2017年11月7日火曜日

“伝えないテレビ局”も、ときどきならナイスかも



このままではアタマがオーバーロード(overload)しそうっつーか、そういえば格好はいいけれども、ただただ能力が足りなくて情報過多に陥っている。日々怒濤のごとく押し寄せてくる情報を処理しきれない。オトナの世界でこれをいうのはまだなんとなくバカを告白しているみたいでタブーな雰囲気があるけれども、私ははっきりといわせてもらう。もう降参。ギブアップ。



そういえば10年ほど前か、月何十冊か以上の雑誌とまたそれ以上の新刊書を読んでます、なんて吹いていたアナリストがいたけれども、ああいう方々はいまごろどうなっているのであろう? 休日なら4000冊(by BOOKOFF)の境地に達しているのであろうか? 自分が読むべき本さえ取捨選択できないのならアナリスト失格だよー。



後ろ姿はオットセイ、前に回れば毛深いコトゥーゲみたいな百田直樹(61)も、小説ひとつ書くのに何百冊も資料を読むって豪語してたよなあ。ご苦労さまなこってす。みんなもっと自分に正直になりな。でもって白旗の仲間に入ろうよ。NAKAMA。



そうそうそれ。爆裂しっ放しの情報爆弾の前に早々と白旗を上げた私に、マスコミ、とくに在京キー局による『27時間ホンネテレビ』の扱いはひどく新鮮で気持のよいものだったのである。だってそういう番組配信があるということすら完全スルーでなーんにもいわないんだもん。皮肉でなく。



気持がよいと感じたのは、マスメディアの枢軸・在京キー局が黙々モッくん黙殺を決め込む一方で、当のAbemaTVが順調に番組を配信し続けていたからである。バカだなあアイツら忖度しやがってホッホッホッ、と嘲笑う余裕があった。まあ在京キー局が揃いも揃ってこれだけバカを晒し続けたというのもはじめての出来事であろう。



しかしその一方で大手マスコミが報じなければ世のなかからも簡単に見放されてしまうことがありうるという恐怖を目のあたりにもしたのである。3日間の総視聴数7200万回というネットテレビとしては前代未聞の反響は、もはや社会現象といっていいものであったはずである。もし在京キー局をはじめとする既存メディアが正当に取り扱いさえすれば確実にそうなっていた。しかしならなかった。



もしそうなればたいへん明るいニュース、世のなかの景気マインドもいくらかは上向いたかもしれないのである。と思う。それを一介の芸能プロダクションの目と企業としての利害を気にして放送しないとはいかなる愚行であるか!! 民放テレビ局といえど収益企業であると同時に公の器でもあるはずである。この責任放棄をどうしてくれる!! なのである。



「報道の自由」ということをいうのであれば、だからといって「報道しない自由」もあるのか? というお話になる。ない。



《報道しない自由(ほうどうしないじゆう)とは、国民の知る権利のために報道機関が 有する報道の自由に対して、時には報道機関が報道しないことによって国民に知らせ ないことも自由になってしまうという危険性を示す用語である。》(Wikipedia)



たとえば国政選挙前の報道で特定の候補予定者がニュース番組から徹底的に外されてしまえばとうぜん当選は覚束なくなる。したがって平等に扱って報道しなければならない。あたりまえのことである。またWikipedia上には続けてこういう記述もある。



《 立場を問わずメディア各社の報道内容が一方向に傾き『事実報道』なのか『主張』なのかがあいまいになっている」という指摘がインターネットなどを中心に増えている。
放送事業者については放送法第4条の「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」の規定から、報道しない自由が問題視されることがある。》



「事実報道」であるのなら政治的公平と同様に、社会的公平についても尊重されなければならない。ところがここに『主張』がときどき勝手に割り込んできて、つまりニュース番組かニュースショーかニュースバラエティか、というサジ加減が生まれる。



そんなわけで視聴率が取れそうな事件は大々的に、当面はさして話題になりそうもない事件は簡単に、になる。しかし、だがしかし、くどいようだが3日間で7200万回という総視聴数を集めた『27時間ホンネテレビ』の場合、これを黙殺するという判断はどう考えても妥当ではない。しかもたかがジャニーズ事務所への忖度、競合への忖度が理由というのなら“報道”の看板が泣く。在京キー局、赤っ恥の黒歴史を残したものである。国境なき記者団にも話を聞いてもらいてえ。



実はそんな『27時間ホンネテレビ』の扱いが気持よかったのにはもうひとつ大きな理由がある。情報過多である。突然だがIT専門の調査会社・IDCによると、2010年の世界の1日あたりの情報流通量は1ゼタバイト(ZB)に達していたらしい。ゼタバイト?



キロバイト(KB)1000 ─ 10の3乗

メガバイト(MB)100万 ─ 0の6乗

ギガバイト(GB)10億 ─ 10の9乗

テラバイト(TB)1兆 ─ 10の12乗

ペタバイト(PB)千兆 ─ 10の15乗

エクサバイト(EB)100京 ─ 10の18乗

ゼタバイト(ZB)10垓 ─ 10の21乗



まだよくわからない。こういうときはコレさ。まあ、仮にAVが1本30ギガバイトくらいだとすると1ゼタバイトあれば300億本は収容できる計算になる。どう? 毎日毎日300億本のAV。なんだかスゴいようなあまりスゴくないような、うれしいような数である。極楽地獄である。こういう場合、真面目な方々のあいだでよく使われているのは、世界中の砂浜の砂の数、という例えらしい。300億本のAVのほうがよくない?



で、これが2010年のお話で、2020年には35ゼダバイトに増えているだろうといわれているのである。これはヤバい。1兆500億本だよ毎日毎日。しかもこの情報流通量というのはメディアやネットワークを介しての情報についてであるから、生身の私たちにはこの他に現実に見たり聞いたり触ったりした情報も飛び込んでくるのである。そーそーそー、わかるでしょ。それも処理しなければならぬ。



こうした、とくに21世紀に入ってから顕著になった情報流通の拡大現象を、「情報爆発(Information explosion)」というのだそうだ。私はその爆風をモロに受けて辛いのである。別に頼まれたわけではないので受けなくてもいいのだけれども、どうしてか受けてしまう。情報の被爆者。



でもって、『72時間ホンネテレビ』について一切報じなかった在京キー局は、私にとってひととき情報爆風から身を護ってくれる遮蔽壁のように感じられたのである。おかげで遮蔽壁の陰に身を隠しつつ、『72時間ホンネテレビ』のあれこれを自分のアタマで考える余裕がもてた。なんだか意外な発見であった。



「情報爆発」というワードもまたいろいろなことを考えさせてくれる。そうか、情報爆発だからタコ壷的情報選択になるのか、とか、マーケティングはつねにご破算でございまして、からスタートしなければいけない、とか、神奈川県座間市で捕まった白石隆浩(27)の精神とか。



雑誌やラジオなど、旧世代メディアとされているものにこそ信頼できるフィルターとしての新しい可能性があるような気もしてきた。“多様性の中の一極集中”をもう少し掘り下げてみることもできそうだ。



そんなようなわけでこれからそのあたりのところ、人類未曾有の体験「情報爆発」について、タイミングを見つけて少しづつ、うっすーらと考えていきたいと思ったりする。でもほんとうは荷が重過ぎてオーバーロードするかもしれないので誰か代わりにお願いしたい。(了)




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