2017年11月10日金曜日

『アンネの日記』を愛読した松本人志に深く深〜く納得する



これなんなの? GoogleのAdsenseみたいなの。AI? ネット上の広告に1回アクセスすると次から同類の広告ばかり掲出されるようになるアレ。ニュースサイトのヘッドラインやYouTubeも最近の閲覧実績から同じカテゴリーやジャンルのものを割り出してきてそれ一色になる。



だからギター弾き兼お色気担当・CORTNEY COX(28)のバストあたりを1回クリックしようものなら、延々CORTNEY COXから逃れられないハメに陥ったりする。ヒトラーならヒトラー一色になるのであろう。やったことはないけれども。



これは案外マズい。自分の気に入った好みの情報ばかりを摂取する“タコ壷化”に知らず知らず拍車をかける。考え方や世界観が偏る。しかも最近は検索能力が向上しているのか情報そのものが増えているのか、まったくピンポイントでとめどなくガンガン攻めてくる。どんどんタコ壷が深くなる。出にくくなる。



実際問題としてこれは便利なようでたいへん不便だ。ニュースのヘッドラインやYouTubeの場合、ありがた迷惑でもある。次にはまったく別のところへ飛びたいと思っていても、上から下まで同一カテゴリー、同一ジャンルを次候補に挙げてくる。たとえば私のモニターが「きな粉おはぎ あんこなし」一色になる瞬間もそう遠くはないのであろう。



そんなお節介なネットワークが私のために用意してくれていた!! とうっかり喜んだのがこのニュースである。





◆『トピックニュース』2017年11月9日配信
【松本人志 子どものころに「アンネの日記」を読んでいたと明かす】

《 8日放送の「クレイジージャーニー」(TBS系)で、松本人志が、幼少期に読んでいたという意外な愛読書を明かした。

番組のオープニングでは、設楽統が松本と小池栄子に「小さいころ好きだった本とか、影響を受けたとかあります?」と質問した。松本は「あるかなあ、文句ばっかり言ってたからな、昔話でも」と、創作の物語には否定的な反応をする。

その後、松本の口から「『アンネの日記』は…」と予想外のタイトルが飛び出すと、設楽と小池は「意外」と声をあげた。設楽は「松本さんとここでちょっと話すと、いつも意外なことが出てきますよね」と感心した。

「アンネの日記」とは、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクが第2次大戦下のオランダで、ナチスから身を潜めて暮らした生活を記した日記調の文学作品。

「『アンネの日記』は、ちょっと俺は結構読んで」と語る松本は「アンネの隠れ家見に行ったりとか…」と「アンネ・フランクの家」に足を運んだことを明かすと、小池は「ゾッとする」と漏らし、スタジオの笑いを誘った。

小池は「さっき昔話疑ってた人間が、こんなに純粋なことします?」と松本の行動に納得ができない様子だったが、松本は「“現実”は好きやからね」「だってアンネの隠れ家から見える窓の外はそのまま残ってる」と現地の状況を説明していた。

これに小池が「作り物と現実っていうものの温度差が凄いじゃないですか」と再度驚くと、松本は「そういう子ではあったかもしれないね」と振り返っていた。》





前々から危ういところのあるヤツだと思っていたけれども、私も小池栄子(36)同様いささかゾッとする。草野仁(73)と芸能界のムダ筋肉ツートップを構成するマッスル松本(54)が『アンネの日記』。あ、ヒ・ト・シは単なる偶然の一致なのであろうか?



外堀からいこう。いままさに私が“マッスル松本が『アンネの日記』”と書いて笑いを誘おうとしたように、『アンネの日記』には独特なパブリックイメージがある。とくにマッスル松本のような40歳代以上の日本人にとって“アンネ”は複雑である。生理用品を思い出すのである。



かつて存在していた「アンネ株式会社」という会社はもっぱらナプキンやタンポンなどの生理用品を製造・販売していた。“アンネ”はそのまま同社のブランド名でもあった。





《社名は『アンネの日記』で月経に関する記述があったことに由来する。日本では平安時代以降、長く穢れとして扱われていた月経を『アンネの日記』では“甘美な秘密”と肯定的に表現しており、これがアンネ社の目指す月経観であるとして社長が「アンネ」を社名として提案した。》(Wikipedia)





社長に悪気がないことはわかるがいまならネットお得意の“物議”の対象になるであろう。私にしてもかつての妊娠検査薬「マリア」のネーミングに近い違和感がある。こういう場合は「ヒ・ト・シ」のほうを私はおススメしておきたい。



その後1993年にアンネ株式会社はライオンと合併して消滅している。アンネナプキンそのものも「エルディナプキン」と名前を変えて製造・販売されていたものの2002年にはそれも停止されている。ライオンが生理用品から撤退したためである。



Wikipediaの「アンネ(企業)」のページにはその「エルディナプキン」の写真が掲載されているけれども、このパッケージがわやシワくちゃなのである。世間一般において生理用品が置かれてきた微妙な立場を象徴するような写真である。使用済み生理用品をどのように廃棄するか問題は解決しているのであろうか?



もとい。『アンネの日記』はユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクがナチスドイツの迫害から身を隠しながら書いた1942年6月12日から1944年8月1日までの日記が元になっている。何者かの密告によって保安警察に逮捕される3日前までの約2年間の記録である。



“元になっている”というのは、日記にはもともとオリジナル原稿と彼女自身の清書による改訂稿の2つが存在し、しかしどちらも完全な形では残っておらず、アンネの死後、父オットー・フランクによって相互補完する形で縮約編集されたいわば復元版が定本になっているからだ。



アンネ・フランクは1929年6月12日 生まれ。身を隠していたオランダ・アムステルダムからの移送先、ドイツのベルゲン・ベルゼン収容所で亡くなったのは 1945年3月上旬と見られている。



つまり『アンネの日記』はアンネ・フランク13歳の誕生日からはじまっている。月経を“甘美な秘密”と形容する早熟と才能には驚く。



で、そういう作品を少年マッスル松本が愛読していたというのだ。どうすればいい? どう解釈すればいいのであろう?



「作り物と現実っていうものの温度差が凄いじゃないですか」(小池栄子)
「そういう子ではあったかもしれないね」(松本人志)
なーんつってすむ問題ではない。



私? 私自身『アンネの日記』は小学校入学前にパラパラと飛ばし読みして止めてしまった。あまりに悲しく辛く苦しいお話だと思ったからだ。それにジュール・ベルヌの『地底探険』を早く読みたいと思ったし。ああ、それから幾歳月、『アンネの日記』には楽しいことも書いてある、あなたはいつもラクなほうラクなほうって生きている、となじられたこともあったっけ。



この記事では、マッスル松本が「『アンネの日記』は、ちょっと俺は結構読んで」の理由を「“現実”は好きやからね」ということにいちおうされている。しかしそれだけでは十分ではない。“現実”が好きだというなら歴史もの、伝記をはじめとして児童向けノンフィクションは山ほどある。



問題は、なぜマッスル松本は『ムツゴロウの絵本』や『子どもの伝記 野口英世』や『むかし戦争があった』ではなく『アンネの日記』のほうへ向かったのか? ということである。答えはこれしかない。マッスル松本は意外にオ・ト・メだ、ということである。



しかも「アンネの隠れ家見に行ったりとか…」と発言しているところを見るとかなりオトナになってからもオトメだったのである。ミキハウスの赤いトレーナーを着ているヤンキー、というよりもっともっとオ・ト・メである。ありきたりな結論で申しわけないけれどもやはりこれしかない。



「アンネの隠れ家」を見にいったマッスル松本の 「だってアンネの隠れ家から見える窓の外はそのまま残ってる」という言葉は、まるで芸能人の“聖地”を訪れたファンそのままである。物語性・悲劇性にばかりひき付けられて、とうぜんアタマが向くであろう悲劇を繰り返さないためにいまここでやらなければならないこと、に目が向かない。



マッスル松本が繰り出す粘着質な笑い、そしてそういえばときおり恥じらいを覗かせる笑い顔はオ・ト・メの特性である。相方、浜田雅功(54)のほうにはジジイではなくバ・バ・アのイメージがある。オ・ト・メがボケてバ・バ・アがツッコむ、うむ。われながらツボを心得た指摘である。



さらに考えれば日本の芸能界、いやおそらく日本の社会は、芸能の女神・アメノウズメや卑弥呼の時代からアンチ・ファロス(希: Pharos=男根、男根的なもの)なのである。こんな言葉があるのかも知らないが。



ジャニーズは中性的であるし、演歌は男が女言葉で唄って違和感がない。組織のなかでは誰も中心に屹立しようとしない。国際政治の場で自立していた時期はまったく短く、ドナルド・トランプ(71)を見る目はかつてダグラス・マッカーサー(享年84)を見た目つきと同じ父親を見る目である。



しかしまた日本の芸能界、社会は真性の女、女性性に対してもアンチなのである。あきれるほど汚い顔をしたマッスル松本が読み耽った『アンネの日記』は少女の物語だ。



ロリコン帝国・日本も、渡来の事物をなんでもかんでももろ手を挙げて受容してしまう日本も、こうした本性の上に成り立っているのである。こんなところでリーダー、リーダーといわれても辛いだけだよなあ。で、ようやく出てきたと思ったリーダーはチビのファシストだったりするんだろうなあ、きっと。



愛読書というのとは違うけれども私が繰り返し読んだのはエド・サンダースの『ファミリー』とマーク・ベーカーの『NAM』である。人間の危うさがよくわかる。ぜひヒ・ト・シにも読んでいただきたい。“現実”やから。(了)



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