうと想像するのも決して難しくござんせん。
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ちなみに中学一年生のワタクシは人間の腸内に棲むヒト型寄生虫が主人公のお話を書いておりました。栴檀は双葉より芳し。(了)
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