2017年9月11日月曜日

27時間テレビも案の定……、フジテレビってヤツはいったい……



『FNS 27時間テレビ にほんのれきし』が終わった。日本テレビの24時間テレビもそうだけれども、そもそもこういう長時間企画をやる必要があるのか? とついに覚醒してしまうくらいおもしろくない。では、いつものようにヒマな今日も今日とて、その「おもしろくな〜い!!」を共有しようではないか。



◆『ビジネスジャーナル』2017年9月9日配信
【フジ『27時間』、想像絶する「つまらなさ」…延々たけしの下らないギャグ&歴史ネタ】

9月9日午後6時30分スタートの『27時間テレビ』。その日も替わらぬうちに配信されたニュースである。いささか気が早い気もしたけれども、番組は結局「想像を絶する『つまらなさ』」から一歩たりとも踏み出すことなく終了したのである。



フジテレビがつまらない理由、ダメな理由についてはこれまでさんざん指摘されてきたしここにも書いた。なので繰り返しになることは避けよう。とりあえずこの記事でもっとも驚かされたのは以下の記述だ。“テレビ局関係者”のコメントである。



「昨年放送の『27時間』が過去最低の平均視聴率7.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)を記録するなど、『27時間』は多額の制作費がかかるにもかかわらず、ここ数年低迷が続いていました。そのため、6月に就任した宮内正喜新社長は放送に反対したものの、すでにスポンサー集めを進めてしまっていたという事情もあり、仕方なく放送されたという経緯があります。宮内社長からは、例年のようにただバカ騒ぎして金ばかりかかるような企画は許さないという方針が出され、現場には制作費抑制の大号令がかかっていました。その結果、なんとも“ショボい”内容になってしまったのでしょう」



つまりほんとうはやるはずのないものをいきがかり上やらざるをえなくなってやってしまった、ということである。女たらしや犯罪者のいいわけのようだ。



ここで問題は、なぜ宮内正喜新社長(73)が放送に反対したときに、それに向けて調整を図ろうとしなかったのか? ということである。在京キー局のなかでもとくにフジテレビの営業局は機能していないとはよく聞くけれども、こんなときの営業ではないか。



新社長が放送に反対した、それを公言したということは、まだ調整がきくと判断していたということである。かつては編成制作局長まで務めていたのである。それは見込みのない話ではまったくなかったはずだ。



それを「すでにスポンサー集めを進めてしまっていた」という理由で無視してしまう。フジの社長はそんなに軽いものなのであろうか? これではいくら「生まれ変わらなくては」、などといってもまたまた十年一日のごとくで同じことの繰り返しにしかならないのは明らかだ。



そういえばいまふと思ったのであるけれども『めざましどようび』のキャスター・佐野瑞樹(45)の生気のない、煤けてむくんだ坊っちゃんヅラがいまのフジテレビを象徴しているのではないか? いかがであろう? バツ2というだらしなさ学習力のなさもぴったりする。



佐野瑞樹 は1994年入社。「楽しくなければテレビじゃない」「おもしろくなければテレビじゃない」に憧れて入社した世代である。わかるわ〜。たぶんこの世代が消えるまでフジテレビはダメだろうなあ。と思う。



もとい。で、今回の『FNS 27時間テレビ』に残ったのは、蔓延する「放送することが決まってしまっていたので仕方なくつくりました感」(本文より)でしかない。



そうかそうか、それでもスポンサー集めだけは頑張ったみたいだからかなり派手にやるのかな、と思いきや「制作費も例年の数分の一」(同)だったのだそうである。ショボーン。



いうことを聞いてくれないツラ当てに宮内正喜、コストカッターとしての手腕を発揮して見せたのであろう。営業が水戸黄門の印籠のごとく掲げてみせた、せっかくのスポンサーたちにはいいツラの皮だ。



そんなことを意地悪く思いながら見ていたら、さらに「想像を絶する『つまらなさ』」に落ち込んだ。そしてついに、だいたいにしてこんな長時間企画をやる必要があるのか? という覚醒に到ったのである。



『27時間テレビ』は前身の『FNSの日』から数えて今回で第31回目になる。日本テレビの24時間テレビは40回。40年前、ちょうど24時間放送が開始されたもののライブでのバラエティ番組はなかったし、その約10年後でも事情は同様であった。つまり夜通し生放送をやるということ自体が年に1度のお祭りだったわけである。今年の『27時間テレビ』は生放送ですらないが。



視聴者の側から見ればまるまる27時間もテレビにかじりついているわけでもなし、ひとつのテーマに収斂するよりは個別の番組の多彩さのほうが楽しい。今回の「にほんのれきし」もサイドストーリーばかりで「歴史」に正面から向き合う迫力など望むべくもなかったのだから、なんで27時間? となるのはあったり前田のクラッカーなのである。「にほんのれきし」で評価できるのは「ニッポンのれきし」にしなかったことくらいのものだ。



「想像を絶する『つまらなさ』」はどうして生まれるのか、これについてはキャスティングの主導権を大手プロダクションに握られている、とかスポンサーへの忖度がキツい、とか、内輪ウケ・内輪ノリが過ぎるとか、ビートたけしがもうムリだとか、先に書いたようにさまざまに語られている。



しかし結局、いってしまえば人の問題なのである。要するに制作の現場でリーダーシップを握れない、自分たちの内輪ウケ・内輪ノリがすでに世間においていかれていることも関知できていない、そういう人間が番組をつくっているからである。ひとことでいえばセンスが悪い。コネ入社も盛大だし。



センスの悪い奴というのはほんとうに困ったもので、勉強したりレッスンしたりで身に付くものでもないし、というかそんなことをすればまたこじらせるばかりだし、自分のセンスの悪さを受け容れさせること自体がまず容易ではない。それができれば苦労はしないか。



で、センスの悪い奴のためにスペースが割かれると、そのグループや組織全体の能力が低下していく。それを抱擁力などと傲っていては自分も知らぬあいだにミイラに近づいているのである。ゆーっくりゆっくり乾涸びていってカッサカサのパーリッパリ。気がつけば取り返しのつかないことになっている。



ああ、共有といったけれども、もうイヤだイヤだ。いったいこれはどうすればいいのであろう? いや、だっからもういたしかたないのよ、フジテレビは。でもって日本という国もよく似てるのよ、フジテレビに。いいたいのはこれだけである。(了)




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