テレビがおもしろくない!! まいどまいどお約束通り律儀につまらない!! ではそういうおまえの現実生活はどうなのよ? と自問すればもちろんもっとつまらない。まあ、他人さまがこっそりお覗きになれば少しは笑えるところがあるかもしれない程度の小市民である。
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あ、しかし小市民=プチ・ブル(Petite bourgeoisie)は気が引ける。いつどう転ぶかはわからないけれどもまだ破綻はしていない、しかし働かなければ食っていけない、れっきとしたプロレタリアートである。小市民=プチ・プロ(Petite proletariat)。仏・独混在、汗顔の至りでござる。
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ドラマも情報番組もつまらないけれど、とくに最近はバラエティ番組がテレビおもしろくない現象の中軸としてヤリ玉に挙げられることが多い。フジテレビが「めちゃ×2イケてるッ!」と「とんねるずのみなさんのおかげでした」の打ち切りを発表したことがそれにさらに拍車をかけて、いまやテレビ局関係者までバラエティがつまらないといって憚らない。
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どうしてそうなってしまったのであろう? その根本原因を解説しているらしい記事があった。これである。
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◆『日刊ゲンダイDIGITAL』2017年11月11日配信
【時代の風潮か 相次ぐバラエティー番組打ち切りの根本原因】
《 フジテレビ系「めちゃ×2イケてるッ!」の来年3月での終了のほか、同局系「とんねるずのみなさんのおかげでした」や「SMAP×SMAP(スマスマ)」の後番組「ちょっとザワつくイメージ調査 もしかしてズレてる?(もしズレ)」の打ち切り説も一部で報じられるなど、バラエティー番組が軒並み存続の危機に立たされている。
「バラエティはいよいよ大変だ」とツイートしたダウンタウンの松本人志(54)はこんな持論を展開。
「コアなファンは面白いと言ってくれるけど、大抵そういう場合は低視聴率なことが多い。(バラエティーで)とがった番組を作るにはお金と体力が必要。クレームなどのリスクも考えると、今後どんどん難しくなるというのはほぼ間違いないでしょうね」
若者を中心としたテレビ離れや、コンプライアンス重視の世の中の風潮もあると考えているようだ。実際のところ「めちゃイケ」は1996年10月のスタートから21年。ナインティナインを中心に視聴率20%超えが当たり前。しかし、2004年の特番で最高視聴率33.2%を記録した往時の勢いはなく、ここ数年の視聴率は1ケタ台に低迷することが多かった。それはやはり、テレビ離れや社会の変化による影響が大きかったのだろうか。
■マンネリ、惰性、お仲間意識……
あるテレビ関係者は言う。
「『めちゃイケ』では、ロケ先で現場の仕切りが悪くスケジュール調整できないといった悪評が複数のプロダクションから上がっていた。手間暇かけても良い番組になればいいのですが、レギュラー出演者と長年のスタッフが好き勝手にやるだけで『自分たちが楽しめればいいと思っている』との指摘がエキストラやゲストからも上がっていた。
番組プロデューサーには、自分の飲み友達のやっている店でロケをやったとか、温泉で自分たちが遊びたいから箱根の『ユネッサン』とタイアップしたんじゃないか、という話もあり、『公私混同』との声もある。実際にタイアップした企業関係者が怒り出すこともあったし、そのくせ制作コストは高止まり。いつ打ち切られても仕方がない状況でした」
民放バラエティーを中心に活動中の放送作家はこう言う。
「ナイナイにしろ、とんねるずにしろ、ダウンタウンにしろ、お笑いコンビを冠にしたバラエティーは、長く続けば続くほど内輪の悪ふざけが増長していく。そしてマンネリで惰性的になる。スタッフも同じ仲間という感じになって、タレントを注意するどころか、一緒になって悪ふざけするからです。それらが視聴者、クライアント離れを誘発し、衰退していくという同じパターンがある。この業界特有の風通しの悪さ、あとさき考えない刹那主義、身内だけに褒められればいいという麻薬的な自己満足主義が根底にあると思います」
衰退も打ち切りも当然だろう。》
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“とがった番組”がつくりづらくなったというのが最近の松本人志の持論らしい。金も手間もかかるし視聴率も期待できず、クレームのリスクも高い。いまや“とがった”おもしろいバラエティは世に受け容れられ難いのだ、と。
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このコメントのあとは「若者を中心としたテレビ離れや、コンプライアンス重視の世の中の風潮もあると考えているようだ。」、「テレビ離れや社会の変化による影響が大きかったのだろうか。」となって、タイトルにもあって私たちが知りたかった肝心の「時代の風潮か」や「根本原因」の追究はないのである。
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不肖・カンバレ自分、いまふと「時代の風潮か」で思ったのだけれども、“おもしろい”の中身が変わってきているのではないか? もしかして。バラエティの話題なので“笑い”ということでいうと、もう以前ほど笑いたくなくなってきているのではなかろうか? である。どうだろう。
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そういえば世間はすごく「常識」に傾いていて、「非常識」はあまり歓迎されていない。と感じる。「常識」に傾く、というのもおかしないいかただけれども、“笑い”は非常識な発想から生み出されるものであるので、これはたいへんな逆風である。
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そして現在ただいまの「常識」は、「物議」そしてチカラ関係・利害関係を気にかけるだけではない本来の意味の「忖度」だったりする。「時代の風潮」は、笑うよりもしかめっ面をするほうに向いている。ありていにいえば、心に正直になれば、笑えるものよりも、どんな理由でもいいから誰かがとっちめられる姿が見たいのである。
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これはもちろん、バラエティの“笑い”がスタッフやタレントの才能不足からパワーダウンしているのと表裏の関係でもある。視聴者は“お笑い”では得られなくなったカタルシスを誰かのとっちめられる姿に求めている。
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そしてここにもう1本の撚り糸が加わる。“物議”である。“炎上”に到る一本坂、“物議”。視聴者はクレームを入れるだけでなく、実際により具体的に人やテレビ局を動かすチカラをもってきた。どんな大物も有力者も“物議”には勝てない。いつも“物議”がスタンバッているおかげで、テレビでは生意気なクチをきけなくなったのである。
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と、ここからスピンアウトして、だから上西小百合(34)が炎上タレントとしての延命を願うのであれば、そのつどとっちめられなければならない、という見解に到る。とっちめられ過ぎても見放されてしまうのでタイミングが難しいけれども、とりあえずここぞ!! というところでさんざんにとっちめられることが大切である。わしがOKを出した(by小林よしのり)。果たして上西小百合にこれができるであろうか?
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ダラダラと思いつくままで恐縮。上西小百合といえば大の仲良し・東国原英夫(60)である。『バイキング』(フジテレビ)などを観るとこの男、最近ますますあたりまえのことしかいわなくなってきた。もはや正論とかいう以前の“あたりまえ”である。そのくせもったいぶって話しはじめる瞬間の得意げなようすには虫酸が走る。
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で、この東国原英夫がたどったお笑い芸人 → (犯罪者 → 学生 → 政治家)→ 政治評論家、という軌跡はそのまま時代の転回を写し取っているともいえるのではないか。しかしこれは単なる偶然の一致であって東国原英夫が意図して時代を先取りしたわけでも、時代の風向きに敏感だったわけでもない。ほんとにほんとにただの偶然。
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そうした、たまたまそうなっただけ、の考えのなさが透けて見えるので、ロンドンブーツ1号・2号の田村淳(43)も、東国原英夫さんが目標です、みたいなことはいわないのである。
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私はいまさらテレビに常識や正論を求めない。テレビにはただひたすらおもしろさだけを求める。そのためにはどんな暴論やウソがあってもいい。ただ楽しませてほしい。
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どうせこのままいけば民放テレビはスポンサーに引きずり回されてテレビショッピングと似たような場所にいき着くのだ。いずれ使いものにならなくなったテレビはポイ捨てすればいいだけのお話ではないか。
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時代は大きく転回している。誰もが怒りっぽく不機嫌で、ほかの誰かがとっちめられているようすや、誰かの不幸でかろうじて憂さを晴らしている。そもそも“笑い”という精神活動はかなり高級なもので、心に余裕がなければ受け容れられづらいのだ。
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転回する時代をぼんやり考えていたら、実はもう1本の撚り糸を見つけたのである。ここからほぐしていっても似たような時代の相が見えてくるだろう。
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それは最近のAVにおいて騎上位がたいへんに増えている、というまごうかたなき事実である。これをいったいどう考えるべきか? なぜか射精後も男優たちの勃起が持続しているらしいという事実との関連だけでは収まりますまい。時代の深層でなにごとかがしきりに蠢いているのである。わしがOKを出す。誰か考えてくれぬかのう。
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昨日、私は「組んず解れつ」を「むんずほぐれつ」と読む女に出会った。仲よくなりたい。(了)
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