「NON STYLE」の井上裕介(36)がこんな時期に当て逃げ? 収録済の年末年始番組もたくさんあるだろうになんともイタい話じゃのう、とかなんとか思っていたところに飛び込んできたのが『日刊サイゾー』の元も子もないタイトルであった。
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【ホリエモンの“新恋人”女装男子は「20センチ大砲」の持ち主だった!】
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12月8日にこの件、堀江貴文(44)と大島薫(27)のゴシップについて原稿を書いたときに「DMM.R18」でモザイク越しに確認したところたしかに大島薫のチンコはデカかった。で、今回の『サイゾー』の記事の中身もほぼ以下の“AVライター”のコメントがすべてである。
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「実は薫くんは、とんでもない“薫砲”の持ち主なんです。大きくなると、20センチ以上はありますね。アイドルのようなルックスのコの股間で、大砲が空を貫いてそそり立つ様は、正直ぎょっとなりました。あれを、堀江氏はどう扱っているのか……」
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カオルホー、なんともゲスな話である。堀江貴文、お受けしたのであろうか? もしそうだとすればケツの穴のデカい男である。しかし殺伐とした気分のとき、申しわけないけれどもこの手のゲスな話はいい息抜きである。
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だけれどもそれにしても最近いまひとつ笑える話がない、と思っていたところにまた『サイゾー』(2016年12月12日配信)がタイミングよく記事を上げてくれたのである。さっそくご紹介しよう。
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【芸人を超えた!? 「乾杯」マスコミ批判バージョンの長渕剛が、完全にネタキャラ化したワケ】
《硬派なイメージがウリの長渕剛が完全に“ネタキャラ”になってしまった。
伝説が生まれたのは、長渕が出演した7日放送のフジテレビ系『FNS歌謡祭2016冬・第1夜』。トリで登場した長渕は代表曲「乾杯」のニューバージョンを披露したのだが、本来の歌い出しである「かたい絆に……」ではなく、始まったのは「アメリカの大統領が誰になろうとも……」からだった。
「今日もマスメディアが正義の面(ツラ)して話している」「歌の安売りするのやめてくれ 日本から歌が消えていく」「俺達の東北、仙台、俺達の九州、熊本、そして福島……オリンピックもいいんだけどよぉ、若者の貧困どうする 地域の過疎化どうする 騙されねえぜマスコミ」と、およそ4分間に渡って訴え続け、ようやく本来の「乾杯」にたどり着いた。
その間、「セイッ!」「おりゃ!」といったシャウトも忘れない。これには、テレビの前の視聴者もあっけに取られるしかない。しかし、数秒後にはギター1本で弾き語る長渕の“らしさ”と、なんともいえない空回り感が、人々に抱腹絶倒をもたらした。
ネット上では「今年一番ワロタ」「お笑い芸人超えた」「中学生の作文レベルの歌詞で大暴れする長渕△(さんかっけーの意味)」などと絶賛の嵐だ。会場で生歌を聴いた小倉智昭氏も、8日放送の『とくダネ!』(同)で「強烈だったね」と回想。「乾杯に入る前の詞が……。見ていてドキドキしましたよ。まさか、ワイドショーなんて出てくると思わなかった」と苦笑いを浮かべるしかない。
スポーツ紙記者は「歌詞にマスコミ批判が散りばめられていましたが、あれは元プロ野球選手の清原和博氏の覚せい剤事件の流れで、『週刊新潮』(新潮社)に“シャブ中疑惑”を書かれた腹いせでしょう。長渕サイドは新潮に厳重抗議すると宣言していましたが、いまだに長渕側からは何もないそうです。むしろ聞こえてくるのは、硬派なイメージとは程遠いヘタレぶり。それでも歌番組では自分の世界に入り込むのですから、さすがですよ」と話す。
清原事件の余波もあり、お笑いキャラに変貌を遂げた長渕。次はどんな伝説のステージを見せてくれるのか――。》
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見事に批判に徹した記事である。悪意がこもっているといってもいい。『サイゾー』と私は気が合う。しかし最後で“スポーツ紙記者”に語らせているマスコミ批判の動機はかいかぶり過ぎでいただけない。長渕剛に“シャブ中疑惑”を書いたマスコミに一矢報いようなどという勇気のあるはずがない。
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そもそもあの前半の詞のなかには「マスコミ」だけで「週刊新潮」も「週刊誌」さえも出てこないのである。長渕剛はただ反体制ふうな埃まみれのクリシェを十年一日のごとくなぞっているのである。であるからいちおう批判したことになっている相手の誰にとってもこの詞は痛くも痒くもないものである。
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長渕剛の「乾杯」については、画面下にテロップが流れたことであれはアドリブではなかったと揶揄する向きもある。つまり準備の段階でしっかり考え推敲したであろう詞のクォリティがこれかよ、である。それでは百聞は一見にしかず。抱腹絶倒、「乾杯」の前半の部分をご覧いただこう。
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おう〜
アメリカ大統領が誰になろうとも
凶とでるか吉とでるかって俺達次第じゃねぇか 〜
今日もマスメディアの誰かが 無責任な話ばかりしている 〜
正義のツラして知ったかぶりしてる奴の言うことに耳を傾けてる俺
あ〜
これ以上答えのねぇ 話なんか聞きたかねぇ〜
歌の安売りするのも止めろ〜!
日本から歌が消えていく
日本から言葉が消えていく
あ、あ〜
自らの言葉をつむぐ歌い手たちが 群れをなして魂の歌を産むならば
俺達は歌によって 正しい道を見付ける事が出来るのに〜
ああ〜
「ウ・タ・ヨ ノ・コ・レ!」
「ウ・タ・ヨ ノコレ〜」
俺達の東北、仙台、俺達の九州、熊本 そして福島も頑張ってんだ〜
オリンピックもいいけどよぉ
若者の貧困、地域の過疎化どうする?
騙されねぇぜマスコミ!
騙されねぇぜヒットチャートランキング !
騙されねぇぜワイドショー !
は〜
ところで、けなげな少女の瞳が今日も銃弾に撃ち抜かれていく
岸に倒れた名もない兵士は 母の名を叫んで死んだ
アジアの隅に追いやられてきた しなびきったこの島国で
屈辱の血ヘドを吐きながら 今日も俺達は歌う
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で、半笑いの群に囲まれてしまった長渕剛、詞だけではなくアレンジ面でも実はそうとう頑張っていたのである。「は〜」とか「おう〜」とか、そのほかは書き起さなかったけれども「あ゛あ゛あ゛」とか「いゃおう!」とか、やたらかけ声が多かったことにはすでにみなさんお気づきのことと思う。
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これは和風のテイストを狙っていたのである。そしてリズムに日本的なお囃子、たとえば祭囃子の「テケテンツクステツクテンツクツ」みたいな調子がとぎとぎ導入されていることからもそれとわかる。「あ゛あ゛あ゛」とか「いゃおう!」とかは、要するに民謡などの合いの手なのである。しかし「それとわかる」という程度で、この試みは成功しているとはいえない。いまのところこれに言及した記事を見たこともない。
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長渕剛、いつまでも西洋音楽のコピーではいけない!! と思ったのであろう。その志やよし。しかしその前にアメリカのフォークシンガーたちのかすれたコピーに過ぎないそのアタマをなんとかしろといいたいわけである。
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海の向うではボブ・ディランにノーベル賞である。受賞決定後のやたらファンの目を意識した立ち回りのいやらしさなどいろいろと批判はあるけれども、とりあえず大衆音楽の歌詞がノーベル賞を舞台に論議されるところまで来たのである。なのにこのていたらく。
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いやいや最もダメなのは、そんな長渕剛を担ぎ出すフジテレビの見識のなさである。なぜいま長渕剛? それは音楽ではなくジャーナルな話題に乗っかっての起用としか考えられないのである。ジャーナルな話題とは芸能界の薬物汚染である。おお、あの怪しい怪しいといわれている長渕剛が出ているのか、で関心をひこうと考えたわけである。そうとしか理解できない。
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芸能ニュースを後追いしてのネタ拾い、キワモノ拾いである。テレビもここまで堕ちてしまったのである。テレビはいまや週刊誌や芸能紙の下位に位置しているのである。ここまできたのならひとつ、自社在職中のセクハラプロデューサー夏野亮(51)の悪行三昧をドラマ化してみてはいかがなものであろう? 本人役はぜひ三村マサカズ(49)でお願いしたい。(了)
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