3日前の3月1日に旅客機内でオナラが元でトラブルが発生し、緊急着陸のうえ乗客4名が強制的に降機させられた、というニュースを取り上げました。
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この回の主役はオナラでしたから、まあどうでもいいといえばよかったのですけれども、旅客機から降ろされた4名(男2名と女2名)というのがいったいどこの誰で、またどうしてそうなってしまったのか、が、その『Techinsight』ニュースからは読み取れなかったのです。
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まったくもって片手落ちです。マスコミではつかわれない言葉です。ともかく5W1Hの基本からやり直していただきたいものです。だれが(Who)、 いつ(When)、どこで(Where)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)、ですね。
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それが昨日、3月3日、桃の節句、耳の日、仏滅のニュースでようやくはっきりしましたのでお知らせします。なぜ今回に限りデスマス体で書いているのかはわかりません。
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◆『GIGAZINE』2018年3月3日配信
【乗客のオナラが臭すぎて飛行機が着陸して警察がやってくるという事案が発生】
《 2018年2月、アラブ首長国連邦・ドバイ発オランダ・アムステルダム行きの飛行機の中で、乗客のひとりが放屁(おなら)を止めることを拒否したため、飛行機が緊急着陸して警察まで駆けつけるという騒動が起きました。
騒動が起きたのオランダの格安航空会社であるトランサヴィア航空の定期便内。ドバイを発ってアムステルダムへ向かっている航路で、ひとりの老紳士のおならが原因で飛行機が着陸を予定していなかったオーストリア・ウィーンの飛行場に降りることとなり、老紳士は強制的に飛行機から退去させられることとなりました。
報道によると、問題の老紳士の隣に座っていた2人のオランダ人男性は、しばらくの間老紳士に対して「おならをやめるように」とお願いしていたそうです。老紳士が何らかの体調の問題でおならを出し続けたのか、周囲の人々に迷惑をかけるために出し続けたのかは不明ですが、おならは非常に臭く、止める気配もなかったためその後乱闘騒ぎにまで発展してしまいます。
客室乗務員や操縦士の警告も虚しく、結局飛行機は緊急措置として降りる予定のなかったウィーンの飛行場に着陸することとなります。着陸の際、操縦士はオーストリア警察に「機内で騒ぎが起きている」と伝えており、飛行機が着陸したのち警察がやってきて、騒ぎの中心になったと考えられる4人が逮捕され機内から退去させられる羽目となりました。なお、逮捕され機内から退去させられたのは老紳士につっかかっていった2人のオランダ人男性と2人の若いモロッコ人女性で、老紳士ではありません。
乗り合わせた人物が撮影した、機内に警察がやってきた瞬間のムービー。同乗者と乗務員に対して罵声を浴びせるなどした4人が逮捕されたと記しています。
なぜか航空機から降ろされることとなったモロッコ人の姉妹は、「私たちも一緒に降ろされることになったのはどう考えてもオカシイです。私たちは誰がおならをしているのかわからなかったし、おならをする誰かと同じ列の座席に座るという不運もあり、何もしてないのに降ろされることとなったんです」と語っています。
また、不当に飛行機を降ろされることとなった女性たちはトランサヴィア航空の乗組員の行動が適切なものではなかったと考えており、「乗組員は本当に挑発的で事態を悪化させていました」と対応のまずさを指摘。加えて、「すべてのモロッコ人が問題を起こすと思いますか?彼らはそう思ったから私たちを座らせなかったんです」と、人種差別的な意図もあり飛行機を降ろされる羽目になったと感じたことも明かしています。》
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つまりトランサヴィア航空では、紳士然としていれば屁をこき放題ということです。これで思い起こしたのは、見た目差別は想定する以上に激しいという事実です。モロッコ人姉妹の場合も見た目によって人種を憶測されているわけですから、見た目差別の一種ということができます。
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ブス差別とはいいますけれども、貧乏そう差別のほうがもっときつい感じがしませんか? 格安航空会社が見た目差別をするのは、格安なだけに金持ちに弱い卑屈体質であるからです。貧乏人は貧乏人の味方、では決してありません。
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街角にみすぼらしい姿の子どもときちんとした身なりの子どもをそれぞれ1人で立たせると、気にして声をかけてくるオトナの数が圧倒的に違います。あれ? 肝心のその数字をすっかり忘れてしまいました。定量化する以外わざわざこんなわかりきった社会実験をする目的はほとんどないわけですから、まあ申しわけないことです。ともかくかたやほとんどゼロに等しく、かたやまだ人の心は温かい、と勘違いさせる状況でした。
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このようにしてみすぼらしい人々はますますみすぼらしくなり、それなり裕福そうな人々はますます多くのチャンスが得られるのです。
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そして、そうかあ、そうすると私も老後に備えて少しは金のかかった身なり、つまり老紳士コスプレの準備をしておかないとなあ、と考えていたのでした。もう服装だけで世間のあたりが全然違ってくるとわかっていたら、それを利用しない手はありません。いっていること、あたりまえすぎますかしらん。
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あ、それで今回はデスマス体で書いているわけですよ。紳士的に。
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でもこうした世のなかのなりゆきがときどきおかしくてたまらなくなることもあります。たとえば最近は見るからにヤクザ、という格好をしておられるかたは見かけませんけれども、不良は不良、ガリ勉君はガリ勉君の格好をしています。
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どちらもまだ子どもなので親の金で服を買ってもらっているはずですから、自分の好きな格好をするのに本人の経済的事情はそれほど関係ありません、とくに不良はわざわざ不良の格好をしていなくてもいいわけです。
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それでも不良が不良の格好をするのは、不良であることを仲間や世間にアピールして社会的な居場所を確保したり、強そうに見せるという役割を狙ってです。結果、少しモテたりもするかもしれません。
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このわずかな実利と不良の格好でこうむる不利益とどちらが大きいのでしょう。いずれにせよわずかな実利を取る不良のほうが多いということです。たぶん。
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ところがガリ勉君がガリ勉君の格好をしても成績が上がるわけではありません。逆にガリ勉君の格好をしているにもかかわらずバカな成績で笑いものになるリスクがあります。メリットといえば、ただそれを買ってきたママのご機嫌がよくなるというくらいのものです。それでもガリ勉君はガリ勉君らしい格好をします。
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一見するとたいへん不合理ですけれども、実はここにも不良の場合と同じように、自分はガリ勉君である、というガリ勉君集団への帰属意識が働いているのです。人間は群れの動物ですからなにかに所属していなければ落ち着きません。
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さらに思想信条においても同じようなことがいえます。自分は右翼である、と自己規定した瞬間からちょっと肩が上がる、雪駄を履きたくなる、左翼であると自己規定した瞬間から若干猫背がちになる、破れたセーターを着たくなる、みたいな。古いす。
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そんなふうにして人間は自分を演じながら生きていくわけです。ですから私はいつか見かけだけ老紳士になります。ステッキなんかついて。武士は食わねど高楊枝。なんだか人間なんて中身のないクラゲみたいな生きものですね〜、とかなんとかいいながら。
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ヘコキクラゲ。 (了)
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