2018年3月9日金曜日

浅田真央、現実世界へのご帰還軌道を飛行中



なにをゴールに決めてなにを犠牲にしたの? とは、松任谷由実の「ノーサイド」の一節ということで記憶している。なにかからの引用かも知れぬが。



ご本人はすでにゴールどころか足元まで見失い、なりゆきまかせでヨタヨタと、よろめきを利用しての徘徊をお楽しみのごようすである。OLの憧れがいまやピュア老害、時間とはまことに残酷なものである。



そうそう。ある場所に向って一心不乱に努力してきた方々が犠牲にしてきたものは、とりあえずすべからく時間、ということになる。で、こうした文脈から見るかぎりまことに肌に粟を生じるのを禁じ得ない、慄然とせざるを得ない、総毛立つのを隠し得ない、そらもう壮絶な発言がなされたのである。





◆『スポーツ報知』2018年3月8日配信
【浅田真央さんの最終的な夢「山に出て狩りをしてイノシシとかをさばいたり…」にネット騒然】

《 フィギュアスケートの元世界選手権女王・浅田真央さん(27)が7日に放送されたNHK総合「クローズアップ現代+」(月~木曜・後10時)で語った最終的な夢の内容に、ファンを中心に騒然となった。

真央さんは引退後、小中学生らにスケートを教える機会があった。そのうちに「私、教えるのも好きなんだなと思いました。いまは自分のアイスショーが中心でやっていますけれど、スケーターとして滑れなくなった時に、次に何ができるかなと思ったときに指導かな…なんていう思いも今、頭の隅にある」と将来について語った。

そしてスケートとは「恋人でもあり家族でもあり運命。スケートと出会えたことが運命なのかなと思います」とまとめて、番組はエンディングに向けてしんみりとした雰囲気となった。

ところが、最後に語った真央さんの「最終的な夢」が“衝撃的”な内容だった。

「自給自足をするっていうのが、私の最終的な夢なんです」

疑問に思った同局の武田真一アナウンサー(50)が「自給自足?」と不思議そうに聞くと驚きの答えが返ってきた。

「はい。いろんなものがやりきったなと思ったら、私は山に行って…。それこそ海の近くだったら自分で魚を捕ったり。山に出て狩りをしてイノシシとかをさばいたりとか、そういったことをしてみたいんです」

歴戦のNHKアナもさすがにあっけにとられ「それはなんでなんですか?」と真意を尋ねると「食べることが好きだから。それが一番のぜいたくなのかなと思いますね」と答えた。

小学校時代のクラブ活動では「原始人クラブ」に入っていたと、かつてイベントで明かしていた真央さん。武田アナから「自由でいたい?」と聞かれ「それもあるんじゃないですかね。自由にのびのびと生活してみたいなと。全てがナチュラルで解放させて、生涯を終えたいなと思います」と嬉しそうに口にしていた。

衝撃的な番組の終わり方にネットでも衝撃が走ったよう。「さすがに想定外…」「さすが原始人クラブにいただけある」「大物すぎる」「なんてパワーワード」などと驚きの声が上がっていた。》





私が受けた壮絶な印象とは、えっと、たとえば夏の海辺に蹲って砂に落書きをしている楽しげな女の子に声をかけたら、上げたその顔がいつか見たリンダ・ブレアだったというような、ほぼほぼホラーな感じである。そのときかけた言葉はもちろん「自給自足?」である。



どういう経緯をたどってそうなってしまったかというと、まず最初に、そうなの、自給自足といっても農耕じゃなくて狩猟採集のほうなの、があって肉食系かあ、になって、そうすると着ているものはワンショルダーの毛皮ワンピースに違いなく、さらにお互いのすむ洞窟がご近所同士だったら楽しいであろうなあ、という連想が働いたのである。瞬時にここまで。



で、一拍おいて、いやいやこれは「原始家族フリントストーン」というよりもマーク・トウェイン「トム・ソウヤーの冒険」であろうと気づく。すると走馬灯のようにコナン・ドイルの『失われた世界』やジュール・ベルヌの『地底旅行』を読み耽った幼少の記憶が蘇り、デイヴィッド・リヴィングストンのナイル上流探険の旅などへの憧れの懐かしい感覚に浸されてしまったのである。



そんなふうにまったく現実からかけ離れた夢想の世界を浅田真央(27)はあたため続けていた、ということであろう。と考える。「山に出て狩りをしてイノシシとかをさばいたりとか」とはいうけれども、いささかでもものごとがわかってくればそんなに簡単なものではないと想像がつくはずだ。



戸惑ったのはそう考える理由についてのお答えである。「食べることが好きだから。それが一番のぜいたくなのかなと思いますね」。いちばんの贅沢が狩猟採取生活。狩りをしてイノシシをさばくことが、食べることが好きな私にとってのいちばんの贅沢。うむぅ。純粋志向ということだけはわかる。



しばらくアタマをひねって思いついたのは、浅田真央にとってイノシシは食べものなのだ、ということである。リヴィングストンの探険記に描かれたナイル川流域の風物が私には宝物に思えたように。そしてその場所にいきたい、その場所で実際に手にとってみたい、という願望が生まれたと解釈していいのではなかろうか。



私がリヴィングストンの探険記に憧れたのは小学校3、4年生のころであった。そしてもしかして浅田真央はそれくらいの年頃からの時間をすべてフィギュアスケートに捧げてきたのではないのか、と思ってしまったわけである。



浅田真央は5歳でフィギュアスケートをはじめ、特例で出場した全日本選手権で不完全ながら3回転—3回転—3回転のコンビネーションジャンプを跳び、「天才少女」と呼ばれたのは小学6年生のときである。



こんなふうに考えなくてもいいのかもしれないけれども、これまで私は浅田真央のなにを見てきたのであろう? という気分になる。そうだよなあ、十代のうちに競技年齢のピークがくるんだもんなあ。



そんな気分で振り返ればニコニコ笑いの羽生結弦(23)やポケッとした宇野昌磨(20)がいる。私はいままたなにを見ているのであろう? 命とは時間のこと(by日野原重明)である。うむ。命をかけて取り組む、とは程度の差こそあれ大袈裟な修辞ではないのであった。



もっとていねいに考えれば、程度の差こそあれ、というところが問題で、なにものも挟み込まないくらいの強度でもって命をかける人がいる、そしてご本人にそのことの残酷さの自覚がないということがショッキングなわけである。一心不乱、もの狂いというのとは少し違う。



イノシシがかなり凶暴な動物であるという知見をもたず、さばく前には殺さねばならず、そうすれば悲鳴を上げ血を流す、さらにいえば食べものはそのようにすべからく命あるものだということに気づく余裕もなく滑り続けてきたのである。



人としてどうか、とはいわないけれども世の中の分業体制もたいへんなものだなあ、と気が遠くなりそうになる。これからそうした知見、世間の空気をめざましい勢いで吸収していくにあたってはお姉ちゃんのようにならないでいただきたい、と切に願う。



今日も今日とて命をかけてボーッとしておる。(了)




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